第278話「パフォーマンス&パフォーマンス」



 MPを吸い取られる不思議な踊りというものがある。

 ゲームの中の話ではあるんだけれど、実のところ、踊りというものには呪術に力を与える作用が含まれているということだ。

 呪術というとアフリカの部族が踊るようなものを想像しがちだが、日本でもそういう踊りは存在する。

 例えば、岩戸に隠れた天照大神を引き出す手助けをしたアマノウズメの舞いなどは、まさに呪術的舞踏といってもいいかもしれない。

 戦国時代の武将だって、戦いの前に能を踊ったりしたし、民衆に流行った風流舞なんかもある意味では呪法だろう。

 だから見かけが滑稽そのものの動きでしかなかったとしても、踊っている存在が妖怪であるということを考えて僕らは緊張した。

 ロバートさんも、ブルネットの美人女子高生のまま、〈ぬらりひょん〉の動きから眼を離さない。

 彼もわかっているのだ。

 てんちゃんと幾つかの修羅場を潜ってきたということは事実なのだ。

〈ぬらりひょん〉の手にはいつの間にか扇子が握られていた。

 音楽もリズムもとれないからか、ギクシャクと酷い調子で踊りだす。

 しかし、僕の目にもわかるぐらいに踊りの速度が上がっていく。

 まるでバラードからロックに、さらにメタルに曲調がアップテンポになっていくかのように。

 明らかに人を突き動かすような力を備えた、不器用な舞い。

 どんな音も聞こえてこないというのに、池袋駅のホームにいる人たちの視線がどんどんと集中していく。

 この人たちは通勤・通学のために急いでいるはずだ。

 道行く足を止める時間も惜しい人もいるに違いない。

 だが、そんな人たちでさえ、我知らず足止めされてしまうほどの注目を浴びながら、〈ぬらりひょん〉は舞い続ける。


 ひら


 僕の手が〈ぬらりひょん〉と同じ形で動いた。

 無意識のうちの出来事だった。

 思わず真似てしまったということだった。

 はっと気が付くと、周囲の人混みのいたるところで同じ現象が起きていた。

 みんなが何故か〈ぬらりひょん〉を倣って踊りだしたのだ。

 柔軟さと鋭い音感がなければ追随することもできなそうな〈ぬらりひょん〉の動きについていっている。

 僕にダンスの経験はないし、音感らしいものがあるとは思えない。

 でも、それでもわかることはある。

 あの〈ぬらりひょん〉の舞いに初見でついていける人間なんてそうはいない。

 振付そのものは難しくないが、真似するにはありえない速度が必要だ。

 なのに、ホームの人々は難なく妖怪についていっている。

 つまり、あれは……


「〈ぬらりひょん〉の秘儀だ!」


 人の視野を誤認させて見えなくさせるのは、〈ぬらりひょん〉の特性といってもいいものだが、妖怪の切り札ともいえる秘儀ではない。

 今までの経験則上、すべての妖怪はなんらかの秘儀を隠し持っている。

 それはまさに必殺であり、妖怪の奥の手そのものだ。

 そして、あの不格好な舞いはきっとその秘儀に違いない。

 どういうものかはわからないが、状況を見ると、見物しているものを巻き込んで自分の踊りに同調させてしまうもののようだった。

 しかも強制的に。

 僕たちと違って〈ぬらりひょん〉がどういうものかを知らない人たちを操るには十分すぎる魔の誘いであった。

 すると、次にこの妖怪がするべきものはなにか。

 手枷がついている以上、もうしばらくは消えることはできない。

 僕たちから逃れるために、あいつがやりそうなことは……


「そうか!?」


 消えて逃げられないなら、紛れて逃げればいい。

〈ぬらりひょん〉はホームの人々を盾や煙幕の代わりにして、その中に隠れようとしているのだ。

 そのために踊りで衆目を集め、操ろうとしている。

 だが、そんなことをさせてたまるものか。

 なんのために女装までして、しかも尻を触られるわ、うなじを舐められるわ、乳を揉まれるなどして苦労したのかわからなくなる。

 結構、男子として危ない橋を渡った意味がなくなるのだ。

 変な道に目覚めたらどうなっていたことだろう。

 実際、ちょっとロバートさんの女の子の格好にときめきそうになったし!!

 絶対に逃がさない。

 僕は〈ぬらりひょん〉目掛けて飛びついた。

 しかし、それは間に入った誰かに拒まれた。

 ブルネットの美少女によって。


「ロバートさん、何してくれてんの!?」

「……あ、いや、別におまえの邪魔をする気は……身体が勝手に……」


 やっぱり舞いを視ているものを操る秘儀か。

 おかげで美少女姿のロバートさんがぐいぐいと締め付けてくる。

 正体はともかく、可愛い女の子に抱き付かれる気分は悪くないんだけど、浸っている場合ではない。

 僕がやらなければならないことは一つなのだから。


「ロバートさん、手を挙げて」

「ああ」


 その隙にハグから脱出する。

 完全強力な支配という訳ではなさそうだ。

 そもそもこれだけの人数を魅了しようというだけあって、そんなに強力なはずはない。

 ロバートさんが意志を籠めて動けば抵抗できる程度のものだ。

 僕の動きだって止め切れてはいないしね。

 ということで、僕はロバートさんを振り切ってもう一度〈ぬらりひょん〉に向かった。

 踊ることで他人を操ることができる以上、止めることはできないらしく、〈ぬらりひょん〉は舞ったままで人ごみに紛れ込もうとする。

 老若男女の乗客たちが僕との間に立ち塞がる。

 見た目だけは女の子の幻術がかかっているけど、スカートをはいた状態以外は男のままの僕だから、なんとかタックルしてしがみつければ……

 だが、それさえも拒まれた。


「こんにゃろ!!」


 僕はカバンをぶつけようと振りかぶったが、それは隣の人たちに押さえられてしまい、なおかつ取り上げられてしまった。

 万事休す。

〈ぬらりひょん〉にこのまま逃げられてしまうか、と諦めてしまいかけたとき、


〔こんばんは、熊埜御堂てんです〕


 ホームのスピーカーを通して、こんな聞き覚えのある自己紹介が流れてきた。

 同時に、ここにいたすべての人が一瞬だけきょとんとした顔をして、


「こんばんは、辻聡です。渋谷の三菱でディーラーをやっています」

「こんばんは、塩田守男です。派遣社員でこれから現場に行くところです」

「こんばんは、大谷聖子です。小田急でキヨスクに勤めています」

「こんばんは、稲架いずみです。雑誌のモデルを……」

「こんばんは……」

「こんば……」


 と、焦点の合わない眼で自己紹介を始めていく。

 あまりに数が多いので一人一人がなにを言っているかはわからないが、見える範囲の人すべてが突然始めたのだ。

 聞き覚えのあるアナウンスに、記憶にある現象。

 これはかつてとあるホテルで見せつけられたマイク・パフォーマンスっぽいが人を操る導術であった。

 この導術を用いた術者の声を聞いたものは、簡単に操られてしまう。

 しかも、今回はすでに〈ぬらりひょん〉の秘儀に操られていてトランス状態にあったせいか、普段の二倍は効きがいい。

 彼女の意図通りに容易く言いなりになってしまう。


〔テメー、コノヤロー、さっさとてんちゃんのために道を開けろ、ベラボーめえ!! ついでに逃げ道をふさげ、コンニャロー!!〕


 認識を誤魔化し紛れて消える〈ぬらりひょん〉と、人をマイクで洗脳する熊埜御堂てんちゃん。

 どちらも大概だが、その一人と一体は池袋駅のホームで対峙した。

〈ぬらりひょん〉を逃がそうとした人たちが今では壁となって、その逃亡を妨げている。


『〈社務所〉の戦巫女めえ……』

「はい、熊埜御堂てんちゃんですよー。京一さんもロバートも、てんちゃんが十号車からやってくる時間をよく稼いでくれましたねー。偉いえらーい」


 ロバートさん曰く、「サイコパスロリータ」のてんちゃんがいつもの改造巫女装束で拳を握る。

〈ぬらりひょん〉は逃げない。

 もう逃げる余裕はないと悟ったのだ。

 なぜなら、〈社務所〉の退魔巫女は決して悪さをする妖怪を逃がさないからである。



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