第271話「不動明王の炎」



 ネシーの持つ銃口はまっすぐに巨漢の〈山鰐〉の胴体を捉えていた。

 命中させるのが困難な頭や手足は狙わない。

 確実に、精確に仕留めるために胴体を狙うのが銃社会アメリカのやり方だ。

 ただし、ここが日本という海外であることを考慮し、すぐにトリガーを引いたりはしない。

殺人現象フェノメナ〉とはいえ、躊躇なく発砲するのは国情に合わないからだ。


「武器を捨てなさい! 早くハリー!」


 巨漢が持っているのは鎖だった。

 長さからしても一振りでネシーまで達する。

 さっさと捨てさせなければ危険だ。


『グゥ?』


 巨漢は首をかしげた。

 外見以上に愚かなのか、それともネシーを虚仮にしているのか。


「早く!! 撃ちますよ!!」


 鎖が床に落ちた。

 ジャラリと落ちる寸前、巨漢が動いた。

 掴みかかろうとタックルしてきたのだ。

 当然、そんな行動は予期していたので躊躇わず発砲する。

 ドン

 三発の銃弾が巨漢の胴体に叩き込まれる。

 強力なマンストッピングパワーがおそらくは百キロは越える体重をのけぞらせた。


『グエエエエエ!!』


〈山鰐〉が叫んだ。

 のけ反りが途中で止まり、ひっくり返ることもなくひょいと直立し、またも突っ込んできた。

 ドン

 再び引き金を引いたが、今度は目標がやや身を逸らしていたため、肩口をかすめるだけで外れてしまう。

 岩のような拳でネシーを殴りつける。

 ネシーは左手をたててそれを受けた。

 だが、大男の勢いのついたパンチを体格で劣る少女が堪えられるはずもなく、そのまま突き飛ばされる。

 その先にいた槍持が受け止めなければ、尖った木片の散らばった床を無防備に転がり回るはめになったであろう。

 だが、代わりとして拳銃が手からすり抜けていった。

 それだけの強い衝撃であったのだ。

 一方で、巨漢の方も胸を押さえてすぐには動けなかった。

〈山鰐〉には痛みを感じる部分がないのだが、それでも胸を撃たれれば全身に走る波は深刻なダメージとなる。

 片膝をたてて倒れないようにするだけで精いっぱいだった。

 相手が一時的とはいえ動けないとみた槍持は、金髪の少女の肩を抱えて逃げ出した。

 軽トラが開けた大穴がちょうどいい逃げ道になっていたからだ。

 反対側のパンク巫女のことは気になったが、それよりもまず自分たちが助からないと。


「逃げるぞ!」

「え、ええ」


 外に出ると、月がさっきよりも冴え冴えと輝いていた。

 なんとか広場を見渡せる。

 もう誰もいない。

 逃げるには今しかないようだった。

 必死で少女を助けながら走り出す。

 なんとか意識が回復したのか、ネシーが自分の足でふらつかずに立ち上がれるようになったのは広場の中心にきたときであった。

 これで二人とも走れると思ったとき、ガタンと音がして、寺の本堂に開いた穴から巨漢の〈山鰐〉が不気味な顔を出した。

 まるで逃がさないと宣言するかのようにニタリと笑う。


「急げ!!」


 銃を落としたネシーではあの殺人鬼を退けることはできない。

 それができるたった一人の護衛は、まだあと二匹の殺人鬼と対決しているはずだ。

 つまり、彼女にできることは皐月がやってくるまで生きていること。

 シンプルな答えであった。

 スターリング家の女の常として、こんな状況には慣れっこの彼女としては不本意ながらいつものことだった。

 力の限り、命の続く限り、最後まであがくことが怪物たちと戦う武器なのだ。

 魂を守るために、咄嗟の知恵を振り絞る。

 理不尽にイカれた連中に追われるなんて日常茶飯事のヴァネッサ・レベッカは、こんなところで死ぬ気は毛頭もない。


(でないと、すぐに来てくれるだろう皐月に面目が立たないです)


 巨漢が手にしたコンクリート片を振りかぶった。

 戦国時代においても、最も殺傷力が高くコストパフォーマンスが安い武器は石投げであったという。

 弓矢には熟練が必要だが、石を投げることは誰にでもできることだからだ。

 そして、プリミティブな殺意に彩られた〈山鰐〉が選択するのも当然の武器であった。

 槍持はその動きを周辺視野に収めてしまった。

 コンクリート片の狙いがネシーにあることも。


「危ない!!」


 思わずタックルしてしまい、代わりに自分の背中にコンクリート片が激突した。


「ううううっ!!」


 声にも出せない激痛が襲ってきた。

 背骨―――ではなく、肋骨のあたりが信じられないほど痛い。

 折れただけでは済まない痛みであった。


「があ!!」


 呼吸をすることすらも厳しい。

 走るなんて、もうできるはずがない。

 要するに、死ぬしかないのということだ。


「あなた!!」


 ネシーが自分を庇ってコンクリート片を受けた槍持のことを心配して駆け寄ってくる。


「にげろおおお!!」


 もう自分は助からない。

 せめてこの少女だけでも……

 槍持は願った。

 ドライブやらサバイバルゲームが趣味のつまらない自分よりもこの女の子を助けてやってくれと。

 神とやらがいるのなら。

 仏がいるのなら、是非、頼みたい。

 本尊のない寺で祈ったとて、かなえられることのない望みだとわかってはいたが。


『拙僧が悪鬼なのだ』


 どこからともなくガラガラ声が聞こえてきた。

 痛みにも関わらず槍持が顔を上げると、すぐ後ろに、〈山鰐〉と挟み込むような位置に薄汚い袈裟と墨染めの法衣をまとった禿頭の僧侶がいた。

 さっきの僧侶だった。

 こいつも俺たちを襲う気なのかと身構えても、僧侶に変化は見られなかった。


『拙僧は人の屍肉をむ悪鬼羅刹なのだ。何百年も前に國師樣が我が爲に施餓鬼會せがきゑを修されたことで救われたはずなのに、今になってまたも邪鬼どもが食らう屍肉の誘いに負けたことで、この恐ろしい苦界くがいに戻ってきてしもうた。速やかに拔け脱すことも出來ぬというのに――』


 僧侶は血涙を流しながら慟哭する。


『病や寿命によって召したものたちの死肉を喰らうだけならまだしも、生あるものを殺生した挙句に丹となったものたちを邪鬼に勧められるままに食んでしまうとは……拙僧こそが真の悪神なのだ。―――すべては拙僧が撒いた種なのだ』


 槍持たちには僧侶の嘆きの意味がわからない。

 ただ、この坊さんの心にあるものが本当は慈悲深い聖職者のものであるということだけはわかった。

 それが何かの行き違いで地獄へと落ちただけなのだろう。


『ぬしら、拙僧の罪を……私利私欲に走った不信心ゆえの妄執を許してくれ。儂は八万地獄に落ちるとしても御仏の御使いのままでありたいのだ』


 そういうと、僧侶は錫杖を鳴らしてゆっくりと〈山鰐〉の巨漢目指して歩んでいく。

 落ち着いた足取りであった。


『邪鬼どもよ。ぬしらには世話になったが、やはりここは生きるものの國じゃ。拙僧とぬしらがいてよい場所ではない』

『グゥゥ……』

『ともに果てようぞ』


 次の瞬間、僧侶の背中から先端の尖った鉄パイプが飛び出した。

 心臓の位置だった。

 手品でもない限り、僧侶の命は失われたに違いない。

 だが、僧侶は肉体を鉄パイプによって貫かれながらも、〈山鰐〉をしっかりと抱きとめた。

 炎が広がっていく。

 僧侶の口からは尊い聖句が唱えられる。


『ノウマク サンマンダ バザラダン カン』


 すべてを焼き尽くす不動明王の真言マントラであった。


『ノウマク サラバタタギャティビャク サラバボッケイビャク サラバタタラター センダマカロシャダ ケンギャキギャキィ サラバビギナン ウンタラタカンマン』


 ……真言とともに僧侶の口から発された焔が〈山鰐〉の全身を覆い尽くし、バケモノの最期の悲鳴と共に黒く焦げていく。

 どれほどの熱量なのか、あっという間に二つの人型は黒い炭となり、そして数秒後に火が消えたときにはもう跡形もなく消し去っていた。

 コークスの炎でもここまでは消えないであろう大火力を見せつけるように。

 槍持とネシーはその間に身じろぎの一つもできなかった。


「―――ネシー、オジサン、無事!?」


 息せき切って皐月が姿を現したとき、はじめて息をすることも忘れていたことを思い出すほどに。


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