第267話「人食いのモリ」



『ところで、ぬしは何のためにこんな奥深い場所に参られたのだ?』


 先導する僧侶が口を開く。

 二人だけの沈黙に耐えきれなくなったという訳ではなく、ごく普通の世間話のような何気ない問いかけ方である。

 僧侶のことを、いかにも怪しいが縋り付く藁として我慢していた槍持が思わず答えてしまうぐらいの巧みなタイミングであった。


「改葬の手続きのため……ですよ」

『ほお。御骨おこつを移しに来なさったのか。拙僧も知らないお顔じゃが、村の縁者であったのか』

「いや、俺は仕事で。村とは何の縁もないんですが、まあ、依頼者に頼まれて墓地の管理者と話し合いをする必要があって」

『なるほど。道理で』


 道理で……何なのだろう?

 槍持はいぶかしく思った。

 ただ、僧侶がいて寺があるということはもしかして村の墓地の管理者はこの不気味な人物の可能性がある。

 それならば怪我の功名になる。

 今回の改葬の仕事はこなさなければジムニーのタイヤ交換のための資金が稼げず、赤字となるのは確実だから槍持は真剣にならざるを得ない。

 多少、相手の見た目も雰囲気も不気味であったとしても構っている暇はなかった。


「ご住職はそこの廃……お寺にお住まいなんですか?」

『そうじゃ。ご覧のとおりのあばら屋故、誰も住んでおらんと思ったかな』

「はあ、まあ、そうです。ご住職、お一人では大変なんじゃありませんか」

『いや、拙僧は縁あって一風変わった三兄弟と生活しておる。そやつらが食事の準備などの寺男のような真似をしてくれるので快適なほどだ。そうじゃな、何百年前かに比べれば、苦労はほとんどないようなものだ』


 何百年前か。

 そりゃあ電気もガスもネットも整備された時代なら、山奥の寂しい寺でも少しは便利に暮らせるだろう。

 だが、槍持は首をひねった。

 あの寺の様子ではそこまで快適とは思えないのだが……


「じゃあ、俺が居たときは同居人の方々は出払っていて、寺にはいなかっただけなんですか。随分と真っ暗でしたから」

『おそらくな。ここしばらく狩ってきた獲物の腑分けなどで忙しそうにしていたようだが、昼頃に喜々として出掛けて行ったからまた狩りに行ったのじゃろう』

「狩りですか? 地元の猟友会なんかですか? もしかして熊でもでたとか!?」

『いや、純粋にやつらの趣味じゃ。昼に出掛けたのは、これまでに嗅いだことのない芳しい匂いに魅かれたからのようだったが、今になっても帰らんとはおかしいのう』


 銃を持った狩人が徘徊しているというのは、槍持にとって良いニュースではなかった。

 もしかしたら誤射されてしまう可能性があるからだ。

 背筋が寒くなった。

 もし、この住職に会わずに夜道を歩いていたら危なかったかもしれない。

 それとさっきの二人組の美少女たちのことが心配になった。

 この住職と行き違いになったのは、もしかしたら山の中に踏み込んだからかもしれない。

 何かを探していたようだったし、狩人たちのことを知らずにいたとしたらとてつもなく危険だ。

 基本的にお人好しな槍持としては胃が痛くなるような話である。


「ご住職!! その兄弟となんとかして連絡はつきませんか!?」

『どうしてじゃ?』

「山の中に女の子が二人、迷い込んでいる可能性があるんですよ! その子たちが間違って銃で撃たれたりしたらヤバいです!!」


 だが、住職は驚いた様子も見せず、


『やつらが使うのは鉄砲ではなく弓だ。それにマタギのごとく手練れの狩人じゃから、獲物を間違ったりはせんよ』

「……ならいいんですが」

『ふむ、おなごが二人か。それがやつらが喜々としていた理由じゃろうな。しかし、妙だな、やつらがこれほど時間を掛けても仕留められぬとはどういうことなのじゃ?』

「は?」


 今、この不気味な住職はまったく意味のわからないことを言ったぞ。

 おなご二人を、どうすると言ったのだ?


「……あんた、今、なんつった?」

『拙僧が何かを言うたかね?』

「言ったろ!! 時間を掛けても仕留められないとかなんとか!!」

『ああ、確かにいうたな。拙僧とやつらはもう長きにわたる付き合いじゃが、これほどまでに狩りに時間を掛けたことはないから驚いておるところだ。あの三兄弟が、この山の中でまとめてかかって殺せぬものがいるとは思えぬからな』

「殺すだって……」

『うむ。あやつらは拙僧の知る限り生粋の邪鬼の類いであるからな。……そもそも、おぬしが生きておるのも不思議じゃ。やつらの罠にかかって立ち往生しておったのに、どうして弓で射られておらぬ?』


 最初はただの冗談だと思った。

 坊主らしい辛気臭い内容の。

 だが、目の前の片目に近い奇形の僧侶の顔には諧謔を言ってる様子など皆無だった。

 むしろ本気で疑問を抱いているようだ。

 なぜ、槍持が生きているのかという疑問について。

 絶対に笑い飛ばせない恐ろしいがそこにはあった。

 後ろに下がろうとして、一歩後退したとき、思わず膝からがくんと力が抜けた。

 恐怖が足に来たのだ。

 しかし、それが槍持の命を救った。

 よろめいた彼の目の前をひゅんと何かが通り過ぎ、地面に深々と突き刺さった。

 尻もちをついた槍持の眼が、その突き刺さったものを見据えた。

 それは矢だった。

 手作りのものらしく無骨で汚らしいものだったが、圧倒的なまでの迫力があった。

 あくまでも弓矢というものが生き物の命を狩るためのものであることを見せつけるような存在感と共に。


「俺を殺そうとした……のか?」


 呆然と呟いた彼は、矢の飛んできた方角を慌てて見た。

 そこには弓を手にした白髪の男がいた。

 泥で汚れた襤褸をマフラーのように巻いているせいで顔はわからないが、黄色く濁っている眼が強烈なまでに印象的だった。

 こんな目つきで睨まれたことは今までないと断言できるほどに。


『ふむ。やつらにとって今日は運のよくない日のようじゃな。狩りがことごとく失敗するのもわかる。えてしてそのような日に、御仏が降臨するものなのだが、さて、やつらのような邪鬼のもとにも訪れてくださるものだろうか』


 僧侶にとっては槍持が殺されかけたことなど、なんの関係もないらしく、聞きようによっては残酷な独り言を言う。

 しかし、槍持にとってはそんなことはどうでもいいことだった。

 逃げなければ殺される。

 あの弓矢の男は間違いなく彼を殺害するつもりなのだ。

 槍持は走り出した。

 男のいた方角の反対側へ。

 そちらには例の廃寺があった、彼が元来た場所であることはわかっていたが、なによりも弓矢の男から一歩でも離れたかったのだ。

 単純に考えれば国道から離れれば離れるほど彼にとっては不利になるのは確かであり、僧侶の話が真実であるのならば寺は男の棲家でもあるはずなのだ。

 そちらに逃げるのは愚の骨頂と言ってもいい。

 だが、人間というものは我を忘れたときに思考というものができなくなる。

 だから、ホラー映画の登場人物たちは観客にとっては愚かとしかいえない行為にでるのである。

 人の愚かさというものは決して笑い事ではないということの証左であった。

 だから、槍持が喚きながら逃げたとしても誰にも笑うことはできない。

 叫び喚けば自分の位置を教えてしまうとしても、必死で命がけで逃走劇を演じるものたちにはどうしようもない行動なのだ。

 声を出すだけで少しでも助かるような気がするからこそ叫ぶのだ。


「助けてくれええ!!」


 生涯でここまで必死に走った経験は槍持にはない。

 ないが、走るしかない。

 あの弓矢の男は必ず自分を殺す。

 走り続けなければ殺される。

 確実に。

 だから、木の根に足をとられ、頭から地面に倒れこんだとき、槍持の死は確定的な事実になった。

 彼にはわかっていた。

 あいつが見失うことなく追ってきていることを。

 狼に追われたウサギが本能で狩猟者に勘付くように。

 すぐ後ろの茂みのどこかにあいつはいる。

 つけてきている。

 ああ、もうおしまいだ。

 立つこともできずに諦めのあまり頭を抱えたとき、頭上で声が聞こえた。


「何やってんの、おじさん? あー、わかったぞ、うちのような女子高生のパンツを覗くために匍匐前進してんでしょ。うんうん、それもエロカツだね。うちもよくやったよ」

「……確かによくやってるわね。おかげで最近は高校の制服以外でスカートを履きたくなくなったわよ」

「ネシーも最初はガードルとか履いてて色っぽくて良かったのに、最近はスパッツなんか履いちゃって哀しいなあ」

「あなたのせいでしょ!!」

「でも、うちはスパッツも好きだよ。というか、女子服全般大好きさ!!」


 聞き覚えのある漫才だった。

 さっきの二人組だ。

 無事だったのかと安堵するとともに、生来のお人好しの血が騒いだ。

 こいつらを助けないと!!


「おまえたち、伏せろ!! 狙われているぞ!!」

「狙われてるって……何に?」

「弓矢だ!! 人殺しが弓矢を撃とうしている!! 逃げないと死ぬぞ!!」


 気が付くと、ここはさっきの寺の敷地の中だった。

 ジムニーを停めていた場所だ。

 冴えやかな月光以外にはどんな明かりもない拓けた場所なので、もしどこからか弓矢で射られたら躱すことなんかできない最悪の地形だった。

 このままでは俺だけでなくこいつらも殺されてしまう。

 助けなくては。


「矢ね。……ホント、。なーんちゃって」

「皐月、冗談は慎みなさい。洒落にならないわよ」

「なるよー。だって、あんな殺気満々のやつ相手だったらうちが負けることなんかあり得ないもん」


 ひゅん


 空気が裂けた。

 先ほどの経験からそれが弓矢の放たれた音だと槍持は見抜いた。

 つまり、矢が誰か目掛けて撃たれ、それは誰かを傷つけたということだった。

 だが、地面にも人の肉を抉った音もせず、槍持の身体にも刺さってはいなかった。

 何が起きたのか、おそるおそる顔を上げた槍持は、パンクロッカーの姿をした巫女が握りしめた手の中に納まった矢を目撃した。

 さっき自分目掛けて放たれたものと同じ品だった。

 理解が追い付かなかった。

 なぜ、この巫女の手の中に矢があるのか。


「まったく、うちに狙撃なんか効かないってのはもう少し世界共通の知識にして欲しいよねー」

「あなたみたいな非常識な人間の存在なんて公表できません」

「こんな良識でいっぱいの女の子を捕まえて、ひどいや姉さん」

「殺気の軌道を視て、飛んでくる矢を掴むなんてまともな人間ができる所業ではないじゃないですか」

「だって、刹彌流柔さつみりゅうやわらってそういうもんだもん」


 槍持は、とりあえず世の中には信じられないほど非常識な人間がいるらしいということだけを理解した。


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