第336話「やってきた大後輩」
俺のマンションは出口にカメラなんていうものがついている高級志向ではなく、オートロックすらついていない普通の建物でした。
ですから、住んでいる301号室まで直接尋ねられてしまうなんてよくあることです。
一応、用心して覗き穴から外を見ると、一人の女の子が立っていました。
目にした途端、一度、穴から顔を離してゴシゴシと手で擦ります。
視界に入ったものがよくわからなかったからです。
正確に言うと、「信じられなかった」というべきでしょうか。
基本的に俺は物事に動じないタイプだと周囲には言われています。
その俺が自分の目に映ったものを疑うのだから、それがどのぐらいおかしなものかというのは、誰にでもわかることでしょう。
「―――悪いけれど、巫女さんの押し売りはお断りだよ」
上半身は首元から赤い襟が覗いている白衣、下半身には緋色の袴を履いて、腰の前で紅の紐でとめている巫女装束。
ただの巫女装束とは言えないのは、左右の手首に巻いた革のリストバンドと、地下足袋と草鞋の代わりに革のリングシューズを履いていることでした。
誰がどうみたってまともな巫女ではないような。
だが、顔は―――正直に言うととても可愛かった。
肩までの髪を結ってアップに上げているおかげで、体育会系的な運動少女っぽい印象があるのに、顔の造作そのものは小さめで、アイドルにでもなったらとても人気が出そうな可愛いタイプの女の子です。
巫女さん、というと疑問符が出るけれど、醸し出す雰囲気の神秘的な色彩は紛れもなく本物としか思えなかった。
とはいえ、どうして俺たちのところに巫女さんがやってきたのかということはさっぱりわかりません。
〔別にボクは押し売りに来た訳じゃないよ〕
「それはわかっている。どうして巫女さんがきたのか、そこがさっぱりわからないってだけだ。見たところ、あんたはコスプレでそんな格好をしている訳じゃなさそうだしな」
〔そりゃあそうさ。ボクは正真正銘の巫女だからね。……ちなみに、キミ、301号室の住人だよね〕
「ああ」
〔確か、武蔵立川高校の卒業生だったと思うけど、どうかな?〕
武蔵立川高校というのは、俺が去年卒業した学校です。
大学に入ってからは一度も訪れたことはないけれど、それなりに愛着は残っていて、まさかその名前を聞くとは思いませんでした。
ちなみに一応は進学校ですが、中学の時にそこを選んだのは実家から歩いて通える距離だったからというだけのことです。
そう言えば、うちの姉も武蔵立川出身ですが、進学理由は同じだったと聞いていました。
「……なぜ、そんなことを知っている?」
〔いや、ボクも武蔵立川の生徒なんだ。キミのことは現・生徒会長から聞いたことがあるんで、名前に覚えがあったという訳さ〕
「現・生徒会長?」
〔ああ。ボクとは三つ違いだからすれ違いだけど、
―――みよし?
三好、いや、美厳かな?
すぐに頭に浮かんできたのは、俺が三年のときに入学してきたいつも気怠そうで、それでいて数ヶ月前まで中学生だったとは思えないほどにムンムンとした色気をばら撒いていた後輩でした。
当時生徒会の役員をしていた俺は、顧問教師の推薦で入ってきたその後輩―――柳生美厳の面倒を見させられたのです。
優秀といえば優秀ではあったけれど、怠惰で働かない後輩だったのでとても教育に苦労した覚えがありました。
「柳生のことか?」
〔そいつだね。だから、キミの噂はかねがね聞いているよ。―――〈お化け退治〉の先輩だってね〕
俺はそんな綽名をつけられていたとは思いませんでした。
お化け退治と言ったって、俺が高校時代にやったことはそんなにたいしたことはないし、回数だって一度か二度程度でしかないのですから。
説明していませんでしたが、今匿っている女子大生尾野屋亜香里を助けるために、従姉妹のひかりが俺を呼び出したのは、そういう過去の実績のようなものに基づいてのことだったのです。
そして、俺は多少ではあったけど、古武術を齧っていたこともあって、いざというときは頼りになると覚えられていたのかもしれません。
「……わかった。今から鍵を開ける。だが、気をつけろよ。さっき俺たちを襲った狼男があんたを押しのけて入ってくるかもしれないリスクがあるんだからな」
〔わかっているよ。でも、まあ、ボクを押しのけようとするのはかなりのリスクだから、多少でも頭が回ればしないとは思うけどね〕
俺には理解できないほどの随分な自信をもって、変な巫女は断言しました。
怪しみつつも、俺はドアを開けます。
さっきの狼男を警戒しつつ、いつでもすぐに閉められるように力を加えながら。
幸いなことに、あいつはなにもしてこなかったので、巫女は堂々とした振る舞いをしたまま部屋の中に入ってきました。
この部屋に女の子が入ってくることはないことはないのですが、一日のうちにまつたく面識のなかった相手が二人もやってくるのはまずほとんどありえないことでしょう。
俺は性格についてはお世辞にも善いとはいえないものですから。
「……朋輪くん、誰なの?」
奥にいた亜香里が問いかけてきました。
それはそうでしょう。
あんな狼男に狙われているということがわかって、命からがら逃げてきたというのに、そこにのこのこと人がやってくるなんてありえることではありません。
「キミが〈人狼〉に狙われているって
堂々と入ってきた巫女は、亜香里に声をかけた。
亜香里はいきなり現われた巫女の美少女に驚いて開いた口が塞がらない状態でした。
「え、ええ……」
「キミとそこにいるボクの高校のOBの先輩を襲った〈人狼〉は、すぐに立川駅の南口の住宅街の方に消えたそうだ。警察が緊急検問をしようとしたが、状況を把握できなかったのでまだ実施されていない」
「……そうなの」
「ところが、だ。ボクの所属しているところがだね。数日前から、キミと〈人狼〉のストーカートラブルについては把握していたこともあって、とにかく可及的速やかにそいつを退治しなくてはならないことになった。で、ボクが
さっぱりわかりません。
「あなたは……本当に何者なの?」
言っていることはわからないが、亜香里はこの巫女に気を許しかけていました。
追い詰められていることで、誰かれ構わず味方認定してしまっているのかもしれません。
内心、俺一人だけでは心細かったということもあるのでしょうか。
巫女―――イコール怪物退治の専門家というイメージもありますしね。
「ボクは、
こちらが想定もしていない台詞を吐く巫女さん。
初対面の自称・後輩をどうして俺が弁護しないといけないのでしょうか。
まったく信じられない話です。
「或子ちゃん……でいいの?」
「ああ、どう呼んでくれてもいい。とにかく大船に乗った気持ちでいてくれよ。ボクと先輩がキミを怪物から救ってあげよう」
たいしてない胸を張る自称・後輩の巫女。
いったい、この女の子は何者なのでしょうか。
そして、あの狼男の正体は。
〈お化け退治〉とかいう大層な二つ名をもらっていても、普通の大学生の俺にとっては荷の重い話であるとしか言えなかった……
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