第272話「闇の森は枯れ果てた」



 割れたフロントガラスをさらに手にした切れ味鋭そうな鉈で破壊した総髪の怪人は、軽トラからもんどりうちながら本堂に降り立った。

 弓矢男を助け、皐月を惨殺するためだ。

 普通の女子高生ならば、もたもたしている間に逃げ出そうとするところだが、刹彌皐月はただの女の子ではなかった。

 筋膜に退魔巫女独自の呼吸法でよって練った〈気〉を通し、一瞬の爆発力をアップさせると、怪人の顔面に肘打ちをかました。

 ひっくり返りそうになりながらも鉈での反撃を試みる、〈山鰐〉の腹に左膝を食いこませ、悶絶させる。

 九の字に身体を捻じ曲げさせたら、今度は延髄にエルボーを打ち込む。

 すべてほぼ一瞬で行えるのは、〈気〉と筋膜を使った特殊な体術を学んだ皐月ならでは加速法とでも呼べる動きのおかげだ。

 常日頃、おちゃらけてばかりで、いい加減な下ネタしか口にしない少女が、仲間たちに迷惑がられながらも一目置かれているのはこのせいである。

 力は只人よりも強く、無痛症によって簡単な攻撃では足止めさえできない、妖怪のような〈山鰐〉たちをいともたやすく葬り去ってしまうことができる。

 退魔巫女・刹彌皐月は、その家伝の古武術とともに戦闘においては特別なスタイルを持つ強者でもあったのだ。


『グエエエ……!!』


 痛みを感じない怪人が噛みつくために足を取ろうとしても、殺気があるというだけで皐月には通じない。

 顔を歯茎ごと全体重で踏み、それでも無駄に蠢く手首を反対側の足裏で蹴り潰す。

 刹彌流柔は本来、天皇の一族を警護するための古武術であり、明治期になるまで京都の宮中に出入りが許されていた。

 だが、維新後、天皇家を丸抱えしようとする政府と軍部の力によって排除され、野に下るが、使い手の女だけは帝都・東京を含む関東を守護するための組織として再編されていた〈社務所〉に巫女として拾われることになったのである。

 みかどの御一族を暗殺から防ぐ最強の護衛。

 それが刹彌家であり、刹彌流であった。

 殺気を持たぬ死人しびとや無機物の罠、心を読む〈サトリ〉など以外では近寄ることすら許さない生粋の警護人なのである。


「いつもでもあんたたちの相手をしていられないんだァ!!」


 振り向きざま、しつこく立ち上がり弓を番えていた弓矢男の放つ、一本背負いの要領で投げ捨てる。

 物理的には触られてさえいないのに、〈山鰐〉は投げ飛ばされ、頭から床に叩き付けられ、首の骨が折れた。

 いかにタフな怪人たちでももう動くとは敵わない。


「―――ネシー!!」


 慌ててバディを追って外に出ようとした時、大熱量の炎が舞い飛んだ。

 筋膜による超人的反射神経を用いて後ずさる。

 彼女でなければ確実に巻き込まれていた。


焼夷手榴弾テルミット!?)


 アメリカで何度か《殺人現象》相手に使った燃焼するための手投げ爆弾のことを思い出したが、それとは違う。

 明らかに人知を超えた法力によるものであった。

 何があったのか、答えが出る前に炎は消滅した。

 燃焼するための材料が切れたというよりも、元々、何かを焼き尽くしたら儚く消える業火であったかのように。


「なにさ……今のは」


 一瞬だけ、呆然としたが、守るべきバディのことを思い出し、間髪入れずに本堂から飛び出た。

 金髪の異人の少女とたまたま助けたオジサンは無事に立っていた。

 ようやく胸をなでおろす。

 感覚を張り詰めてみても、もう狂気も殺気も感じない。

 どうやら食人の森の悪夢から覚めたらしい。


「最後にここでドンとくるのがホラー映画なんだけどさ。できたら、うちはホラーよりは官能映画がいいなあ。『青い珊瑚礁』みたいな」


 と、ブルック・シールズが聞いたら怒りだしそうなことを呑気に呟くのであった。



     ◇◆◇



「改葬……やれるのかな?」


 二人の少女が呼んだ作業員が、彼のジムニーの前輪を取りかえている間、槍持はぼうっとその様子を見物していた。

 彼女たちの好意によって、槍持はあの廃寺の中で行われていた惨劇を見ずに済ませられた。

 話だけを聞いているだけでも、どんな恐ろしいことが起きていたかは想像がつく。

 もし決定的な何かを目撃してしまっていたとしたら、槍持の神経は耐えられなかったろう地獄があったことが。

 あの僧侶のことも、三人組の怪人物たちのことも、何もわからなかったが、それでもすべては終わったこととして納得するしかない。


「終わったよ」

「あ、そうですか……」


 作業員たちが声を掛けてきて、彼らはそのままもう一台のプリウスαの方に取り掛かっていた。

 しばらくして、森の奥から皐月とネシーが帰ってきた。

 森で何かを探していたらしい。


「オジサーン、修理終わったあ~」

「お待たせしました」


 先ほどの悪夢のような体験をほとんど気にしていないところが、槍持には理解できない。


「探し物は見つかったのか?」

「まあね。やっぱり、寺の奥の方に拓けた場所があって、そこに車がたくさん停められていた。ほら」


 見せられた写真には、十台以上の様々な車種が無造作に停められていた。

 駐車場ではなく、廃棄された車の墓場のようである。


「これがどうかしたのか?」

「ここに6tトラック停まっているでしょ。こいつを探していたんだよ」

「そういえばそんなこと言っていたな」

「うん。これ、うちの所属している組織の運搬車なんだけど、仕事の帰りにこのあたりで行方不明になっちゃってね。中身も中身ってことで警察をすっ飛ばして探していたんだけど、ようやく見つけられたよ。運転手さんは助からなかったけどさ」

「―――あいつらにやられたのか」


 皐月の表情からでもそのことは読み取れた。

 冷静さを装ってはいるが、沈痛な陰が差している。

 槍持の手前、露骨には出さないように取り繕っているだけなのだ。

 運転手があの〈山鰐〉という連中に殺されたのは間違いないのだろう。


「じゃあ、もしかしたら……」

「考えない方がいいよ。悪夢を見るからさ。……これ、新宿にある病院なんだけど、ここで心理カウンセリングやっているから、何かあったらすぐに通いなよ。我慢しないでさ」

「もらうよ。確かに夢に出そうだ」


 渡された名刺を懐に入れた。

 まず間違いなく今日のことは夢に出るだろう。

 そのことを考えると気分が重くなる。


「なあ、あいつらってどのぐらい殺したんだ?」

「……あとで調べるけど、あの寺だけで五人は殺っていると思う。それもあって、あの〈食屍鬼〉の住職が甦ってしまったんだろう。あいつは人の屍肉を食べるように転生した妖怪だからさ。妖怪と人食いの共同生活―――ゾッとしないな」

「この国にはあんなものがたくさん潜んでいるのか?」

「いることはいるけど、出てくるたびに杭のようにうちらがブッ叩くからそんなに多くはないよ。オジサンも何かあったらすぐに八咫烏を呼び出すのがいいかなー」


 槍持は背負っていた重みがどこかへ落ちていくのを感じた。

 どんな恐ろしいことがあったとしても、苦しみを撒き散らす殺人鬼がいたとしても、きっとこの変なパンク巫女のようなものたちが、どこからともなく現われて倒してくれるのだと確信したからだろうか。

 これからしばらく夜にジムニーを運転することは怖いだろうが、そのうちに平気になるだろう。

  

 人食いの昏い森なんて、そんなにはないはずだから。

 

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