第342話「先輩から後輩へ」
〈人狼〉はこの世ならぬといっていい叫び声を、痛みをこらえきれずに発しました。
わかります。
きっと、今までこれほどの痛みを受けたことがないからなのでしょう。
狼男は「銀の弾丸で殺せる」というのは、『倫敦の人狼』と『狼男の殺人』という映画のオリジナル設定だと言われていますが、実は中国における人が獣に化ける怪物も銀の刃物で刺し殺せるという伝説からの剽窃だという説もあります。
なぜ、大陸において特に銀が獣人に効くと言われているかは、銀に含まれる成分などよりは、狼男などに力を与える月光を切り裂く魔術的意味があるからというのです。
夜に輝く月の光は銀に例えられ、関係性が深いのは確かでしょう。
だからかどうか、銀の武器は月の光によって強化される獣人にとって力の源を破壊する致命的な攻撃になるようです。
そして、俺が銀製のフォークから削りだしただけの粗雑な弾丸でさえ、銀であるというだけで〈人狼〉の堅い皮膚を貫きました。
人間ならば致命的ともいえる傷を負っても即死しないのはさすがのタフネスといえます。
さっきまで御子内後輩の攻撃を喰らってもふらつく程度で倒れもしなかった怪物が、苦痛の呻きを洩らしながら膝をつく。
効いている。
やはり魔物を倒す銀の弾丸は効果があるようだ。
『テメエエエ―――』
〈人狼〉の発する怨嗟の言葉がまるで物理的な塊にでもなったかのごとく、俺たちを颶風となって吹き飛ばします。
三メートルは離れていたというのに、見えない柔らかい壁でもぶつけられたかのように衝撃に俺たちは転倒しました。
いったい、何が起きたのか。
風が吹いた訳でもなく、気のせいでも錯覚でもありません。
本当に不可視の意味不明なものに俺たちは飛ばされたのです。
「きゃあ!!」
俺たちは思わず叫んでしまいました。
いったい、何事が起きたのかと。
しかし、身体がほとんど痺れたまま動かないのです。
全身に電気が流れたかのように。
このままではいくら手負いとはいえ、目の前の〈人狼〉に頭からバリバリと食べられてしまうかもしれません。
だけど、どうしようもなく身体が動かない。
今度こそ絶体絶命、危機一髪となったとき―――
「―――I'll huff and I'll puff and I'll blow your house in. 確か翻訳すると、『こんな家なんか、おれさまの自慢の息で、ふき飛ばしてやるさ』だったかな。―――三匹の子豚で狼が言う台詞さ。修験道の不動金縛りの術である〈心の一方〉のように、生き物に咆哮で瞬間催眠をかけて気絶させるのが〈人狼〉の秘儀のようだね。ネタがわかったらそいつはもう通じないけどさ」
ようやく立ち上がることができたらしい、御子内後輩がマットによじ登りながら戻っていく。
〈人狼〉は俺たちではなく、しぶとく起き上がった敵を睨んでいました。
こちらには目もくれません。
まるで俺たちが身動きとれない以上、もういつでも始末できると言いたいかのようでした。
「おい、〈人狼〉。ボクはまだやられていないよ。キミがその二人を自由にしたいというのなら、まずボクを倒してからにすることだね。―――でないと、いつまでも〈護摩台〉の結界からは逃れられないよ」
這いずるようにマットを進み、ロープを掴んでかろうじて自分を支えているにも関わらず、御子内後輩はまだそんな減らず口を叩きます。
粘り強い、などという言葉では語りつくせないほど、しぶとい性質の持ち主なのは間違いありません。
リング下にいる〈人狼〉を挑発してマットに戻そうとしていました。
「早く戻って来い。カウント20になったら、キミの負けでそのまま封印されるぞ。それではボクの気が晴れない。少なくとも、ボクの手で倒さなくては退魔巫女として失格となってしまうからね。それに―――」
御子内後輩は俺たちを見やり、
「巫女でもない先輩が必死に他人を守っているのに、ボクはちょっと自分のことしか考えていなかったような気がする。〈社務所〉の媛巫女の存在意義を忘れていたみたいだ。だから、その失態を取り戻すためには―――」
怪物に恐れ知らずに宣言しました。
「キミを完膚なきまでに叩きのめさないとならない。上がってこい、怪物。胸に穴が開いた程度で、戦えなくなるような安っぽい妖魅じゃないだろう? ストーカーを続けたかったら、やっぱりボクを倒すことだね!」
ストーカーと言われたことに腹を立てたのか、〈人狼〉は凄まじい勢いでマットの上に登り、御子内後輩目掛けて駆け寄っていく。
やはり速いです。
しかし、その怪物を正面から御子内後輩は迎撃する。
「でりゃあ!」
〈人狼〉の頭部をブレーンバスターの要領で右腋に抱え込むと、密着した怪物の腕を自分の頭の後ろへ持って行きました。
その態勢のまま御子内後輩は左腕で〈人狼〉の片腿を抱え込むと、のけ反るように後方へスープレックスとして投げます。
マットにぶつけたと同時に固めました。
敵の勢いを利用して、さらに投げの衝撃を一切逃がさないように繰り出されるフィッシャーマンズ・スープレックスホールドでした。
いかに肉体の表皮が堅くても内臓にかかる負担からは免れない。
しかも、ただの投げと違って受け身が取れないより強い力がかかる技です
フォールの態勢に入ったせいか、どこからともなく、
ワン……
ツー……
とカウントが刻まれてきましたが、スリーとなる前にクラッチを切り、〈人狼〉は御子内後輩から離れました。
最後までスリーカウントが刻まれたらどうなるかはよくわからなけれど、とにかくまだ決着はつかないようです。
〈人狼〉は今度こそ牙と爪を巫女の柔肌に食い込ませようと襲い掛かります。
もうスープレックスによって投げられないように、絶妙な距離をとりつつ、さっきまでと同じ素早さで御子内後輩を削ろうとしてきます。
もともとテクニックでは相手を凌駕する御子内後輩はそれを簡単に凌ぎきり、それどころか、逆手に手首を極めると籠手返しの要領で投げ捨てたりしました。
序盤の勢いと力任せの戦い方とは違う、相手をいなす呼吸を交えての攻防を展開し始めます。
別人のようですが、なんとなく理由はわかりました。
勝利に逸ることは戦い方を狭くし、判断を悪くする元です。
さっきまでの彼女はそのせいで〈人狼〉を倒しきれず、逆にピンチを迎えることになってしまっていたのです。
でも、何かのきっかけで御子内後輩は自分を取り戻したのか、自分の血気を抑えて、〈人狼〉に勝つための戦法に切り替えたのです。
タフな相手を倒すために、敵の力を利用して投げては隙を見て痛めつけるという戦いに。
そして、その戦術の変更は結果を残します。
何度目かのダウンのあと、なんとかして立ち上がろうとした〈人狼〉の膝が崩れます。
ここまでの間に、御子内後輩が与えてきたダメージがついに不死身の怪物の膝を笑わせたのです。
御子内後輩はチャンスの前髪を掴み損ねるほど、ぼうっとしていたりはしません。
彼女はその一瞬を逃さず、高く跳躍します。
全身を浴びせるように倒れこみながら、身体を横にして、半回転させつつ、シューズの外側面を〈人狼〉の顔面にぶちあてる後ろ回し蹴り―――フライング・ニールキックでした。
かの前田日明が発展させ得意技とした、必殺の大技。
〈人狼〉はまともに顔面に受けて悶絶します。
しかも、そのまま両膝をついてしまいました。
それだけのダメージを喰らったということなのでしょう
またも、御子内後輩は背後に回り込むと、こんどは両腋の下から両腕を通して、〈人狼〉の後頭部あたりでその両手を組んで
両腕を強く締め付けることにより、〈人狼〉は身動きが取れなくなります。
「これで終わりだああああ!!」
気合い一閃!
御子内後輩はさっきのバックドロップのように丹田に力を籠めると、そのまま後方にブリッジをします。
フルネルソンの体勢のまま相手を後方に投げるという、相手の頸椎を痛めるだけでなく背中、呼吸器まで破壊する大技中の大技でした。
ニールキックのおかげで朦朧となっていたのか、抵抗もできずに投げ捨てられた〈人狼〉をブリッジしたままで押さえつけていると、またも
ワン……
ツー……
とカウントが刻まれだし、最終的に、
スリー……
3カウントがとられると、カアアアアンとゴングが鳴り響き、〈人狼〉の姿が擦れていき、数秒後には消滅してしまいました。
いったい、何があったのか、どういう理屈なのか、さっぱり理解できませんでしたが、御子内後輩の晴れ晴れとした顔からは決着がついたということだけはわかりました。
隣を見ると、ようやく俺同様に金縛りが解けたらしい亜香里も呆然としています。
助かったということがすぐには呑み込めないのでしょう。
少しして御子内後輩がこちらにやってきました。
「お見苦しいところを見せてしまったね。とりあえず、〈人狼〉は封印したから、それで許してほしい」
あの怪物を素手で倒したらしい女勇者は謙虚にそう言った。
表情に晴れ晴れしさはあったが、自慢げでもなく、増長しているのでもないところがこの少女らしいと思いました。
「ボクは力で物事を解決しようとしてばかりいる。師匠には言われたんだけどね。いつか力では解決できないことにぶちあたったとき、どうすればいいか、まだわかっていない」
「でも、或子ちゃんは私を助けてくれましたよ……」
「今回はたまたまだよ。ボクよりも、むしろ、先輩のおかげだ」
「俺?」
俺は最後に〈人狼〉に銀の弾丸を当てただけです。
そのあとでもあれほど動き回られるということは、あまり役に立たなかったという可能性もあるぐらいでした。
「先輩が、自分の危険を顧みずに身体を張ったことであいつを止める時間ができた。キミが勝利の鍵だった。ボクはそれに便乗しただけさ」
「そんなことはないだろ」
「いや。ボクはまだまだ未熟だということさ」
御子内後輩は夜空を見上げて、
「―――いつか、ボクにも力だけでなくて心や知恵で難事に立ち向かう術を教えてくれる師が現われてくれればいいんだけどね。先輩のように」
「俺はそんなたいしたことないぜ」
「謙遜しなくていいよ」
後輩はトップロープ越しに地上に降り立ち、
「―――女性の身で、そんなに強靭な心をもってあんな妖魅に立ち向かって他人を助ける。先輩は本当に〈お化け退治〉のヒーローだ」
そう言われても俺は嬉しくありません。
だって、なんのために―――
「俺、とか、その乱暴な男みたいな口の利き方のせいで、どうみても亜香里の彼氏に見えてしまうから、〈人狼〉をあそこまで嫉妬させてしまったんだろうけどね。先輩、けっこう美人だから、イケメンだと思われていたんじゃないかな」
ほっといて欲しいです。
せっかく、努力して女の子らしさを出そうとしていたりしているというのに。
内心はともかく外面だけはボーイッシュになってしまうのは、姉の影響なんでしょうけど。
ただ、御子内後輩に言われたくはないですね。
「色々と勉強させてもらった。ありがとう、先輩」
自分だって男の子みたいに握手を求めてくるというのに、自分だけは別格だみたいなところが、まったく生意気な後輩です。
俺は少しだけ理不尽な気分になったものでした……
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