第301話「暗い日曜日」



 ダミアの「暗い日曜日(Sombre dimanche)」は1933年に発表された。

 ハンガリーの首都ブタペストのレストラン「キシュ・ピパ」でピアノを弾いていたセレシュ・レジェーが作曲し、店のオーナーであったラースロー・ヤヴォールが作詞を担当している。

 当時、世界大恐慌の真っただ中であったハンガリーでは、この歌を聴きながら、あるいは聴いたあとで自殺する者が続出したことから、販売や放送が禁止されることになったという。

 それに限らず、欧米や日本でさえ、この曲を聴いて自殺するものが数百人出たと噂されている。

 なぜ、この曲を聴いて自殺する人が増えたかという答えに辿り着いた心理学者はいない。

 最初に歌ったのはパール・カルミールだが、多くの歌手によってカバーされて、最も有名なカバー歌手がシャンソン歌手のダミアだった。

 ダミアの歌うこの曲は、恋を弔う歌であり、「自分の生命よりもあなたのことを愛していた」こと、「苦しさに耐えられなくなったら日曜日に死のう」と歌ってはいるものの、自殺することを決めたものではなかった。

 それだけ恋に真剣であったからこそ、今は辛くて仕方ないという気持ちを歌い上げている。

 悪評通りの自殺を推奨する歌ではないことが重要である。

 もっとも、「暗い日曜日」には、バックワード・マスキングと言う手法が使われてると言われている。

 バックワード・マスキングとは、曲を逆再生する事で歌詞が変化して別曲になるというものであり、通常再生では普通の曲に聞こえても聴き手の深層心理はバックワードを確かに認識しているのだという。

 そして、この曲にはバックワードには死を連想させる言葉が羅列されている。

 作曲家であるレジェーは1932年12月にこの曲の歌詞と曲を作って、一度は著名な出版社に投稿し発表しているが、元の歌詞は使われず、ラースローの歌詞が使われた。

 レストランのオーナーであったラースローは当時婚約者を失ったことで失意の底にいたが、なぜ、彼の詩が使われたのかについては不明な点も多い。

 もし、バックワード・マスキングを意図的に使っていたというのならば、レジェーではなく別の誰かがこの曲を自殺を誘発するものに仕立て上げた可能性は高い。

 第二次大戦が挟まってしまったために、現在では誰が「暗い日曜日」に関与したのか、まったくわからなくなってしまっているのではあるが……

 ただ、大恐慌と戦争という二つの人類への逆境が産みだした徒花であったといもいえるかもしれない。

 それがダミアの歌い上げた「暗い日曜日」なのである……



              ◇◆◇



 僕としては、聞くと自殺したくなる曲なんてありえないと思っている。

 だから、多少の抵抗はあったが事前に〈不死娘〉の曲も聴くことができた。

 その歌―――「夢のポジション」は、ごく普通の失われた恋の歌というものだったから、恐ろしいともおもわなかったけれど。

 ちなみに、「暗い日曜日」同様に逆再生とかも試してみたけれど、おかしなことはなかった。

 もし、問題があるとしたら、曲そのものではないと思う。

 実際にライブ中に飛び込みがでそうとなった限り、まず何かがあるとは考えられるけれど。


「―――やっぱり、もうアレ歌うのは止めようよ、コハちゃん」


 サブ・リーダーを勤めるアヤコさんが言った。

 他のメンバーも頷く。

 首にロープをかけて飛び降りたナナミさんというメンバーはまだ気を失ったままで、楽屋の隅で横になっている。

〈不死娘〉のメンバー四人とプロデューサー兼マネージャー、そして彼女たちの個人事務所の代表がここに集まっていた。

 他にも関係者はいるのだが、さすがに内容が内容なので人数を絞ったのだ。

 あとは、僕と御子内さんがお邪魔させてもらっている。


「でも、アレはなっちゃんの……」

「そのなっちゃんのせいで、〈不死娘うち〉らが終わっちゃったら本末転倒じゃない」

「確かにそうなんだけどさ……」

「なっちゃんだって、自分の歌が原因で〈不死娘〉が終わったら死ぬに死ねないよ」

「アヤコ! まだなっちゃんは死んでない!」

「でも、連絡だってつかないんだよ! 同じじゃん!!」

「言っていいことと悪いことの区別がつかないの、あんたは!!」


 言い争いを始めたリーダーたちを、あと二人が困った顔で見ていた。

 怯えた翳もさしているし、このままいけばグループ解散もありえる暗い雰囲気だ。

 揉めている原因は「なっちゃん」という人のことなのだろう。

 グループ名のプロフィールを思い起こすと、「なっちゃん」というあだ名に該当しそうな人は一人しかいない。

 立ち上げ時の初代マネージャーだった篠崎菜津子という女性だ。


「なっちゃんだって、わかってくれるよ! だいたい、なっちゃんが毎回セットアップにアレを入れてくれって頼んだわけじゃないじゃん!」

「あんただって知ってんでしょ! なっちゃんがあの曲を凄い大事にしていたの! 私たちが歌うことにしたときの、なっちゃんの嬉しそうな顔を忘れたの! あんた、そんなこと言ってなっちゃんに顔向けできんの!」

「それでうちらが潰れちゃったら、なおのこと駄目じゃん! もっと駄目じゃん! コハの頭堅すぎ!」

「堅いとかどうとかじゃないの!」


 マネージャー兼プロデューサーは、二人の言い争いよりも僕らの方が気にかかるらしい。

 ちらちらと様子を窺われている。

 さっきから御子内さんがずっと黙っているが気になるのだろう。

 彼女はと言うと、僕のディスクマンでずっと〈不死娘〉のインディーズCDを聴いていた。

 僕らの視線に気が付いたのか、御子内さんは顔を上げた。

 芸能事務所の社長と目が合う。

 この社長は中年の髪の薄い男性で、所属のタレントといえるのは〈不死娘〉とあと二人ぐらいという零細の中の零細の代表なのだが、もともと大手で仕事をしていたらしい。

 独立して今の事務所を立ち上げたばかりだという。

 こぶしさんの知り合いで、今回〈社務所〉に連絡をしてきたのも彼だ。

 何年も前に妖怪絡みのトラブルに遭遇したのだろう。

 だから、退魔巫女のことを知っているのはこの人しかいない。

 逆に、メンバーもマネージャーも僕らのことを一切知らないのでやや遠巻きにしている感じだ。

 まあ、改造巫女装束の御子内さんとどう見ても高校生の僕なんか、胡散臭いといえば胡散臭いし仕方のないところである。


「やっぱり何度聴いてもこのCDにはおかしな気配はないね。例の自殺した人たちの中にCDを聴いていたという被害者がいたようだけど、それはこれと同じものなのかい?」

「い、いえ、おそらくライブの生音源をCDに焼いた特別版だったと思います」

「なるほど。やっぱり、ライブ絡みか。まあ、でないとこんなことにはなりもしないか」


 御子内さんは耳からイヤフォンを外して言った。


「―――だいたい事情はわかったよ。こちらの調べとも一致するしね」

「あのー、さっきから気になっていたけど、あなた、本物の巫女さんなの?」

「本物だよ。それは間違いない」

「でも、その……なんか変な格好だし……」


 どこが、という顔をされたので、僕は「さあ」と返しておいた。

 もう御子内さんの格好なんて今更だ。

 まだステージ衣装のままのメンバーが混ざっているので、逆にいつもより違和感がないぐらいなのに。


「ボクはキミらにまつわる妖魅絡みの事件を解決にきた、まあ妖怪退治の専門家さ。ちなみに、彼はボクの助手の京一。そんなに長くは掛からないから、四の五の言わずに協力してくれると助かる」


 長くはかからないと簡単に言われて、ここにいたメンツは鼻白んだ。

 この曲にまつわる自殺の話はもう一ヶ月も謎のまま彼女たちにのし掛かってきたのだ。

 そんな気楽に解決できるのなら苦労はない。

 御子内さんたちのことを知らなければ、それこそ反発を覚えかねない発言だ。

 ただ、僕は経験則上、彼女の言うとおりになるだろうと思っていた。

 なんといっても退魔巫女は何があっても力技で物事を解決するのが信条で、たいていの事件は物理的にどうにかなるものだと理解させられていたからである。


「―――「夢のポジション」を歌うのはリーダーさんだけかい?」

「いえ、とりあえず皆練習はしているわ。ソロ曲って少ないから。ステージで歌うことがあるのは私とアヤコぐらいだけど」

「歌っていて何かおかしなことは? あと、キミが自殺したくなったことはあるかい?」

 

 琥珀さんは首を振った。

 横に。


「歌っている最中に、と、感じたことは?」


 この質問に対して、わすがに間があった。

 結果として否定されたが、少なくともおかしすぎない程度に違和感はあったのだろう。

 御子内さんも納得顔をしていた。


「……京一、そのなっちゃんというマネージャーの行方は?」

「行方不明らしいのは本当。禰宜さんたちが戸籍謄本まで調べたけど、死亡届はでてないことぐらいまでしかわからなかったらしいよ」

「……じゃあ、その女性が行方不明になった理由は?」

「それも不明。でも、ちょうどいいから、こここの皆さんに聞いてみたら?」


 御子内さんはふわりと室内を見回した。

 メンバーもスタッフもなんだか目をそらす。

 何かある。

 僕らでなくても、誰でもわかることだった。


「なっちゃんは関係ないんじゃないですか?」


 琥珀さんは言うけれど、たぶん彼女の本心じゃない。

 だって、みんなの顔に書いてあるから。


「別にそうでもいい。でも、ボクは知りたいんだ」


 耐え難い沈黙が続いたのち、彼女たちは口を開いた。

 なっちゃんという女性について。

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