第329話「山狩り」
朝になり陽が昇りきったのを確認してから、〈サトリ〉はいずみを連れて、鍾乳洞から出た。
人には道とは言えない獣道を、枯れ枝をかき分けながら進む。
以前、いずみを乱暴に連れていこうとした男たちがつけた首輪とロープが木の枝に引っかかり、彼女は苦鳴をあげた。
『……そんただ邪魔なものはいらんよな』
〈サトリ〉は愛用の鎌をだして、首輪の合成繊維をそっと切った。
錆びついて歯零れだらけの古い鎌が、最新の合成繊維を抵抗もなく断ってしまう。
これは鎌の鋭さではなく、〈サトリ〉の技術であった。
力を最大限に発揮すれば万物の声を聞くことすらできるかもしれない〈サトリ〉という妖怪にとっては、物質の呼吸を聞き取ることは容易い。
その呼吸に合わせて刃を立てる。
ただそれだけのことだった。
『どだ? 邪魔なものはとってやったど』
すると、今までは〈サトリ〉の問いかけに対して応えるのに一時間はかかっていたいずみの心に、初めてすぐに何かが浮かんできた。
(……ありがとう)
〈サトリ〉は眼を丸くした。
まさか、普通の人間に戻ったのかと。
そんなことがありえるはずもないからこその〈サトリ〉の驚きであったが、同時にいずみに礼を言われたことが純粋に嬉しくもあった。
彼の感覚ではとりたてて善行を施したという訳ではない。
いずみにとってだけでなく、自分にとってもうっとおしかったから排除しただけのことだ。
それなのに礼を言われてしまった。
無機質な妖怪の心に照れのような色が灯った。
『行くべ。こっちだ』
〈サトリ〉は自身を襲った変化を悟られぬように、顔を背けていずみを促がした。
目的地はそれほど遠くない。
そこにつくまでに、この顔面に貼りついた赤い強張りが外れていてくれればいいが。
初めてとも思える動揺への対処に、〈サトリ〉は苦労することになる……
◇◆◇
「サツキ、あれじゃないかしら」
ヴァネッサ・レベッカが木陰から指さした先に、渓流まで降りて何やら探しているらしい男たちがいた。
通常の道を外れて、長い竿のような棒を動かしながら何かを探している。
警察による山狩りを思わす行動だが、大々的なそれと違い、人数はあまり足りていない。
皐月が見たところ、二十人といったところだった。
「……何か、探しているみたいだねえ」
「さっきの八咫烏が言っていた連中よね」
「だろうね。確かに武装はしてないみたいだし、探し物をしている感じなのはわかる。ただねえ、もう少し格好をねえ」
明らかにヤクザといえる派手な背広のものたちと土方のような格好の者たちが、寒さをしのぐために色々と着込んでいて統一感はない。
藪を竿で突いたりして何かを探しているのは明白なのであるが、それはどうもやらされている感があり動作もキビキビとしたものではなかった。
何人かはかったるそうに竿に顎を乗せながらサボったりしている。
それを見て怒鳴っている男がリーダーであろうか。
「てめえ、サボってんじゃねえよ! 夜までに見つけねえと、明日もここに残ることになるんだぞ! しっかりしろや!」
「うっるせえいぞ!! てめえらが逃がしたから悪いじゃねえか!! 俺らに押し付けんじゃねえ!!」
「くそが、殺すぞ!!」
と一触即発の状態になっている。
上の方から見下ろす形の皐月たちには気づく様子もない。
「暴力的だなあ。世界はこんなにラブとピースに溢れているのに」
「……お尻に触らないで、セクハラ女」
「当ててんのよ」
「死んでなさい―――」
どさくさに紛れて尻を撫でてきた皐月の頭を小突き、ヴァネッサ・レベッカは双眼鏡を出して男たちを観察する。
確かに慣れていない動きではあるが、山狩りの最中であるらしいことはわかる。
だが、男たちが竿で突いたり覗きこんだりしているのは、かなり大きめの茂みに限られていて、地面には何もしていない。
ヴァネッサ・レベッカの記憶ではあのやり方は、物ではなく人を狩り立てるためのものだ。
そして、男たちの会話から導き出される答えは一つである。
「人間を探している。いや、狩り立てているようね。仲間を痛めつけた妖怪を人間だと誤解しているのかしら」
「さっきもいったけど、ヤー公なんて所詮クズの集まりだからそんなことはしない。有り得るとしたら、さっき八咫烏がいっていた集落に誰かを監禁していてそれに逃げられたってことじゃないかな。AV展開だよ、AV」
「サツキの言い分も一理あるかもね」
事情のわからない女性を監禁して、無理矢理にポルノ産業の餌食にしようとしていたという解釈はありえる。
だが、他にも財産目当てで資産家を誘拐していたりとか、そういうアングラな非合法活動の結果というのも捨て難い。
それならば三人も病院送りになったというのに、警察に泣きついたりしないのもわかるし、警察側が捜査を渋っているのもわかる。
もっとも後者は妖怪絡みだと予めわかっていたからに過ぎないのだが……
「ちょっと待ってて。一匹捕まえてくる」
ヴァネッサ・レベッカの返事も聞かずに皐月が飛び出していき、五分ほどで一人のチンピラを担いで戻ってきた。
小柄な男ではあったが、十代の女の子である皐月が軽々と背負って山道を登ってくる姿は異様なものがある。
当の皐月自身は自分の異様さなど毛ほども感じていないので、拉致して来たチンピラを無造作に投げ捨ててから、タオルで手首を固めて縛り、樹にロープで縛りつけた。
「な、何をしやがる!!」
気絶していたところをビンタで叩き起こされると、チンピラは意味が分からず叫び出したが、皐月に顔を踏まれると途端に黙った。
ロッカーらしいロンドンブーツで踏まれると痛みが凄まじいものになるからだ。
「静かにしてくんない。あと、仲間に助けを求めたりしたら、チ○コ潰す」
「て、てめえ……」
「うちの後輩に教わったんだけど、痛みもなく足首の関節って外せるんだよね」
というと、皐月はチンピラの足首を掴み、軽く捻った。
足首がありえない方向に曲がる。
あまりにも異常なのにまったく痛くないということにチンピラの脳みそがついていけずに呆けた顔になった。
何をされたかわからないのだ。
骨を折られたのでもないのに、足首がおかしなことになっている。
「ああああああ……」
「いい。同じことはそれこそ、どこにでもできるんだよ。―――よしわかったら、うちの言うことをきちんと聞いてくれ」
「あああああああああああ……」
「もう煩いなあ」
あまり気の長くない皐月は、今度は逆の足首も外して曲げた。
それで勝負ありだ。
チンピラも自分が置かれた環境をようやく理解する。
目の前の小娘どもは悪魔に違いない、と。
逆らうとどういうことになるのか想像もつかない。
そもそも、仲間と一緒に山狩りもどきをしていたらいきなり目の前が暗くなり、気が付いたら樹に縛り付けられていたのである。
どんな恐ろしいことが起きたかすら理解できなかった。
「あんたらは誰を探してんの?」
「誰って……よ……」
意外と歯切れが悪い。
つまり、はっきりと部外者にはいえない相手ということだ。
若いが捜査官としてのキャリアも豊富なヴァネッサ・レベッカはチンピラに生じた躊躇いを犯罪に関わるものだと読み取った。
彼女たちがロッカー風巫女と外国人であるということを差し引いても、一般人に協力を求められるような内容ではないということだ。
ポケットに触れてみると、サイフが入っていた。
五万円ほどと山ほどの整理されていないレシートが詰め込まれていて頭が悪そうだった。
「……八王子の人間みたい。免許証が八王子市になっているわ」
「地元じゃないのか」
「あと……財布の中に名刺がある。うわ、暴力団員の名詞ってるものなのに。暴対法にひっかからないのかしら」
「見つかったら不利になるようなものを作るのは、ヤクザがバカしかいないからだよ」
「それもそうね。あら」
「どったの」
「これを見て」
皐月に差し出されたのは小さなビニール袋とその中に入った黒いゴミのようなものだった。
「乾燥大麻ね」
「うわー、さすがヤー公。頭が悪いわ」
「これだけで警察に突きだせるわよ」
「な、なにをしやがる! 返せ!」
縛られているうえ、皐月による拷問があったからか反抗の勢いは減少している。
「これを財布ごと警察に引き渡されたくなければとりあえず、You、喋っちゃいなよ」
ここまでやることでようやくチンピラは観念して口を開き始めた……
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