第320話「勇気と……」
自分の手首に、〈護摩台〉からカエルの舌のような勢いで飛び出して来て巻き付いた触手を見ても、升麻京一の様子にはたいした驚きはなかった。
普通の少年とは明らかに違い、落ち着き払って触手を観察している。
グイグイと下方に引っ張られる。
五センチほどの太さしかない触手であったが、引っ張る力は強いものらしく、京一の身体が前に屈む。
このままでは肉体ごと〈護摩台〉の外まで引っ張りだされることになるだろう。
そうなると、手についた手錠によって彼の身体は左右に圧力をかけられて、最悪そのまま八つ裂きにされてしまうおそれがある。
なのに京一が落ちついているのは、巻き付いてきたのがツナギの袖であったことから、その部分を外してしまうことで圧迫から逃れたのだ。
彼の着ているツナギは袖の部分がファスナーで脱着可能なものであったのだ。
彼は最初から何かが手に仕掛けてくることを予想してそういう防御策をとっていたのである。
もし、他にこのことを観察している者がいたら感心の声を上げたであろう。
升麻京一は〈護摩台〉の下からなにかあることを完全に想定していたのだ。
おそらく、触手の存在は彼の考えとは違っていたかもしれないが、それでもたいしたものだと考えられるだろう。
ツナギを犠牲にして、京一はその間に落ちていた鍵を掠め取る。
このあたりも抜け目ない。
着ている服を犠牲にするというアクロバティックな動きのため、身体を変に捩ったせいでかなり痛々しい格好ではあったが、なんとか京一は目的の鍵を手に入れることに成功した。
触手は外れた袖をそのまま、引っ張って〈護摩台〉の下に消えていった。
おそるおそる様子を見ていると、ぷっと消えたはずの袖が上に向けて飛んできてマットに落下してきた。
絡みついていた部分が千切られてなくなっていた。
「美味しくなかったみたいだね……」
どうやら、触手によって引っ張られた先には鋭い歯のついた口が待ち構えていたようである。
ざっくりと切り裂かれていた。
京一はとてつもなく嫌そうな顔をして、しばらくボロボロになったツナギを見つめていた。
「……タコの手のついたサメでも飼ってんのかな」
京一はじっと〈護摩台〉の外を見た。
彼が不用意に動こうとしないのは、降りた途端に何かが起きるという確信があるからだろう。
実際に、手を伸ばしただけで襲われたのであるから。
しかし、この年齢にしては警戒心が異常なほどに強いことがわかる。
「うーんと、やっぱりここから外には出れそうにないか」
そう呟くと、鍵を手にしてコーナーポストに近づく。
鍵穴に差しこむとガチャリと音がして外れた。
これで鎖が取れて自由になる。
京一の手にはまだ手錠がついたままだが、それは右手に巻きこんでしまう。
「さて、じゃあまずやるべきことは……」
そのまま、マットの反対側にある液晶テレビに近づく。
だが、簡単には近寄らずできる限り、左右から観察して様子を窺っていた。
背面に何かがあるようだが、とくに正面にはおかしなことはないと判断すると、ようやく傍にいく。
用心深い少年だった。
テレビの裏側から伸びているケーブルを引くと、これも〈護摩台〉の下に伸びている。
ということは京一にはどうにもならないということだ。
彼の足元のマットのさらに下には、さっきの触手と恐ろしい牙をもった何かが潜んでいる可能性があるのだから。
触らないように背面を見ると、さっきはわからなかったが、人形がくっつけられていた。
なまはげに似た赤鬼の人形だった。
かなり大きい。
立たせてみれば三十センチぐらいはあるだろう。
金属のフックでひっかけられている。
さっき映像で見たものと同じだろうか。
手にはなまはげらしい小さな包丁を持っているが、これは金属でできていて生々しい。
一瞬怯んだものの、京一は少し下がると手錠の鎖の先端を掴み、投げ輪をする要領でその人形にぶつけた。
ちっと舌打ちがどこからかする。
同時に背面に引っかかっていた人形がぎろりと睨みつけてきた。
誰かが動かしているようには見えず、まるで生きているかのごとく、小さな包丁を振り上げる。
『ヤッタナ!! タタイタナ!!』
腹話術の人形のように、開閉用のギミックのついている口が開いて、耳障りな声を発した。
すでに人形とはいえず、癇癪を起した小さな子供といってもいい。
だが、子供と呼ぶにはあまりにも鬼気迫るものがあった。
『キサマ、コロシテヤルゾ! オレヲダレダトオモッテイヤガル、コロシテヤル!! ケケケケケ、コロシテヤル! キサマノホソイチンコヲモットホソクシテヤルゾ! イタクテナイテモユルシテヤラネーゾ!!』
怨嗟の言葉を発して、包丁を突きつける人形。
『ヨッコラショ』
自分をつり下げていたフックを器用に外して、赤鬼の人形は飛び降りた。
オットットと着地の際にバランスを崩すが倒れずにはすむ。
それから、ようやく包丁を新しく構え直すと、
『コロシテヤル!!』
と叫んだが、当の目標はすでに彼の傍にはいなかった。
少し離れたところで、かつて自分を縛っていた鎖を手に取ると、振りやすい範囲で回転し感触を掴む練習をしている。
『―――ナニヲスルキダ?』
すると、少年は答えた。
「いや、君を撃退するための準備だよ。予想だと爆発したりするんじゃないかなと思っていたけど、まさか普通に動くとは思わなかった。えっと、僕には鉄鎖術みたいな武芸はないから、悪いけど手加減できないんでヨロシク」
『ナンダトオオオオオ!!』
赤鬼にとっても、自分にとっても予想外の展開が繰り広げられそうであった。ち
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