第269話「殺人鬼〈山鰐〉」
「三日ほど前、この村のあたりで一台の6tトラックが行方不明になったのね。ちょっと事情があって警察に捜索が依頼できないということもあって、ちょうど日光に旅行に来ていたうちとこっちのネシーが駆りだされたってわけ。以上、説明終わり」
ざっくりすぎて、槍持には内容がまったくわからなかった。
「わたしたちにも守秘義務のようなものがありまして、詳細は語れないのですが、少なくともあなたにとって不利益をなすものではないと申し上げておきます。ところで、あなたの方はどんなご酔狂な理由でこんなところでお休みになっていたのでしょうか」
ネシーの方は口にできないところは黙ったままで、あくまでも槍持の敵ではないという風に話を持って行こうとする。
すでに色々なことがありすぎて、頭がパンクしそうなため、あまりこれ以上の情報が欲しくない槍持としては願ったりかなったりだったかもしれない。
それでも、幾つか知っておくべきものはあった。
まず、あの弓矢男のことである。
いきなり彼を殺す気で矢を射ってきたあの恐ろしい相手がなんなのか、ということだ。
加えて、奥にあったあの料理と二人の語った不気味な事実。
「人の肉を食べている」、そんなことがあるのかということである。
少なくともこの二つは槍持の生命の今後に深くかかわってくるのは間違いないところだろう。
「あの連中がどういうものなのかはわたしもよく知りません。ただ、スターリング家の女であるわたしを嗅ぎつけた以上、〈
「痛覚がなくて、異常な身体能力を誇るっていう、アレでしょ?」
「ええ。わたしの祖母が一度襲われたことがあると聞いています」
「うへー、やっぱアメリカって魔境」
槍持は訳が分からなかった。
アメリカがどうしたというのだろう。
「〈山男〉というのは、理由は不明ですが、人間離れした肉体を持った人の肉を食う凶暴な化け物みたいなものだと思ってください。日本にまでいるとは思いませんでしたが……。あなたもきっと獲物として狙われることになったのでしょう」
「道々のものや山窩もできる限り近づかないようにしている、〈
「〈
「まあね」
「ちょっと待ってくれ!!」
槍持は口を挟んだ。
内容はよくわからないが、人殺しがこの山の中をうろついているらしいということだけはぼんやりとわかってきたので、さっき出会った僧侶のことが気になってきた。
おかしな坊さんだとは思っていたが、もしかしてあの弓矢男の仲間か何かだったのだろうか。
そうでなければあの坊さんも命が危ないということになる。
「それは大丈夫だと思うな。ねえ、ネシー」
「大丈夫……と言っていいものか……わたしにはなんとも」
「まず殺されることはないはずだし。まあ、仲間なのかといったら広義ではそうなのかもしれないけどさ」
「どういうことだ?」
すると、パンク巫女―――皐月が逆に質問を返してきた。
「オジサン、何をしにここに来たのさ?」
「あ、俺は行政書士で、あの村に改葬の手続きを進めに……」
「改葬? お骨を移すやつ?」
「ああ」
「―――なるほどねー。で、だから、ここにいたのか。でも、残念だけど、このお寺はもう潰れているし、墓地もないよ。さっきオジサンはお坊さんがどうとか言っていたけど、ここには住職だって残っていないから」
「なんだって?」
寺が荒れ果てているのはわかるとしても、住職がいないとはどういうことだ。
「そこの村はさ、平成の大合併で隣の町に吸収されて、それ以来、住民も移動しちゃってお寺も廃業。宗派の本山からも住職が派遣されないんで、そのまま朽ちるがままにしてあるってことだよ。だから、もしここにお坊さんがいるとしたら、それはただのニセものか、それとも……」
「それとも?」
「妖怪だねー」
皐月はあっけらかんと笑った。
妖怪などと言われたら普段は笑い飛ばすところだが、先ほどからの異様な状況に麻痺しているのか簡単に受け入れてしまう槍持がいた。
彼個人の感覚では、あの弓矢男の方が遥かに怪物じみているが、それでもあの僧侶が妖怪と言われて納得してしまう。
「ちょうど、ここは栃木県の大中寺が傍にある。大中寺といえば、その昔、人肉を食べる〈青頭巾〉と呼ばれる僧が根城にしていた場所に建立されたお寺だねー。〈青頭巾〉は大中寺開祖の
「小泉八雲の「
「まあね。東照宮がある西側は意外と妖魅たちの溜まり場になっているらしくて、昔から妖怪事件は多いんだ。だから、地域的に挟み込むようにして日光と多摩・武蔵野に強力な退魔巫女を配置するのが〈社務所〉の慣例となっているんじゃん」
「なるほど」
「だから、オジサンが見掛けたっていうお坊さんは、高確率でその〈
小泉八雲の短編については彼も知っていた。
確か、諸国を行脚していた夢窓国師という僧侶が、日も暮れかけたのに、深い山奥で道に迷ってしまい、一つの庵を見つける。
そこに老僧に教えられて、なんとか近くの村に行き着き、村長の家に泊めてもらうが、村長は亡くなっていてその葬式の日であった。
息子から「村の掟に従って、死者があった夜は村人全員が村から離れなくてはならない。たたりがあるからである。しかし、あなたは村人ではないので旅で疲れているであろうし、お坊様ですから、望むならばここにとどまってもよい」と言われた。
村長の家に一人残って、一宿一飯の恩を返すために村長の亡骸を前に読経しながら弔いの行を勤めると、金縛りに遭ったように動けなくなり、その間に家の内部に靄のような大きな妖怪が現われて、亡骸を食らい尽くして消え去った。
翌朝、戻ってきた村人たちに事情を説明すると、村に伝わる話と同じであると村長の息子は言う。
夢窓が、「あの庵にいる僧は死者の弔いをしてくれないのか」と問うと、「そのような庵はありませんし、もう何代にもわたって、このあたりにお坊様は居られません」との返事があった。
夢窓国師が前夜来た道を戻ると、庵は同じところにあった。
そこにいた老僧は夢窓の前に両手をついて驚愕すべき事実を告げた。
「昨夜はあさましい姿をお見せしました。あなたが目撃された遺体を貪り食う化け物は拙僧なのです。お恥ずかしいことに、拙僧は仏に仕える身でありながら〈食屍鬼〉になってしまったのです。以前、拙僧はこの郷のただ一人の僧でしたので、多くの死者を弔いました。しかし、拙僧はそれで得られるお布施の事しか眼中になく、その妄念によって、死後〈食屍鬼〉に生まれ変わって、近くで死んだ村人の亡骸を食っていかねばならなくなってしまいました。どうかこんな拙僧をあなたさまのお力でお助け下さい!」
それだけを聞くと、忽然と庵も老僧も消えさり、立ち竦む夢窓の眼前には古い苔むした墓石があるだけであった……
―――そんな物語だったはずだ。
まさか、さっきの不気味な僧侶はその〈食屍鬼〉となった老僧と同じものだというのか。
フィクションではなかったのか。
だが、小泉八雲は実際に聞き取り取材をした結果を物語にしたと聞いている。
つまりあの話は事実だったということで、この一帯は屍を貪る怪物が跋扈する土地柄ということなのか。
槍持はすでに尋常ならざる異界の片隅にいたのである。
ただの思いつきの小旅行のために、今命の危機にさらされているのだ。
「―――〈食屍鬼〉そのものは人を襲うものではないけれど、例の〈山鰐〉どもは逆に人を食べるために襲う連中みたいなんだねー。それがもしかしたら、この廃寺で同居していたって、まったくカオスもいいところ。面倒な仕事を引き受けちゃったなあ」
「仕方ないでしょう、皐月。どのみちこの裏で〈社務所〉のトラックを見つけた以上、あの殺人鬼たちを排除しなければならないのは揺るぎのない事実なのですから」
「ほーい。じゃあ、お仕事しますかあ」
そういうと、皐月はつっかえ棒を外そうとする。
そんなことをしたらさっきの弓矢男が入ってきてしまうではないか。
慌てて止めようとすると、腕を伸ばした先、何もないところで皐月が手首を捻ると理解できないベクトル操作がなされたかのように槍持はつんのめって背中から床に落ちた。
触られてもいないのに、まるで皐月に合気道のように投げられたかのようであった。
受け身をとっていないにも関わらず、落下のダメージがないのは手加減されたからだろう。
少なくとも、どうやったのかは知らないが、槍持は皐月によって投げ飛ばされたのは確かである。
触れもせずにどうやって?
「あー、オジサーン。女子高生にどさくさ紛れにボディタッチしようとしたんでしょー。エッチ、スケッチ、ワンタッチなんだから~ ウシシシシ」
大橋巨泉のように笑うパンク巫女。
笑うと妙な可愛さがあるのだが、外見の異質さとは完全にミスマッチだ。
「そんなんじゃねえ! あんた、外に出たら殺されるんだぞ!! せめて朝まで隠れていた方がいい!!」
「隠れているのなんかバレてるに決まってるじゃん。中に入るの見られてるしね。それにさあ、あんな殺気垂れ流しのやつらが、うちに勝てるはずがないって。まあ、見てなよ。禁裏におわす帝の御一族を御守りするために編み出された刹彌流柔の実力をさ」
そう胸を張って皐月がつっかえ棒を外そうとした時、建物の外から夜のしじまを突き破ってエンジン音が轟き渡った。
轟音はほとんどすぐに間近に寄って来て―――
「危ない!!」
本堂へと通じる木製の引き戸を突き破って軽トラックが姿を現した。
衝突によってフロントガラスに蜘蛛の巣状の罅が入っているが、その後ろに運転しているものの顔が見えた。
先ほどの弓矢男とは違う、口が異常なほどにねじ曲がった総髪の怪人であった。
本堂の中央まで強引に突入してきて、ブレーキが嫌な音をあげる。
同時に、軽トラック―――スズキのキャリィだろう―――の荷台から二人の男たちが飛び降りてきた。
一人は見覚えのある弓矢の男。
もう一人は身長ニメートル以上の巨漢だった。
どちらも似たような捩子くれた身体と奇形そのものの顔を持つ怪物であった。
こいつらが〈山鰐〉。
そう呼ばれている妖魅のような殺人鬼であると槍持は戦慄と共に悟った。
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