第300話「スーイサイド・ソング」



 アイドルのライブというのは、なかなかに夢の空間だ。

 華やかな衣装の女の子が一生懸命踊って歌っているのを、サイリウムを持って詰めかけたファンが声をからして応援する。

 武道館のような整った施設と違って、地下アイドルが活動拠点しているようなライブハウスみたいなところは、客観的にカメラで撮影したりすると安っぽいのだが、その興奮の中に入ってしまうと溶けるように一体になれる。

 狭く、暗い、室内というシチュエーションが、ある意味では黒魔術のサバトのような異様な盛り上がりを演出するのかもしれない。

 とりあえず発光するサイリウムを御子内さんの分も用意しておいてよかった。

 こういう場所には不慣れなはずの彼女もノリノリになって、周りに合わせて適当にMIXを打っている。

 珍しい光景だなあと思ってしまった。

 正直な話、僕の友達の退魔巫女の中では、御子内さんが一番この手のノリにはついていけないような気がしていたから、まさに意外な一面という感じだ。

 七曲目の「努々ゆにゆにマニマニ」が終わると、四人がそれぞれ上手と下手にはけていき、舞台にセンターの波佐だけが残った。

 彼女の見せ場が始まったのだ。

 それは僕たちが待っていた場面でもある。

 波佐がこれから歌うのは例の「聞くと自殺してしまう歌」だからだ。

 御子内さんが例に出したダミアの「暗い日曜日」は曲調と歌詞がダウナーなものだから、当時の社会の閉塞状況と結びついて自殺したくなるような気分にさせたのだろう。

 バンドマンの技術の高さもあったのかもしれない。

 だが、基本的に打ち込みで流れる今どきのアイドルソングでそんな風にはならないと思う。

 しかも、サイトにあげられたような動画やCDに入った曲で、だ。

 ここに来る前におそるおそる僕も予習してきたが、おかしなところはなかった。

 御子内さんもありえないと言っていたぐらいだ。

 だから、ライブで実際に聞いて判断しようということなのである。


「始まるよ」

「そうだね」


 しっとりとしたメロディが流れだす。

 自殺のイメージとは違う拍子抜けの甘いメロディからのソロのラブソングだ。

 いい曲なのだろうというのは掴みでわかる。


 靴の踵を三回鳴らして あの世界に戻りたい

 あなたと並んだ あの場所に

 道路沿いの街路樹が よりそった二人に見えてくる

 小さな希望を詰め込んで 彷徨い始めたあの時代

 口ずさむ曲は幸せだった日のイリュージョン ♪


 ―――昔を懐かしむ詩だった。

 まだ十代の僕らと同い年ぐらいの子たちが歌うには早すぎる。

 ただ、あまりにも詩と曲がマッチしていて、これはと唸らざるを得ない。

 何度か耳にしておいたが、生で聴くとさらにぐっとくる。

 自殺したくなる曲なんて悪評が立っても、〈不死娘〉がセットアップから外せないのがわかる。

 確かに、この色々とキワモノ的なものをつめこんだグループにとっては宝物にしなければならない代表曲だろう。

 気になるのは、この歌が始まった途端に妙に静かになった一画があることだ。

 どうもこの歌の悪い評判を真に受けている連中っぽい。


「京一、あれ」


 御子内さんの指の先には、舞台上方に据え付けられたスポットライトがあった。

 眩しいけれど目を凝らすと、そこで人間が動いている。

 注意してみないとわからないがスタッフだろうか。


「えっ」


 ちらっと見えたのは、ロープだった。

 しかも、その先端を自分の首に巻こうとしている。

 僕ら以外の客はステージ上のアイドルばかりに集中していてまったく気が付いていないけれど、あれはもしかしたら首吊り自殺の準備なのだろうか。

 この曲が流れている最中であるのだから、なおのこと可能性は高い。


「……止めないと」

「でも、それだとこのライブが中止してしまう。しかも、ライブ中に自殺未遂なんか起きたらスキャンダルだ」

「でも、放っておくわけには」

「ボクが術を使う。京一は最前列に行って、あの人物が飛び降りようとしたら受け止めてくれ」

「……できるの?」

「ボクの方でタイミングを計る。柏手を二拍したら、術がここの室内に効力を発揮するからその間に助け出してくれ。京一は、一度目の柏手が聞こえたと同時に全身を緊張させてくれれば免れるから」

「よくわかんないけれど、了解」


 僕はイスがあっても立ち見しかいない客席の隅を前へと進む。

 誰も座っていないのである意味では動きやすかった。

 当然、歌に聞き入っているファンからすれば迷惑な行為で、舌打ちとかではすまず、小突かれたり肩をぶつけられたりしながら、なんとか最前列に行った。

 普通の状態なら僕だって絶対にこんなことはしない。

 だけど、ステージの上で危険な行為をしている人物はもうすぐ飛び降りるかもしれないのだ。

 狭い小屋とはいっても、照明のぶら下がっているセットは高さが三メートルある。

 首つり自殺というのは、ドアノブにタオルを引っかけてもできるものなので、あれだけの高さがあれば十分だ。

 飛び降りる瞬間にでも受け止められれば大丈夫か。

 でも、こんなライブ中にあそこまでいけるかな。

 もう少し近寄りたいけど、さすがに最前列の中央まで行くと喧嘩にでもなりそうだ。

 御子内さんが術をかけるというけれど、それの効果もわからないし……

 そして、そろそろ歌が終わろうとするとき、セットの上の人物がすくっと立ちあがった。

 さっきまでは四つん這いで色々と動いていたのに、はっきりと立つだけの仕草となったのだ。


(くる!)


 僕は確信した。

 御子内さんだってわかっているはずだ。

 ならば、今しかない。


 パン


 聞いたことのないような大きな響きの柏手の音がした。

 室内を波のようなが広がっていく。

 準備して緊張していなければ僕まで

 この時にもっていかれるのは間違いなく「意識」である。

 一度の柏手だけで、百五十人が完全に静止したのだ。

 それは観客席のファンたちだけでなく、ステージにいる波佐琥珀も、セットの上の怪しい人物も。

 ただ、あんなところで突っ立っていたのだから、静止したショックでバランスを崩すのも当然のことだ。

 頭からステージ目掛けて落下しそうになる。

 僕はわき目も降らず落下地点に飛び込んだ。

 頭からではなく、微妙に背中からだったので受け止めやすかった。

 正直、宅配便のバイトで運んだ冷蔵庫や〈護摩台〉を設置するときの資材の方が重かったのである。

 僕が助けたのは、なんと藤娘っぽい衣装の女の子だった。

 つまり、〈不死娘〉の一人なのだ。

 助けることができてホントに良かった。

 僕が受け止めたと同時に、またも柏手が鳴った。

 再び、例の揺らぎのような波が室内に螺旋のように広がり、僕はまた

 なんとか耐えたけど。


「京一、上手に下がれ!! 数秒したらみんなの意識が元に戻る!!」

「あ、うん!」


 アイドルを抱きかかえたまま、僕はステージの上手に飛び込んだ。

 見ると、他のメンバーとスタッフさんらしい人たちまでが何人か静止していたけれど、数人は何が起きたかわからず戸惑っていた。

 突然、乱入気味の僕に対しては落ちてきたメンバーを助けてくれたということがわかったらしく、必要以上に警戒されなかったのは助かる。

 あとで御子内さんに聞いたところによると、〈人払い〉という導術の応用で人の意識を数秒間麻痺させるというものらしい。

 常日頃から全身に〈気〉を通わせている退魔巫女にはまったく無害で、僕がやったようにくるのがわかって準備していれば「意識」を持っていかれることはないそうだ。

 完全に閉じられた部屋でないと効き目が薄いということだが、今回は曲に全員の神経が向いていたおかげで、裏で控えていたスタッフやキャスト以外にはほぼ完ぺきにかかったということである。

 もっとも、曲の流れている最中に「意識」がとんだことで、ライブの段取りは完全に混乱した。

 全員、何が起きたかわからないのだからそれも当然だ。

 そのせいもあって、今回のライブはここでお開きということになり、不完全燃焼のまま終了とされたのである。

 ファンは、もやもやした感覚を残したまま、ライブハウスから出ていき、通常は行われるハイタッチもなされなかった。

 そして、完全に客がはけた後、僕と御子内さんは〈不死娘〉の楽屋にお邪魔させてもらった……



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