ー第36試合 Wrong Turnー
第264話「深山幽谷の墓地にて」
改葬という言葉がある。
簡単に説明するとしたら、今ある墓を別の墓地に移すことである。
かつて、人の行き来が少なかった時代にはあまり見られない風習ではあったが、現在のように日本全国に人が移動することが増え、故郷から離れた土地で生涯を終えるものがでてくると、次第に使われるようになっていった。
その方法としては、まず移転先となる墓地を決めて、そこが発行する「受け入れ証明書」を取得する。
次に、現在の墓のある市町村役場で「改葬許可申請書」用紙をもらい、墓の管理者に必要事項を書いてもらう。
それから、受け入れ証明書、改葬許可申請書などを添えて改葬元の市町村役場に提出して「改葬許可証」をもらう。
最後に改葬許可証を移転先の墓地管理者に提出し、改葬することで終了ということになる。
関係する寺や墓地の管理をしているもの、墓石業者など、多くのものが関係し、そして百万円単位の費用がかかることから、それなりに裕福なものしかできないが、故郷に残してきた先祖代々の墓を誰も供養するものがなく放置しておくよりはと改葬に踏み切るものは大勢いる。
たいていは定年すぎた老人ではあるが、たまに中年程度の年齢でも改葬をしようとするものはいた。
行政書士の
「えっと、無料法律相談で話を聞いたんですけど……」
「ああ、うちの支部で定期的に行っているものですね。どの先生にお話をされたんですか?」
「いえ、無料法律相談では名刺をもらったり名前を出して斡旋したりしてはいけないと言われて、東京都の行政書士会の方に直接ここを紹介されました」
「そういえばそうですね」
六畳ほどの広さしかない個人の事務所は、依頼者が入れば狭く感じる程度しかない。
しかし、それでも仕事が手に入るものなら問題はないな。
槍持は楽観的なプラス思考で捉えていた。
依頼者は三十代後半。
脱サラでもして店をだしたいからそれの手続きをしようという話だろうか。
「実は改葬……というのをしたいんですが、私としてはその手続きがどうにもわからなくて」
「ああ、お墓のお骨を移されるんですね。わかりました。私は何度か改葬のお手伝いをしたことがありますし、私程度でよろしかったらアドバイスなど差し上げることもできますよ」
「いえ、先生にはあの改葬手続きのすべてをお願いしたくて……」
丸投げということか。
だが、行政書士は弁護士とは違い交渉権はないし、司法書士と異なり登記をすることもできない。
全部委任されても困るというのが本音であった。
だから、そのあたりのことを極めてオブラートに包みながら説明をした。
「……ですから、すべてお任せされるという訳にはいきません。ご依頼者様にとって不利益が生じないとも限らないので」
「相手方の墓地との交渉などは私がしますので、手続きとか、必要な額を聞きだして報告してくれるとか、そういうことでいいんですがお引き受けしてもらえませんか」
「しかし……」
槍持は依頼者を観察してみた。
身なりはそれほど悪くないが、あまり金を持っていそうではない。
弁護士に依頼したらずっと金がかかることを考えて、安上がりな行政書士を使うつもりなのだろうというのは明白だった。
それに、場所によっては勤め人には何度も往復できない距離での改葬もあるだろうし、丸投げしてしまうという判断も悪いものではない。
「費用に交通費とかも上乗せさせていただくことになりますが、それでいいのですか?」
とりあえず訊ねてみた。
それで躊躇するようなら引き受けない。
だが、依頼者は引き下がるどころか、喜々とした顔で槍持の手を握ってきた。
「お願いします、先生! 実のところ、私、その改葬先の村に行ったこともなければ死んだ先祖のことも良く知らない状態なのです。ご先祖様ということで、きちんと面倒見なければならないことはわかっているのですが、実際のところ、どうも気乗りしなくて……」
「だったら、改葬をしないという選択肢もあるとは思いますが……」
「いえ、私がいつもお世話になっている占い師さんによると、先祖の霊を祀らないと来年はきっと不幸になるという卦が出ているそうなんです。良く当たる占い師さんなので、やはり改葬をして、私のすぐ傍に御骨をですね、持ってきて供養したいと思いまして!」
二重の意味で神頼みみたいなものか。
槍持はなんともいえない気分に陥った。
寵愛している占い師が言うから先祖供養のために改装をしたいと言い、ただ気乗りがしないから町の法律家に丸投げするという。
とはいえ、もめ事を起こして泣きついてきた訳でもないので、槍持としては断る理由もなかった。
改葬は、役所との書類のやり取りが重要な仕事だし、その分野では行政書士が適任ともいえる。
「わかりました。私で良ければお引き受けしましょう」
「ありがとうごいます!」
それから一時間ほど打ち合わせをしてから、槍持と依頼者は正式に受任の契約書を交わしたのである。
◇◆◇
槍持が愛車のスズキ・三代目ジムニーとともに、その村に降り立ったのはそれから二日後のことだった。
改葬の案件を受けるたびに、まず、今の御骨が納められている墓地を管理している市町村の役所に電話をしてみるのだが、まずここでつまずいた。
なんと、その村には役場がなく、行政手続きは隣にある町で行わなければならないというのである。
平成に行われた大合併のときに、ほとんど村の機能は町に吸収され、形だけはまだ村として残っているがほとんど番地扱いなのだという。
しかも、町役場に聞くと、その村には寺と呼べるものがもうないとも聞いた。
寺がないということは、例え墓地があったとしてもその管理人がいないということになりかねない。
そこで、墓地の管理をしているものはいないかと聞くと、随分と時間がかかってから、元村長の家がやっているのではないかという情報がでた。
正直なところ、田舎すぎて状況がよく把握できない。
槍持は考えた挙句、直接訪問してみることに決めたのだ。
都合がいいことに、目的の村は栃木県栃木市の外れの山中にあり、多少遠回りだが傍には東北自動車道が走っている。
槍持の家から120キロメートルほどで、車で行くのも困難な距離ではない。
愛車ジムニーでの小旅行を趣味としている槍持にとっては、日帰りしてもたいして疲れない場所だ。
場合によっては地方の隠れ湯に浸かってから車中泊をしてもいい。
一度決めてしまえば、槍持のフットワークの軽さが発揮され、彼はそのまま家の駐車スペースに停めてあったジムニーに仕事道具と背広を一着放り込むと走り出した。
昼に出て、サービスエリアで軽食をとって村に辿り着いたのは、午後五時過ぎ。
予定よりは時間がかかってしまったことから、暗くなりかけた田舎で一泊はすることになりそうだった。
だが、実際に降り立ってみると人の気配がほとんどない。
わずかに農家らしい一軒家が幾つかあるのだが、そこも暗くて電灯さえもついていない状態だ。
「マズったかなあ」
経験則上、こういう共同体では下手に動き回ると全体から嫌われるおそれがある。
改葬という、ややデリケートな作業をするのだから、住民の不興を買うのは得策ではない。
「朝まで大人しくしているか」
村に長居するのは止めて、そのままジムニーで引き返す。
近くに朝まで停車できそうなスペースがないかを探すことにしたのだ。
来るときとは逆に注意して周囲を見ていると、車一台分ぐらいの支道があり、奥に拓けた空間がありそうだった。
もうそろそろ暗くなるのがわかっていたので、そのまま急いでそこに入る。
辿り着いた先は、古いお寺のような建物の跡地があった。
普通ならば薄気味悪くて近寄らないだろうし、一般人ならそこに泊まろうなんて思いもしないところだが、若い頃からのアウトドア生活で麻痺していた槍持は躊躇いもなくそこで眠ることにする。
寒すぎるようなら、一度少し離れた町にもどればいいだけのことだ。
ジムニーにいつも用意してある着て寝られるタイプの寝袋に入ると、そのまま槍持は眠りについた。
軽自動車であることから狭いジムニーの運転席も気にならないのが、彼の鈍感すぎるところでもあった。
……そして、月が完全に昇りきった夜。
コツコツと運転席のガラスを叩く音がした。
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