第321話「運と……」
液晶テレビにつり下げられていた腹話術の人形もどきは、僕に小さな包丁を突き付けていた。
刃渡りは五センチぐらいだけど、あれでも刺されたり切られたりしたら重傷になりかねない。
アキレス腱とか顔面とかの急所を狙われたり危なすぎる。
だから、近づけさせないために鎖を振るうしかない。
『コロシテヤルゾ!!』
なまはげ似の赤鬼人形が脅してきた。
操られてるのではなく、やはり意志があるようだ。
そんなことだろうと思った。
あのテレビが爆発したりする可能性があったから、警戒して近づいてみたところ、背中にあいつがぶら下がっていた。
見たところ、さっきの映像に使われていたものだったけど、どう考えたってあんなところにあるのはおかしい。
誰だって用心するだろう。
あまりにも怪しくて距離をとって鎖をぶつけてみたところ、やっぱりというか動き出した。
しかも言動からすると、とてつもなく狂暴そうだ。
殺してやるを連呼してくるぐらいだからね。
そうしたら、「何をする気だ」と聞いてきたので、
「いや、君を撃退するための準備だよ。予想だと爆発したりするんじゃないかなと思っていたけど、まさか普通に動くとは思わなかった。えっと、僕には鉄鎖術みたいな武芸はないから、悪いけど手加減できないんでヨロシク」
と素直に答えたら、
『ナンダトオオオオオ!!』
仰天していた。
意外と面白い反応をする妖魅だ。
リアクション芸人みたいなものだろうか。
とはいえ、僕としては冗談抜きで必死にならざるを得ないんだけど。
だって、僕の足下にはこちらを噛みきろうとする非実在生物みたいなのがいるぐらいなんだから、この人形がどれだけ危険なのか考えるだけ無駄ってもんだ。
危険度でいったら同等とみるべきだろう。
『テメエ、オレトヤリアオウッテノカ!!』
「うん、まあね」
先手必勝で僕は鎖を叩きつけた。
人形は必死で避ける。
かなり素早い。
動物でいったら猫ぐらいの速さがある。
間合いに入られたら厄介だ。
僕は鎖を回し、今度は横に薙ぐように振るった。
イメージとしては宮本武蔵の敵である鎖鎌使いの宍戸梅軒である。
別に僕は鎖鎌なんか扱ったこともないけれど、お手本があるとないとでは大違いだからだ。
さすがに人形の身であるからか、鎖の一撃は恐ろしいのらしく、惜しいところで躱された。
とはいえ、体勢を崩させてしまえばこちらのものだ。
僕は嵩に懸かって攻めたてた。
『ヒィッ、ヒッ!!』
甲高い声をあげながら逃げ続ける人形。
笑える絵面だけど僕もこいつも必死だ。
『テメエ、フザケンナ! オビエテニゲルノガテメエノヤクメダロ!! オトナシクヤラレヤガレ!!』
僕を脅迫し続けながら、人形は隙を窺うようにちょろちょろする。
どうやら僕の反撃はこいつにとって想定外だったらしい。
まあ、多分そうなんだろう。
テレビにぶら下がっていたこいつは、普通なら「なんだろう」といって手に取ろうとするところを襲う予定だったのだ。
差し出した手を包丁で切られれば、動揺してパニックを起こしてテンパるだろう。
一度恐怖を与えてしまえば、こいつの思うがままになり、ほとんどの人は為すすべもなくやられてしまうはずだ。
きっと僕をそうやって始末するつもりだったのだ。
だけど、そうは問屋が卸さない。
「悪いけど、人間というものは最初からいい心構えさえしっかりしていればどんな苦境も乗り越えられるものみたいだよ」
『ナンダトオオオオ!!』
「それに、いくらなんでもあんな怪しい置かれ方しているものに不用心に触る訳ないでしょ。君さあ、人間舐めすぎ」
こいつではなくて設置した相手が僕を舐めていたのかもしれないけれど、どうでもいいことだよね。
罠をかけるのならばもっと回避不可能なものにしないと。
(……まあ、わざわざゲームという以上、生き残る手段を用意してあるみたいだけどさ)
逃げ出すために不用意に〈護摩台〉の下に降りれば化け物に食い殺される。
鍵に気が付かなければ鎖から解き放たれない。
不用意に人形に触れば、動き出して襲われる。
どれも一つ間違えれば惨たらしく殺されてしまう罠の数々だ。
ただ、それらの罠を回避することは少し考えればできるようになっている。
実際に僕は考えることで避けることができた。
時間さえあれば可能なことだ。
もし、タイムリミットが定められていたら難しかったかもしれないが。
―――すると、あのカウントはなんなのだろう。
『コロシテヤル!! ギャ!!』
焦れたのか特攻してきた人形に見事に命中した。
きっと脳みそがちっちゃいに違いない。
僕が誘っていることに気が付かないとは。
もし、こいつが僕を本当にやりたいのならば人形としての利点を生かして足を使った攪乱をし続けて、隙をつくのが一番だったはずだ。
もっとも、こんなに見通しのいい〈護摩台〉の上では隠れる場所もない人形には不利な場所でしかない。
だからこそ、最初に脅かして機先を制することが必要だったはずだ。
「ちょっとごめんよ」
鎖の一撃を受けて転がっている人形を踏んづけると、そのままグルグル巻きにした。
壊してしまうという手もあるが、せっかく話ができるのだ。
危険のない範囲で利用させてもらおう。
『ヤ、ヤメヤガレ、コノニンゲンメ!!』
「謝ったじゃないか。それでいいよね」
『ザケンナ! テメエ、ノウミソガカラッポナノカ!?』
「うるさいなあ……。ホラー映画の登場人物がいつもいつも君たちみたいなのにいいようにされると思ったら大間違いだよ」
完全に人形を固めて、さらに重い南京錠までぶら下げてあげた。
これでもう動けないだろう。
意外と簡単に終わって助かったよ。
僕だって伊達に御子内さんや退魔巫女たちと一緒に活動していたわけじゃない。
この世にある妖魅という存在がどういう風に人を襲ってくるかは経験としてだいぶ学習している。
勇気をもって立ち向かえばたいていのものを退治はできずとも、対峙することは不可能ではないのだ。
御子内さんが教えてくれた。
「じゃあ、次はどうするか……」
僕は周囲を見渡した。
〈護摩台〉の外にはでられそうにない。
いくらなんでも正体不明の化け物がいるのだから、下手な行動は命取りになる。
すると、あとは……
「やっぱりこの液晶テレビかな……?」
僕はもう一度テレビに近づいて、人形のぶら下がっていた背面を見た。
フックがとりつけてあった他にないかと観察してみると、文字のようなものが書いてある。
本当に小さかったが、何とか読み取れた。
「―――テレビをつけろ?」
特に怪しくもない指示だ。
また、なにか危険なことでもあるのかと思っていたのに……
ただ、他に手もないし、従ってみようかな。
前に戻ると、僕はとりあえず人形に聞いてみた。
「テレビをつけるとどうなるか知ってる?」
『―――ジゴグニオチロ』
「わかりやすい返答をありがとう」
僕は鎖の先をもつと、トップロープ越しに人形を外に出して、そっと下ろした。
釣りでもする要領だ。
何をしようとしているのか悟ったのか、人形が身体をゆすり始めた。
『ヤ、ヤメヤガレ、テメエ!! ザケンナ! コロスキカ!!』
「あれ、下に何がいるかわかっているんだ」
『アタリマエダ!! アイツハナンデモクッチマウバカナンダ!! クワレチマウ!! ノンケデモダ!!』
「それは知っているけど、人にものを頼む態度じゃないね」
『ブッコロスゾ!!』
「―――君が?」
僕はもう少しだけ人形を縛った鎖の位置を下げた。
さっき触手に巻き付かれた高さギリギリまで。
「誰を殺すの?」
ちょっと揺さぶった。
すると、人形はもがかなくなり、
『マテ。マッテクダサイ』
と弱気な口調になった。
さっきから思うに非常に人間臭い妖魅だ。
「テレビをつけるとどうなるか、知っているの?」
『―――クロカミノオンナノバケモノガデテクル』
「ありがとう。助かったよ」
僕は人形をマットの上にそっと横たえてあげた。
落としてしまってもよかったのだけど、妖魅相手の約束破りは祟られそうなのでやめておいた。
まだ利用価値ありそうだし。
(ただ、黒い髪の女が出てくるって……テレビの中かな)
何だか知らないが、この室内はびっくり箱にでもなっているのか。
どうすれば逃げ出すことができるのか、はっきりいって未だに糸口すらつかめないというのは厄介極まりなかった……
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