第266話「塞がりの道」
疲れていたということもあり、謎の二人組の美少女たちがいなくなってから、もう一度瞼を閉じた。
すぐに眠気がやってくる。
だが、実際にはとても眠いのになかなか意識が微睡まない時間が続き、仕方なく槍持は目を覚ました。
身体中がまだだるい。
疲労が抜け切れていないのだ。
加えて咽喉が乾いている。
カフェイン中毒の彼としてはコーヒーを摂取したくなっていた。
贅沢は言わないので、缶コーヒー程度で我慢しよう。
寝袋を脱いでジムニーのエンジンをかけると、槍持はやってきた道を引き返し始めた。
無人の廃寺はやはり人気がない。
時計を見ると、まだ夜中の三時。
人がいたとしても就寝中である。
曲がりくねった道をヘッドライトと月光を頼りに進む。
すると、道端に白いものが転がっていた。
来るときにはなかったものだ。
通り過ぎると、それが服を着ていないマネキン人形であるとわかる。
死体かと思って肝が冷えた。
誰かが処理に困って捨てていったのだろうか。
不法投棄に注意という看板がどこかにあったような覚えもあるし、そういうことなのだろう。
打ち捨てられたマネキンに気を取られていた槍持は、次のゆるいカーブを曲がったとき、そこにまた白いものが停まっていることについて反応が遅れた。
自動車のテールだった。
幅員がぎりぎり二車線しかない道の真ん中に白い車が無造作に停車していたのだ。
「ちょっと待っ!!」
右にハンドルを切る。
なんとか白い車の横をすり抜ける。
サイドミラー同士がぶつかり合い、聞きたくない異音を発した。
パンとジムニーの左サイドミラーが吹き飛んだ。
やってしまった、と思う間もなく、今度はガタンと衝撃が走る。
経験が槍持に告げた。
前輪がパンクした、と。
しかもこの衝撃からして前輪二つが同時に
さらにハンドルが切れなくなるという異常が生じていた。
何かが前輪に引っかかっているということである。
かろうじて車への追突は免れたが、下手をすれば路肩の木々に衝突する。
ブレーキを踏み込んだ。
それだけでは足りないならとサイドブレーキも引いた。
車体はイカれるが死ぬよりはマシだと思いきる。
キキキキキキキキキ!!
ジムニーのケツが振れ、リアが道の脇の木にぶつかったが、おかげで何とか停車させるのに成功した。
山道だからと速度を落としていて正解だった。
四十キロも出していたら即死していたかもしれない。
ほっと胸を撫で下ろす。
しばらくして、怒りが湧いてきた。
あんなところに停車していた白い車の持ち主についてだ。
確かにマネキンによそ見をしていた自分も悪いが、あんなところに停車していたら後続車両が追突するのも当然ではないか。
しかも、ハザードランプすらつけていない。
高速道路に限らず、路上で停車する時はハザードをつけてアピールすることはマナーであるというのに。
文句を言ってやろうと槍持は下車した。
近寄ると、停車しているのはプリウスαだった。
見覚えがある。
……さっきの二人組の美少女たちが乗っていたものだ。
「あいつらか……」
思い起こせば、この道を使ったものなど彼と彼女たちを除けばいないはずだ。つまり、容易に容疑者は特定できるという訳であった。
少し拍子抜けしたが、言うべきことは言ってやると歩を進める。
だが、おかしなことに車内灯すらついておらず、中に人がいる様子もない。
「なんだ?」
月明かりの下で、槍持はようやく異変を悟った。
プリウスαのフロントバンパー部が妙に傷だらけなのだ。
そして、やや前傾姿勢になっていて、タイヤがパンクしているのがわかる。
まるで彼のジムニーのように。
そして、しゃがんでじっくりと観察してみると、なんと道の端から端まで樹と樹をつなぐように黒い線が走っていて、それが前輪部に巻き付いている。
触れてみると、鋭いトゲのついた鉄条網だった。
それが路上と水平にまるで罠のように仕掛けられていた。
これに引っかかったせいでプリウスαは動けなくなったのだ。
悪質なイタズラだった。
このプリウスαだけでなく、槍持のジムニーも被害を受けたのだから。
「最悪だ……」
こんなものを踏んだらタイヤは全とっかえになるだろうし、ジムニーに至っては後部もぶつけているから検査に出さなくてはならない。
場合によったら買い替えだ。
今の時期には痛すぎる出費だった。
とはいえ、どうにもならない。
このイタズラを仕掛けた犯人に対して請求するしかないが、見つけられる自信はなかった。
地元ならばともかく土地勘のない栃木での出来事だからだ。
「とりあえず、警察と保険会社に連絡するか。あと、JAF、ここまで来てくれるもんかな……」
ポケットからスマホを取り出した
だが、電波が届いていないらしくうんともすんともいわない。
苛々して地団駄を踏みそうになった時、ジムニーを置いてきた後方から誰かが歩いているような音がした。
さっきの二人組かと振り向くと、ジムニーのライトに照らされて、一つの影が立っていた。
シルエットからしてもさっきの女の子たちではない。
とりあえずスマホを切って、陰に話しかけてみた。
地元の住人の可能性もあるからだ。
だとしたら、手助けしてもらえるかもしれない。
こんなスマホも圏外のような場所では藁にも縋る思いだった。
「あのー」
影がくっきりと正体を現した。
墨染めの衣をまとい、薄汚れた袈裟を掛けた、禿頭の僧侶であった。
なで肩の上、妙に猫背なので背が低く感じる。
手には長い錫杖のようなものを掴んでいた。
しかし、その眼は瞼が病気のせいか腫れあがり片目が見えない有様で、しかも髪は剃ってあるようなのにだらしのない髭がまばらに生えていて違和感がある。
とてもまっとうな僧侶とは思えない。
槍持とて普通ならば声をかけることを躊躇うところだったが、背に腹は代えられぬ。
「このあたりの方ですか。ちょっとイタズラされて車がパンクしてしまったんですが手を貸していただけませんかね」
『―――お困りか』
「ええ、まあ」
『拙僧はこの道の先にある寺を庵にしている者じゃが、よろしかったらそこへおいでなされ。出家ゆえ、けいたいでんわは所持しておらぬが、黒電話ならば引いてある。それで連絡すればよかろう』
携帯電話の言い方が、妙に平坦なアクセントなのが気になったが、言葉が通じるということで安心できた。
多少、時代がかった物言いも僧侶ならば仕方ないと割り切れたのもある。
槍持は僧侶に促されるままに、また元来た道を引き返し始めた。
「なあ、お坊さん。俺の車は前のジムニーの方なんだけど、プリウスαの方に乗っていた女の子たちのことを知らないか」
大人としての余裕はなくなり、素の状態に戻った槍持であった。
『拙僧は知らぬよ。用事があって朝帰りをしたら、ぬしが途方に暮れておったから声をかけたまでよ』
「そ……っすか。おかしいな、行き違いになったのかな」
『あろうな』
ここで槍持は気づかねばならなかった。
この支道は一本道であり、時間差からして町から来たものとすれ違うことはまずないはずだということを。
ただ、残念なことに事故と暗闇に動転していた彼がその事実に気づくことはなかったのである。
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