第270話「皐月の闘法」



 軽トラの荷台には、小型のクレーンリフトが設置されていたが、二匹の〈山鰐〉は慣れているらしく素早く本堂の床に降り立った。

 弓矢男は口を覆っていた布を外しており、耳まで裂けた唇と牙のような前歯を持った虎を思わせる顔があった。

 さきほど射ってきた弓をまだ手にしている。

 もう一方は一回り大柄でニメートルを越す長身、片目がもともと存在していないのか、右半面がのっぺりとしていた。

 こちらが手にしていたのは先端にコンクリートの塊がついた鎖だった。

 ジャラジャラと耳障りな音を立てている。

 弓矢男は降りたと同時に皐月に対して矢を引き絞り、狙いをつける。

 片目の大男は槍持に向けて視線を送ってきた。

 軽トラの突貫によって、槍持とネシー、皐月に分断された形になってしまったのである。

 運転をしていた総髪の怪人は、運転席で壁を越えたショックからか突っ伏して動く様子がなかった。


『ゲヘヘヘ』


 片目の大男が笑う。

 楽しそうに。

 陽気な笑いではなく、昆虫の脚をもいで弄ぶ幼児の笑いだった。

 ただし、ここにいるものは幼児などという可愛らしいものではなく、血に狂い、汚物溜めを棲家とするおぞましい怪人であった。

 手にした凶器で三人を惨殺しようと嘲笑っているのである。

 

動かないでくださいフリーズ!!」


 ネシーの手には、どこから取り出したのか一丁の回転弾倉の拳銃が握られていた。

 身体を正面に向けて両手で拳銃を構える、いわゆるアイソセレス・スタイルをとってネシーは銃口を大男に向けていた。

 槍持は知らなかったが、この構えはFBIのコンバット・シューティングがもととなっていると言われている射法で、あらゆる方向に重心移動がしやすい。

 足を肩幅くらいに開き、腰から上、肩の線は相手に対して正面になるようにし、両腕はほぼ均等に伸ばし、肘はやや曲げてリラックス気味にする。

 それでリコイルを吸収して、連射が速くなるという特典もあるのだ。

 射撃において致命的な欠点となる、反動によってサイト・ピクチャー(見出し)が大きく崩れることも防げる。

 ネシー―――ヴァネッサ・レベッカ・スターリングがまず母親に教わった護身術がこれであった。


「妖怪でないというのならば、わたしの銃であなたを射殺できるはずです。これ以上、近寄ると容赦なく撃ちます」

「あんた、どうして銃なんか……」


 槍持はへその緒を切って以来はじめて生で銃を見た。

 サバイバルゲームも趣味としている彼にとって、それは馴染みのあるものであり、ネシーの構えが堂に入りすぎていることも即座に理解した。

 一方、大男の方は鎖をだらりと下げたまま、首をひねり、二人の様子を見ている。

 銃というものを知らない訳ではないようだったが、あまり恐れているという様子でもない。

 どうしようかと考えあぐねている感じであった。

 三人の間には奇妙で殺意に満ちた膠着状態が始まっていた。

 だが、軽トラによって分断された反対側においては、弓矢男と刹彌皐月との間に戦いの火ぶたが切って落とされていた。


『ウビャアアアア!!』


 奇声とともに放たれた手作りの矢がわずかな距離しかない皐月目掛けて飛ぶ。

 普通ならば左右に避けるなどして避けるほかはない。

 ただし、軽トラの突貫によって木くずが散らかった床に転がるのは運が悪ければ先端が刺さりかねない行為だ。

 弓矢男もそれを見越して、次弾となる矢を引き手の指に挟んでいた。

 転んだところを仕留める準備である。

 弓矢男が記憶している獲物の動きはそういうものであるという経験があったからだ。

 だからこそ、放った第一矢がピンと皐月の目の前で止まったことに驚愕した。

 矢は真ん中の腹をなんと二本の指で掴まれてストップしていたのである。

〈山鰐〉のぐずぐずに病んだ脳髄でさえも、その奇怪さは認識できた。

 矢が放たれた直後に、その腹を人差し指と中指で挟んで止めるということがどれほど奇跡的なことなのか、を。

 だが、奇跡を成し遂げたパンク巫女にとってそんな二指で矢を止めるなんてことは、ただの技の一つでしかなかった。

 なんといっても皐月は暗闇でどこからともなく放たれた矢さえも握って止めることができるのだ。

 目の前に敵が姿をさらしている以上、生物の放つ殺気とその方向を視ることができる彼女にとっては児戯でしかない。

 ライフルでの狙撃すら回避できる刹彌流柔の力である。


「てえい!!」


 ちょんちょんと撥ねるステップから後ろ向きになり足を伸ばす回し蹴りが、弓矢男の胴体に決まり、軽トラックまで吹き飛ぶ。

 軽トラのボディにぶつかったショックで、運転席で気絶していたらしい総髪の怪人が顔を起こし、キョロキョロと周囲を見渡した。

 状況を把握したのか、ガタガタとドアを開けようと弄り始めた。

 激突の衝撃で歪んだのかドアはすぐには開かず、その間に皐月は弓矢男に挑みかかった。

 肘を立てた突撃で鳩尾を貫き、もう一つの肘を使い、殴るように顔面を削る。

 頼みの武器である弓矢を手放してしまったことから、思わずそれを拾い上げようとした〈山鰐〉を今度は膝で蹴り飛ばした。

 九の字に曲がった背中にさらに追い打ちをかけ、またも膝で横っ腹を抉った。

 流れるような、肘・肘・膝・膝の四連続コンボ。

 それがすべて違う部位によるものという究極の接近戦が展開されたのだ。

 他の同期の退魔巫女とは異なり、皐月は刹彌流柔以外の流派は知らない。

 例えば、御子内或子はプロレス技と中国拳法、さらに正体不明の古武術や裏技を使う。

 神宮女音子はルチャ・リブレと合気道、ほとんど〈神腕〉の力のみで戦う明王殿レイでさえ少しは拳法を齧っている。

 だが、皐月は父親から学んだ刹彌流柔以外は使えない。

 退魔巫女になったのは、その刹彌流柔の伝承者が兄弟子に決まってしまい、行き場がなくなったからという理由である。

〈社務所〉の修業場に入ってからも、基礎的な体術は習ったものの、基本的には家業の古武術しか使わなかった。

 ある意味では不真面目な態度の巫女ではあったといえる。

 彼女にとっては刹彌流のみが拠り所であり、それ以外は必要がなかったから仕方がない。

 ただ、彼女を教えてくれた師であり、〈社務所〉の重鎮である御所守たゆうという年齢不詳の老婆は、彼女が巫女となるために一つだけ別の闘法を覚えるように指導した。

 それが、今、彼女の使った肘と膝という人体で最も堅い部位と、筋膜とい皮下組織から存在する白い薄い膜を最大限に活かした。

 筋膜は、筋肉だけを包む膜ではなく、骨、内臓器官、血管、神経など身体のあらゆる構成要素を包み込み、それぞれの場所に適正に位置するよう支えているものだ。

 人間の肉体は筋膜によって中身を傷つけないように包まれているといえる。

 その筋膜に〈気〉を通すことで全身の反応を一瞬でトップギアに変えることができるのである。

 肘と膝という射程距離の短い部位でもって効果的に戦うスタイルは、殺意を投げる遠距離攻撃である刹彌流柔と併存させることも容易であり、むしろ弱点を補えるものであった。

 退魔巫女の中において、現在立ち技と接近戦で最強は御子内或子であるとしても、さらに近く、お互いの身体に触らない距離の超・接近戦において彼女を凌駕できる者は、実のところ皐月であるというのが同期全ての見解である。

 懐に入るどころか、キスできる距離にまで入って自在に打撃を繰り出せる超・攻撃的巫女。

 刹彌皐月が本気で戦いに入れば、〈山鰐〉の一人など敵にすらならない。

 弓矢男は床に倒れこんだ。

 軽トラが割った木材に刺さり、黒い血を発する。

 だが、痛みを感じない無痛症の〈山鰐〉はそれでも右手で自分を支え皐月にしがみつこうとした。

 反撃のために。

 しかし、殺気を放つ生き物である以上、皐月に奇襲は通用しない。

 軽く飛びあがり、両膝を揃えて、弓矢男の顔面に落下した。

 ダブルニーの一撃を顔面に受け、さらに床に後頭部がめりこむ。

 悲鳴の一つも上げることなく、弓矢男はそのまま動かなくなった。


「次いこっかあ」


 しかし、軽トラからでてこようとする総髪の〈山鰐〉に向かったとき、さらに反対側で銃声が轟いた。


「ネシー!! オジサン!!」


 あちらでも動きがあったのだ!



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