―第37試合 満員電車地獄変―

第273話「妖怪〈髪切り〉」



 カアアアアン!!


 いつものようにゴングが鳴ると、御子内さんと妖怪のデスマッチが始まった。

 今日の倒すべき敵の名前は妖怪〈髪切り〉。

 西武新宿線沿線を利用する女性たちの髪を、文字通りに切って回った迷惑な妖怪である。

 たった一週間ほどで二十人近い被害が出て、そろそろネットでも話題になりかけていた。

 狙っているのは腰まである黒髪の女性ばかり。

 年齢にこだわりはないようだが、並々とした豊かな黒髪が好みらしく、被害者は皆似たような髪型をしていた。

 手口としては、線路沿いの道路を女性たちが歩いていると、後ろから近寄って根元からバッサリと切り落としてしまうというものだ。

 通勤通学の車中でのことならすぐに目星もついたのだが、この〈髪切り〉はなんと黄色の電車の屋根に貼りついて移動して悪事を働いていたのである。

 かなり猛スピードで動き回るらしく、車上からターゲットを補足すると、飛び降りて髪を切り裂き、逆方向からやってきた電車の屋根に再び飛び乗る。

 電車同士がすれ違うわずかな瞬間だけ姿を現すので、存在を見つけ出すのも随分と時間がかかったらしい。

 もっとも、頻出するのは鷺宮から上石神井の間が多かったので、御子内さんと僕はその中間にあり、線路沿いの公園に〈護摩台〉を造って罠を張ることにした。

 実のところ、この罠を張る場所の選定に難航して、被害が拡大してしまったのは大きな失敗だったのだけれど。

 逆に〈護摩台リング〉に引きずり出すための手段は簡単だった。

〈社務所〉が用意した長髪のウィッグに、その昔修験者たちが〈髪切り〉避けとして売りさばいたお札に〈逆まじない〉を掛けて効果を反転させてものを貼りつけて御子内さんが被るだけだ。

 レイさんみたいな長髪の彼女はなかなかの美人であった。

 それで、あとは西武新宿線同士がすれ違う瞬間に彼女が近くにいればOKという訳だ。


「でりゃああああ!!」


〈髪切り〉は実際にそのやり方で電車の屋根からのこのことやってきたところを、御子内さんに押さえられ、結界の中に連れ込むことに成功した。

 そして、いつものごとく、巫女レスラーとの一本勝負が始まったのである。


『キシャアアアア!!』


 互いに雄たけびをあげながら(注・御子内さんは女の子です)、こいつを倒さねば決して逃げられぬとわかっている一人と一体が激突する。

〈髪切り〉は長く伸びた鳥の嘴のような口と、和鋏のような手をした黒い爬虫類的な皮膚をした妖怪であった。

 皮膚はよくよく見ると、鳥の皮のようにブツブツがあるのでもともとは鳥だったのかもしれない。

 ただし、伝承ではキツネが化けたものや、カミキリムシという架空の虫が正体だと言われている。

 もっとも、キツネ説については現在の東京が敵対する妖狸族の縄張りであることから否定されるらしい。

 凶器として気をつけなければならないのは、鋭い嘴と手のハサミか。

 油断という言葉を知らない御子内さんは、この二つを見定めて、慎重に戦いを続ける。

〈髪切り〉の右のハサミが首筋を薙ぎにきたら、手首を取り、そのまま捻りあげて、小手投げでマットに叩き付ける。

 それから、手を押さえつけながら、ヘッドロックに持ち込み、自らジャンプして首を痛めつけた。

 もちろん、〈髪切り〉も暴れるので、ハサミにやられないように立ち位置をコントロールしながらである。

 何度か首を決めて落とすを繰り返した後、ドロップキックで吹き飛ばした。

 完全に御子内さん有利の展開である。

〈髪切り〉は体つきとしては成人男性と同じ程度で、小柄な御子内さんと比べれば大きいが、彼女が普段戦っている妖怪からすると小さい方だ。

 お株を奪うカニバサミで倒され、うつ伏せのままの〈髪切り〉の足をサソリ固めで搾り上げる。

 そんな御子内さんらしくない、ある意味まっとうな試合が続き、〈髪切り〉はどんどんと消耗していく。

 しかし、妖怪である以上、切り札とも呼ぶべき秘儀があるはずだ。

 それをいつだしてくるか。

 僕が固唾を飲んで応援していると、〈髪切り〉の全身がぼやけた。

 何か、来る。

 御子内さんもこれまでとは違う緊張感を漂わせた。

 そして、次の瞬間、〈髪切り〉は彼女の後ろに出現した。

 瞬間移動? 次元跳躍?

 いや、ただの風に乗っての高速移動だった。

 ただし、それが本当に目にもとまらない速さというだけで。

 あまりの速度に風が唸りを上げ、気圧まで変えたのか耳鳴りがした。

 ほんの数メートルの距離とはいえ、確実に音速を越えている。

 音さえも凌駕したのだ。

 それで背後を突かれ、御子内さんの黒髪が散った。

〈髪切り〉は首を切断するつもりでハサミを振るったというのに、ギリギリのところで超人的な反射神経に従って前屈したおかげで躱せたのだ。

 あの音速移動が〈髪切り〉の妖怪としての秘儀だった。

 奥の手を見せてしまえばそれで終わり。

 御子内さんは〈髪切り〉に振り向くと、さっきとは逆に彼女が背後に回り込む。

 腰を掴むと、そのままブリッジとともに投げ捨てる。

 得意のへそで投げるジャーマン・スープレックスであった。

 勝利への美しい虹を描いたブリッジが〈髪切り〉の肩をマットに押し付けた。

 そして、どこからともなく、カウントを数える声が流れ始め……


〈髪切り〉は消滅していく。


 カンカンカンカンカン―――!!


 決着のゴングが流れ、勝利した巫女レスラーが勝利のサインを高らかと掲げ上げる。


「御子内さん、怪我は!?」

「ウィッグが切られてしまったよ。あとで返却する予定だったのに、ボクの買い取りになるのかなあ」

「だったら、僕も半分出すから」

「そうなったら頼むよ。外すのを忘れてしまって、しくじったよ」


 マットから降りてきた御子内さんだったが、着地する寸前、がくりと体勢を崩した。


「大丈夫?」


 慌てて支えると、なんだか額に粒のような汗をかいている。

 彼女にしては珍しい発汗だ。

 よく見ると顔色もよくない。


「ちょっとごめんね」


 額を触ってみると、かなり熱い。

 試合直後だからホットになっているというだけでなく、もともと熱が高かったとしか思えない。

 

「もしかして熱があったの?」

「ああ、うん…… ちょっと風邪気味でね」

「だったら休まなきゃ!!」

「そうもいかないんだ。これは〈社務所〉の媛巫女としての役目だからね。でも、ちょっと無理をし過ぎたかもしれない。ふらふらするよ」

「無茶はしていいけど、無理は禁物でしょ! ……まったく心配かけさせないでよ」

「―――いや、ごめん」


 肩を貸しているけど、どうやらもう立ってられない状態だった。

 試合まではなんとか精神力で維持していたというところか。

 こんな状態で命がけなんて無理なことにも程がある。


「タクシー呼ぶから、立川まではそれで帰りなよ。片づけなんかは僕がやっておくから。あと、二三日は安静だよ」

「そうもいかない。京一だって聞いていただろ? 明日、ボクらには別の案件の調査が入っているんだ。こんな立て込んでいるときに、布団で寝てはいられないよ」


 お役目熱心なのはいいが、熱で倒れそうな人が言っても説得力はないね。


「明日の分は調査だけでしょ。妖怪と戦うって訳ではないし、僕が代わりにやっておくよ。だから、気にしないで、とりあえず一日だけでも安静にしていなよ」

「だけど……」

「大丈夫だから」


 それでも御子内さんは心配そうだ。

 まあ、内容が内容だからというのもあるけど、なんとかなるだろう。


「―――だって、痴漢する妖怪の調査だよ。もしかして、京一が女装でもするのかい?」


 やはりそうなるか。


「他に道がなければね」


 自分でも深みにはまっているなあと思うことを僕は口にするのであった……

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