第275話「最強戦の戦闘車両にて」
僕とロバートさんは、最強線の出発する大宮駅からではなく、途中にある武蔵浦和駅から乗り込み、終点の大崎までは乗り換えなしの快速を使うことになっていた。
降車を予定している新宿までとんど停車する駅がなく、狙いを定めた痴漢が獲物を逃げられにくいからだ。
停車する駅の間隔が長ければ長いほど、満員電車に潜む痴漢にとってはありがたいということらしい。
ここ最強線は、首都圏では一、二位を争う混雑を誇るとともに、痴漢の発生率でも過去最悪を記録したことのある不名誉な路線であったが、現在では汚名も返上されつつあるということだ。
痴漢対策として、女性専用車両を用意し監視カメラをつけたり、鉄道警察官による巡回も増やしたりした結果である。
だから、今では全盛期ほどの痴漢は存在しないと言われている。
もっとも、〈社務所〉がJRから受けた依頼によると、ここ数ヶ月の間に、痴漢の発生件数が増加の一途を辿っているらしい。
このままでは全盛期の勢いに達するかもしれないとのことだ。
被害女性たちの告発によるだけでひと月に三十件、つまり毎日発生しているのである。
犯人として突き出された男性もいるが、不思議なことにすべて冤罪だと断定されている。
痴漢の冤罪を証明するのは比較的難しいと言われているのに、どうして断定されているかというと、そこに〈社務所〉が絡む理由があったのであった。
「……お尻を撫でられている被害者も完全に無抵抗という訳ではないのよ」
御子内さんが病欠していることから、この件について仕切ることになった不知火こぶしさんが言う。
「痴漢がどういう人物なのか確認しようとする人はいるの。もちろん、怖くて振り向くことなんてできないって女の子もいるけど」
「確認したんですか?」
「ええ。振り向いて、痴漢の様子を見た女性たちの証言を突き合わせたものがこれよ」
モンタージュではないけど、上手な手書きの似顔絵が出された。
そこには後頭部が異常に出っ張った禿げ頭の、かなり年を食った老人が描かれていた。
着ているのは着物か甚平か……とにかく和風だ。
唇を結んだ厳格な顔つきをしているのに、どことなく笑っているようにも見える、捉えどころのない表情が妙に印象的だった。
見ようによってはとてつもなく好色な狒々爺とも思える。
「ただのお爺ちゃんのように見えますけど……」
「まあ、普通の人にはそう見えるわよね。でも、わたしたちにとってはちょっと洒落にならない相手なのよ」
「―――どういうことなんです?」
こぶしさんは持っていた缶コーヒーを飲み干して、
「このお爺さんはね、そんなに変わった姿かたちをしている訳ではないけれど、わたしたちのギョーカイでは有名な妖怪なのよ」
「有名なんですか……?」
「ええ。家の者が忙しくしている時間帯にどこからともなく家に入りこみ、お茶やタバコを飲んだりして、まるで自分の家のようにふるまう妖怪。誰かが見咎めても「この人はこの家の人だったっけ」と思ってしまうため、追い出されず、存在に気づかれることもない、のらりくらりとした妖怪」
「もしかして、それって……?」
「ええ、京一くんの予想通りね」
缶をテーブルに叩き付ける。
「これが〈ぬらりひょん〉よ」
―――また有名どころが来たものだ。
◇◆◇
「じゃあ、先頭の一号車に乗りますね」
最強線は、池袋と新宿、渋谷という巨大なターミナル駅をノンストップで結んでいるが、この三駅すべてのメインの改札にとって一番最寄りなのが一号車となることから、移動をスムーズにしたいという乗客で混雑が激しくなる。
十号車を女性専用車にしても一号車に乗る女性が多いということから、さらに一号車に防犯カメラを設置することで痴漢を減らしたそうである。
もっとも二、三号車の痴漢の割合はさほど減ってはいないらしいが。
今回、僕らがわざわざ一号車を選んだのは、カメラがついているにも関わらず、例の妖怪〈ぬらりひょん〉がそこにしか乗り込まないからである。
それもわからないではない。
なぜなら、〈ぬらりひょん〉の姿は一切カメラには映らないからだ。
基本的に妖怪というものは、自身が姿を顕わそうとしない限り、滅多にカメラなどに撮られることはない。
存在感があるかどうかは人間の数と比例するらしく、人が多いところでは比較的撮影しやすいみたいだけれど、それも程度問題だ。
こういった妖怪の特性に加えて、〈ぬらりひょん〉はさらにレベルが違い、あんな混雑した電車に紛れ込んでいても誰の目にもとまらないのだそうだ。
例え、隣の席についていたとしても、〈ぬらりひょん〉がいると認識できる人間は皆無だという話だった。
そんな妖怪が堂々と痴漢を働けば、まず絶対に見つからず、いくらでも邪な行為を続けられることだろう。
では、その〈ぬらりひょん〉による痴漢行為がどうして表沙汰になったかというと、先ほどの似顔絵が示すとおりに、かの妖怪のスケベ心が原因のようだ。
女性に対して猥褻行為を働いているとき、〈ぬらりひょん〉の妖怪としての特性は霧散してしまうのだという。
人間と同じで欲望だだ漏れのときは慎重さがなくなるということかも。
だから、被害者の目に留まる。
周囲の人間もさすがに気が付く。
スケベに没頭している妖怪は、さすがに普段は誰にも見られない習性の持ち主であるから、自分が認識されていることに気が付くとすぐに気配を消すのだが、それでも一度目撃したという記憶は消せないのでそのまま犯人として覚えられてしまうのだそうである。
要するに、何かを起こすまでは絶対に見つけられないが、痴漢行為の現行犯でならば退治するのも難しくはないということだ。
そこで、囮役兼逮捕役として僕とロバートさんが女装しているのである。
「なんで、私が……」
「我慢してください」
「だが……」
「もうしっかりしてください。なんのための女装なんですか。しかも術まで掛けてもらっているんだから誰にも気がつかれませんよ」
「しかし、ね……。目立つのは少し」
「そんなに可愛いのに、猫背でいたらもっと目立ちますよ」
実際、女装して幻術のかかったロバートさんの可愛らしさは天使のようである。
豊かなブルネットはウェーブをかけて肩まで下がり、やや垂れ目気味ではあるとはいえ、パッチリとした大きな瞳と、笑うとえくぼの出る口元、透明感のある肌。
とても幻術がかかったマッチョな透明人間とは思えない。
しかも女装だ。
「可愛いのか……」
「ええ」
「いや、キュートなのはわかっていたが、それにしたって、KAWAIIとはね……」
そこで満更でもなさそうに照れないで欲しい。
ちょっと胸キュンしたくなる。
いや、僕はノンケだ。
「あ、電車来ましたよ。とりあえず並んでください」
「お、おお」
「で、乗りこんだら車両の左側に寄ってください。右側ばかり開閉するので、痴漢の被害者は左に追い込まれるのがセオリーらしいです」
セオリーってのもあれだけど。
「〈ぬらりひょん〉以外の痴漢がきたらどうするんだ?」
「―――ファイト」
「ノープランなのか!!」
と、やっぱり不満そうなロバートさんの手を引いて僕らは最強線の先頭の一号車に乗り込んでいった。
おそらくきっと、そこで待つ〈ぬらりひょん〉を退治するために。
ちなみ、あとでその時の様子を撮影した映像をみたら、セーラー服の上にニットを着た女子高生の僕が、ミニスカートのブルネット外国人美少女のロバートさんの手を引いて歩く姿は、日米で産まれた生粋の百合カップルにしか見えなかった。
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