第274話「女の秘術」



「……予想よりも可愛く仕上がったんですけどー」


 僕のメイクを担当してくれている熊埜御堂さんがなんともいえない顔をして、眉をしかめていた。

 熊埜御堂てんさんは、御子内さんたちの二歳年下で、今年、若干十五歳の若さで昇格した退魔巫女である。

 いわゆる飛び級が許されたのは、巫女レスラーとしての格闘技術が優れているだけでなく、マイクパフォーマンスじみた洗脳を初めとするいわゆる導術を得意とする点が評価されたのだという。

 御子内さんたちも人払いの術などをある程度使えるが、熊埜御堂さんほど多彩ではないという話だ。

 今回、御子内さんが担当していた痴漢退治の代役として呼び出されたのは、やはり二十三区を担当とするからだけではなく、その巫女としての術者としての側面を買われてのことでもあるという。

 もっとも、十五歳―――中学三年生の彼女をメインとするわけにはいかなかった。

 なぜなら、今回の妖怪は満員電車の中でふしだらな真似に興じる変態的な妖魅が相手なのだから。


「顔だけならば、なんとか可愛い女の子になりそうなんですけどー。京一さん、細いけど筋肉質だから制服がどうしても合わないんですよねー」


 メイクが終わって、用意された女子高生の制服を着てみると、どうしてもちぐはぐしているのは否めない。

 肩幅がわりとあるし、二の腕も太もももそれなりに張っている僕の身体だと女の子のしなやかさがでないのだ。

 中肉中背だと思っていたら、実のところ、中背であっても中肉ではないということだけがわかったのである。

 うーん、お風呂上りにポーズ決めたりしてナルなことやっていた報いを受けているなあ。


「ウィッグつけて、制服着ても、どうしてもー。これじゃあ、痴漢さんはやってきませんねー」

「それだと、わざわざ女装した甲斐がないんだけど」

「作戦に入る前に失敗ですねー。てへ」


 てへ、じゃないでしょ。

 恥を忍んで女装の手伝いをお願いしたというのにこれではやられ損である。


「やっぱりてんちゃんが囮役やりましょうか? 京一さんが無理をする必要はないですよー。京一さんだって、満員電車の痴漢にわざわざお尻撫でられたり、太もも摩られたりするのは嫌でしょ?」

「いや、御子内さんだけでなくて熊埜御堂さんにだって、こんな嫌な役はやらせたくない。誰かがやらなくてはならなくて、条件として女装で済むんだったら、僕が引き受けるよ」

「えー、電車通学する女の子だったら、ほとんどの子は一度は痴漢にお尻揉まれてますよー。今更です」

「だからといって、女の子に嫌な役目を押し付けるのは気分が悪くなるので僕は基本的にやらない」

「……ふーん」


 今回の事件は、通勤通学で満員になる、とある路線で起きている妖魅がらみの痴漢を解決するというものだ。

 残留する妖気から、妖魅が関わっていることは確からしいのだが、まだ正体がはっきりしないということで直接退魔巫女たちが調査をすることになっていた。

 要するに、御子内さんが囮になって女子高生スタイルで痴漢妖魅を誘き出そうというものだった。

 でも、最初から僕はそんなことを彼女にさせるつもりはなかった。

 僕の御子内さんのお尻を痴漢ごときに触らせるなどまっぴらごめんだからだ。

 もし彼女が発熱もなくて元気だったとしても、きっと僕はこの女装を立候補したことだろう。

 そして、それは他の巫女の子たちであったとしても同じだ。

 痴漢をされるなんて、女性にとって絶対に良いことではないし、そんな目にわざわざ合わせる必要はない。

 例えそれがお役目であったとしても。


「でも、女装しなくてもいいんじゃないですかー」

「仕方ないよ。こうでもしないと痴漢の妖魅なんて見つけられないしね」

「ふーん、やっぱり京一さんはいい人ですねー。ぷぷぷ」

「嫌な笑い方しないでよ」


 僕の下手な女装のせいか、なんだか熊埜御堂さんは楽しそうに微笑んでいた。

 うちの妹もそうだが、年下の女の子のこういう笑いは凄く気になる。

 裏があるようにしか思えないからだ。


「あー、そう言えばー、前からお願いしようと思っていたんですけどー」

「なに?」

「てんちゃんのことは、熊埜御堂さん、じゃなくて「てんちゃん」って呼んでくださいねー。年上の男の人にさん付けはこそばゆいんでー」

「別にいいでしょ。呼び方なんて」

「嫌です。てんちゃんは、てんちゃんです。いいですね。言うこと聞いてくれないと何度でも言いますからね。あと、ついでに関節も壊しますよー」


 そんな物騒な脅し文句を聞いたらもう逆らえないじゃないか。

 熊埜御堂さんは有言実行だから、怖くて仕方がないんだし。

 しょうがないか。


「じゃあ、―――てんちゃん」

「ありがとうございまーす! てんちゃん入りましたー!」


 ドンペリじゃないんだから。

 熊埜御堂さん―――いや、てんちゃんは楽しそうに一回転すると、ニコニコ笑顔でこう言った。


「今、思い出したんですけど、全部見た目を変えちゃうことはできませんけど、雰囲気だけは柔和な雌っぽくできる幻術ってのがあるんですよねー」

「雌って……」

「身長とか、体格とかを、微妙に柔らかくして女っぽく変えるんです。てんちゃんのところのご先祖様が吉原で使っていた幻術なんですけど、あれを使えばもうどんな厳つい八十歳のお婆ちゃんでも絶世の花魁に早変わりって感じなんです」

「へえ、そんなものがあるんだ。……でも、それって詐欺じゃない?」

「伊達騒動で有名な二代目高尾太夫って、この術を使っていたせいで伊達の御殿様に殺されちゃったらしいですよー」


 そりゃあ、まあ、大の男の女装までも誤魔化しきれるような幻覚を使ったんじゃあ、手打ちにされてあたりまえか。

 でも、そんなにうまくごまかせるもんなのだろうか。


「くま……てんちゃんの術者としての実力は知っているけど、そんなにうまくいくものなの?」

「大丈夫ですよー、なんといっても伊達家に身請けされて屋敷に入るまで伊達綱宗を騙くらかしたんですから、八十歳のお婆ちゃんが!!」


 ……詐欺師の片棒を担ぐってのはこんな感じなのかなあ。


「では、その証拠をお見せしましょう。ロバート、出番ですよー」


 ワクワクした声に誘われるように、隣の部屋とつながるドアが開き、ロバート・グリフィンさん―――いや、違う―――みたこともないこげ茶ブルネットのウェーブのかかった髪をした、いかにもアイリッシュ的美貌の女の子が入ってきた。

 外国人というと、ヴァネッサ・レベッカさんを思い出すが、アングロサクソンの彼女とは違う、ケルトの血を引いているらしい彫の深い貌だ。


「え、誰?」

「一応、名乗っておくが、私だ。ロバートだ」


 透明人間だからどんな顔だちをしているのかは知らなかったけれど、僕の眼前にいる外国人の美少女はどんなに頭を捻ってもロバートさんとは思えない。

 体格も、雰囲気も、紛れもなく十代の美少女だった。

 

「笑うがいいさ……。私は生まれて初めて自分の姿を鏡でみたというのに、こんな……こんな……天に召します我らが父さえも見捨て果てるようなこんなものに―――」

「あの……」

「ハイスクールの女学生のユニフォームを着て、あまつさえ、パ、パンツまで……」


 哀れすぎて何も言えなかった。

 ああ、女装だけでなくパンツまで女性のものにさせられたのか。

 僕はまだ下着だけは男性用のブーメランで良かった。


「ロバート、何を言っているんですー。あなたは、グレート・御子内先輩と京一さんに〈砂男サンドマン〉から助けてもらった、いわば命の恩人なんですよー。その人の為に、女の格好をするぐらい諦めなさいね。人生、一度ぐらい女装したって誰も文句は言いませんよ。「花とゆめ」ではよくある展開じゃないですかー」


 りぼんやちゃおの愛読者だったらどうすればいいのさ。


「じゃあ、京一さんにも幻術をかけて、さあ、痴漢の戦闘車両に向かおうじゃないですかー! 相手は最強線で待ってますよー!」


 さて、行くとするか。

 妖魅の気配を放つ痴漢が待っている電車に。



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