第265話「闇夜の訪問者」



 妙な音に刺激されて、槍持は目を覚ました。

 ジムニーのガラスは外気と彼の体温が温めた空気で結露し、白くなっている。

 おかげで何も見えない。

 最初は気のせいかと思ったが、もう一度心地よい眠りの世界に戻ろうとすると、やはり運転席のサイドガラスがコツコツと音を立てた。

 外に誰かいる。

 頭に浮かんだのは「警察」の二文字である。

 でなければ、こんな深夜の山奥でちょっかいを掛けてくるものはいない。

 他にはオカルト的な幽霊やら町を徘徊するチンピラやらが思い当たるが、もともと楽観的な彼はそんな可能性を一笑に付してしまう。

 ただ、とにかく誰かがいるのは確かだった。

 キュッキュッと助手席に置いてあったタオルで結露を拭く。

 外は相変わらず暗くて、月の光がなければ何も見えないぐらいだった。

 しかし、外にいる誰かが手元に眩しすぎる懐中電灯のようなものを持っているのだけはわかった。

 ペンライトとは比べものにならない大出力のライトのようであった。


「誰だ?」


 ガラス越しでは誰だかわからないので、運転席の窓ガラスを開けた。

 外には出ない。

 最低限度の用心のためだった。

 少し開いただけで野外の冷たい空気が一気に入り込んでくる。

 ブルっとそれなりに温まっていた身体が震える。


「……何か用ですか?」


 かろうじて聞こえるような声を出すと、外にいる人物が答えた。


「こんなところで何をなされているのでしょう?」


 ハスキーな声から発される丁寧語で、相手がまだ若い女性らしいということがわかる。

 ライトの光が逆光になってわからないが、どうやら金髪に染めているらしいので、もしかしたらこのあたりのヤンキーかと考えた。

 だが、少ししたら目も闇に馴れてきて声の主の顔が判別できるようになる。


「あれ、外人さん……?」

「はい、わたしはアメリカ人です」


 驚いたことに、ノックの主の正体は美しい金髪をした白人の少女だった。

 ヤンキーはヤンキーでも、メリケンのヤンキーだったのである。

 槍持は激しく狼狽えた。

 外の少女はただの白人というだけでなく、一目見ただけで忘れられなくなるほどの美貌の持ち主で、栃木の山奥には似つかわしくない相手だったからだ。

 アメリカ人だというのならば英語で話さなければならないと思い、いや、さっき日本語を流暢に喋っていたよな、と考え直し、なんとなくあたふたしていると、さらに後ろから声がかかった。


「大丈夫だよ、おじさーん。この子、日本語ペラーペーラだからさ。ちなみに、うちはペロペーロ好きなんさあ」


 顔を出してきたのは、今度はなんともおかしな格好をした少女だった。

 黒地に紫のメッシュの入った整髪剤のついたショートカットをして、三白眼っぽい鋭い眼差し、そして目元に星のシールが貼ってあり、まるでロック歌手のようである。

 上半身に着ている革ジャンには金属製の四角いスタッズや鋭い鋲がついているのはパンクっぽかった。

 肩にギターでも掛けていればおそらく間違いなくその手のアーティストに見えたであろう。

 だが、ロッカーっぽいのはそこまでだった。

 黒の革ジャンの下には白い和装の衣を着こんでいて、下半身は裾が二つに割れた緋袴であり、足元にはごついリングシューズのようなブーツを履いている。

 まるで神社の巫女さんのようであった。

 全体的にコーディネートは悪くないのだが、槍持にはこの少女のセンスがどこに向かっているのか見当もつかないのだ。

 しかも、こんな山奥である。

 槍持は狐にでも摘ままれたような気分になってしまった。


「ねえ、おじさーん。ちょっと聞きたいことがあんだけど、いいかな? いいよね」

「……え」

「おじさんの年収とか持ち家の有無も知りたいところで、できたら姑が健在かも聞きたいんだけど、それは後回しにして、この辺で6tトラックを見なかった~」


 と、想定外のことを聞いてきた。

 てっきり道を聞かれるかと思っていたのに、訊ねられたのは6tトラックの行方だという。

 槍持は記憶を探ってみたが、そんなものは覚えていなかった。

 少なくともこの村のある地域に入ってからは。


「6tなんて、このあたりの狭い道だと入れないんじゃないのか。ここだって、難しいぐらいだろ」

「うーん、ま、そうなんだけどさ。うちの勘では絶対この辺に来てるはずなんだよねー。ちょうど、拓けた土地もあったし、ヤバい瘴気の流れている廃寺もあったし、ビンゴだと思ったんだけどなあ」

「皐月。もう少し奥まったところに行きますか?」

「そうすっかなー。早いところ探し出さないとマズいことになりそうな感じだしねー」

「さっきから馴染みの嫌な予感がしています。おそらく、このあたりにはいつもの連中がいるんでしょう。急がないと」

「やっぱり? ネシーって結局はあいつらに絡まれることになるんだね」

「それがスターリング家の女なのですよ」


 二人の奇妙を通り越して謎まみれの女の子たちは、槍持にはわからない会話をすると、納得したのか肩をすくめた。


「ご就寝中のところすみませんでした。わたしたちは帰りますが、できたら、あなたもここからは急いで離れたほうがいいと思います。少なくとも、ここはまっとうな人間が一休みしていていい場所ではありませんから」


 脅しのようなことを言われ、槍持は面食らった。

 ここにいると危険だと遠回しに言われたようなものだからだ。

 しかも、その顔は冗談ではなく真剣そのもの。

 嘘をつかれている風でもない。


「あんたら、何を言っているんだ」

「何って……ナニ? あ、ネシーぶたないで、感じちゃうからさ!!」

「とにかく、わたしたちは具体的な説明はできませんが、ここにいると怖いことが起きる可能性があります。だから、警告はさせてもらいます」

「あー、もう少しでエレクトしちゃうところだった。もうネシーは強引だよね。強引に壁ドンしてくれたりしたら、スカートめくっちゃう」


 ゲシっと白人の美少女が巫女ロッカーの足を踏みつけた。


「くぁwせdrftgyふじこlp!! ひどいや、姉さん!!」

「誰が姉さんですか。まったく皐月はしっかりしてください。そもそも、この案件は〈社務所〉の管轄ではありませんか。FBIのわたしが協力しているだけでありがたいと思っていただけないと」

「だって、せっかく日光をけっこうと言っていたのに、あの娘が変な仕事を押し付けてきたから仕方なく働いているのにさ~」

「あの方は栃木、というか日光周辺からはそんなに離れられないお役目を受けてられるのでしょう? だったら、暇なあなたが代わってお仕事をするのが当然ではありませんかしら?」

「うちは不満だよ。欲求も不満だけど」

「お黙りなさい。さあ、もう少し捜索を続けるわよ」

「へーい」


 二人は少し離れたところに止めてあったプリウスαに乗ると、そのまま走り去っていった。

 残された槍持にとっては青天の霹靂といったぐらいに訳のわからない事態であった。


「なんだったんだ、今の……は?」


 槍持は呆然として呟いた。

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