第310話「見えない恐怖」



 日が暮れてから友達からかかってきた電話に、さすがの切子も凍りついた。

 もたらされた情報には、確かに覚えがあったはずだ。

 小学生になった直後ぐらいに、学校の教師の音頭にのって書いた「サンタクロースへの手紙」。

 どんな内容だったかまでは覚えていないが、実際に返事がきたことも記憶にある。

 まさか、十年近くたってそんなものが災厄となって降りかかってくることになろうとは想像をはるかに超えていた。

 スピーカーモードで聞いていた隣の蒼も驚きを隠せない。


「―――切子が、その〈殺人サンタ〉に狙われているってことッスか!?」

「まだ確定じゃない。私が危ないってだけ」

「同じことじゃないッスか! ヤバいッスよ! 逃げる準備をしないと!」


 蒼は座り込んだ切子を立たせようとするが、彼女はそれを断った。

 だいたい、どこに逃げればいいのか。

 切子にとっては自分の家以外に行けそうなところは思い当たらなかった。


「どこに?」

「警察とか……」


 蒼の現実的な提案に対して首を振って否定する。

 彼女は去年、妖怪〈ぬりかべ〉の事件に遭遇している。

 その時に、一般人にとっては妖魅にまつわる事件は認識されないということに気が付いた。

 そもそも妖怪や幽霊というものは、ほとんどの人間の目には映らない。

 彼女たちも実際のところ、退魔巫女である御子内或子と接触しなければ視界にすらはいらなかったのだ。

 何故か、と切子は考えた。

 半年ほど色々と仮説を立てた結果、一つの彼女なりの結論を出した。

 或子が言うところの「妖魅事件」について、彼女が所属する〈社務所〉などだけではなく、他の公共機関も隠蔽するのが自然となっているのは何かしらの無意識な反応ではないのかということだ。

 例えば、「閲覧注意」というタイトルがついていればインターネットを頻繁にする人間でも、その情報は避けたがるものだ。

 怪しいタイトルのサイトを踏めば、ウイルスが感染するとわかっていれば、よほど無知か対策を講じられる人間以外は無理にクリックしないものである。

 つまり、人間は危ないというものに対して意識的・無意識的に避ける習性がある。

 それは妖魅に対しても同様だ。

 しかし、たまに時折妖怪のようなもものがカメラなどに撮影されることの説明がつかないが、それに対しても答えはある。

 おそらく、人間はのだ。

 自分では対処できそうにないレベルの妖魅だと無意識―――もしかしたら魂と呼ばれるものかもしれない―――が判断すると、例えはっきりとした証拠があっても記憶から抜けてしまう。

 研究者にでもならない限り、おそらく自分が見たものを完全に忘却してしまうのかもしれない。

 では、どうして切子や蒼が〈ぬりかべ〉のことを覚えているのか。

 答えははっきりしている。

 

 退魔巫女として、理不尽に降りかかる超自然の存在に対して敢然と立ち向かい、それを撃破することのできる人間たちの決戦的存在を。

 言い換えれば、

 かの条件を満たすことで人は、真の闇を見据える力を備える。

 切子や蒼が妖怪を見たことがあるのは、そのおかげであろう。


(霊能力でもついたのかも)


 とはいえ、今回のことはそういったレベルの話ではない。

 原因となっているのは十年前に彼女が出した手紙の存在だ。

 電話越しの会話としばらくして送られてきたメールによると、問題となっているのは〈殺人サンタ〉という殺人鬼だ。

 しかも、本物は十年前に死んでいるというらしい。

 まったく何がなんだかわからない状況というしかない。

 だが、少なくとも彼女の友達は信じられる戦士であり、頼れる巫女なのだ。

 或子の言い分を120%信じないなんてことこそ、まさにありえないことだった。


「―――警察はあてにならない。こんな話、誰も信じない。私たちが信じていいのは〈社務所〉、中でも或子と京一だけ」

「あれ、どうしてッスか? 他の巫女さんでもいいんじゃないッス」

「……京一からのLINEに変な忠告があった。それを踏まえただけのこと」


 京一の忠告は平たく言えば「とにかく気を付けろ」ということでしかなかったが、切子としては注意するに越したことはないことだった。


「〈殺人サンタ〉というのが本当なら、自分と切子はどうすればいいんスかね」

「逃げるのは論外。隠れるしかない。でも、逃げ場はない」

「切子んちに立て籠もるの?」

「―――それしかないかも」


 その瞬間、部屋の電灯が消えた。

 他の電源と直結している光も途絶えた。

 停電であった。

 いかにも、殺人鬼がやってくる寸前という狂いかけたシチュエーションが始まっているのだ。

 予感はしていたとしても、現実に直面すると震えが走る。

 まさかという疑問を胸の中で掻き消した。

 あの日、あの時、自分たちの通う学校へ忍び入った彼女たちが遭遇した怪奇のことを思い出せばいい。

 単に好奇心から侵入し、妖怪〈ぬりかべ〉に身体の半分を呑み込まれたときのことを。


「マジで〈殺人サンタ〉来るんスね!」

「信じていなかったの?」

「まさか! 自分、切子のいうこと疑ったりはしないッス」


 蒼は慎重に窓に近づいた。

 この部屋は三階建てのマンションの三階に当たる。

 窓から入ってくる可能性は低いはずだ。

 だが、蒼は普段の間抜けさからは比較にならない慎重さを発揮し、窓に向かうと、そっとガラスに手をかける。

 ピーンと耳をつんざく奇妙で鋭い音が聞こえ、切子の部屋のガラスが割れた。

 横合いから突きだされた太い指が蒼の手首を掴もうとしたが、咄嗟に引いたことで免れる。

 二人は見た。

 その指は赤い生地と白い縁取りをした袖に包まれ、窓の上角からこちらを覗き込む淀んだ黄色く丸い瞳を。

 明らかに白人の―――黒々とした血飛沫で薄汚れた顔を。


『―――I got it!!みーつけた


 耳障りなバスの声が切子たちの耳朶を穢した。

 やはり、怪物は予感の通りに切子の元へとやってきていたのだ。

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