第263話「彼女の死の意味」



 そのアパートは足立区の隅にあった。

 近くには信じがたい騒音を発する工場のようなものがあって、とてもじゃないが長くは住んでいられないような場所だ。

 目的の部屋は201号室。

 共同便所なうえ、歩くとミシミシと音のする階段のすぐ傍にある陽の当たらない部屋であった。

 お風呂だってついていない。


「開けるよ」


 管理人から借りた鍵で中に入る。

 ほとんど何もない部屋だ。

 わずかに散らばった衣類とコンビニエンスストアの袋に詰め込まれたゴミだけが生活感を漂わせている。

 ここに、彼女は住んでいたのだ。

 星林レモンという芸名の元グラビアアイドルは。


「……家族も片づけに来たりはしていないんだ」

「みたいですね」


 僕の後についてきた鹿倉さんが頷いた。

 もう昨日には妖怪〈鉄鼠〉の事件は片付いていたのだが、土御門館長に命じられて顛末を見届けたいと僕らに同行を申し出てきたのだ。

 何だか知らないけれど、あの陰陽師の家系の裏・館長に気に入られてしまったようで、これからの人生がオカルトまみれになるだろうと思うと不憫でならない。

 経験則上、一度でも妖怪絡みの事件に関わると、何度でも深く巻き込まれることになるということは僕もわかっている。

 これまで人生では一回も遭遇したことのなかった妖怪どころか、幽霊にさえ頻繁にお目にかかるようになるのだから。

 僕の知っている範囲では、妹の涼花やクラスメートの桜井、フリーの不動産調査士の高儀さんなんかはもう何度も妖魅絡みの事件に巻き込まれているはずだ。

 一度でもその手の世界を覗き込んでしまうと、否応なしに巻き込まれる傾向があるのかもしれない。

 だから、この鹿倉さんもこれから似たような境遇になるだろうと予想できた。

 土御門館長はそもそも陰陽道の泰斗のようだし、きっと散々こき使われることになるだろう。

 南無三。


「……寂しい部屋」


 音子さんがしみじみと呟く。

 確かに一人の女性が死ぬまで暮らしていたものとは思えない、質素で何もない部屋だった。

 この部屋の主は一ヶ月ほど前に、別の場所で自殺して亡くなっていたのだ。

 そして、彼女は生前の妄執を叶えるために〈鉄鼠〉になった……


「あ、もしかしてこれですか?」


 鹿倉さんが部屋の隅のカラーボックスの中に収めてあったファイルを取り出す。

 スクラップブックのようだった。

 めくってみると、着飾った綺麗な女性の雑誌の切り抜きとかが挟んであった。


「グラビアアイドル時代のものですね。―――でも、どんどんと過激な写真ばかりになっていって……」


 最後はもうほとんど脱いだ全裸のものばかりだ。

 おそらくこのあと、彼女は借金のカタにエッチな雑誌のモデルになり、おそらくアダルトビデオに売られることになるはずだった。

 でも、彼女はその直前に事故にあって顔面に大怪我をして、AV女優とされることはなくなった。

 貌に大怪我をした人間を使うほど、AV制作会社も鬼畜ではなかったということだ。

 ただし、彼女はもう望んだ生活は送れず、ひっそりと派遣の仕事などをしながら生活をし、最後は自分の命を断った。

 その直前、自分の人生を狂わせたヌード写真の存在を呪いながら。


「元グラビアアイドルとはいっても、それほど売れなかったみたいですね。お仕事もそんなになかったみたいですし」

「掲載されたエロ雑誌もほんのわずかだから、それが心残りだったのでしょう。全部、消してしまえばいいと願うほどに」


 ―――そう、この部屋に住んでいたのは、星林レモンという元グラビアアイドル。

 自分を狂わせた全裸のあられもない写真をすべてなくしてしまおうと古書店と、国会図書館を襲った〈鉄鼠〉の正体である。

 いくら少部数だったとはいえ、それですべての販売部数を消せるわけがない。

 それなのに妖怪となった彼女は必死に古本屋を巡り、執拗なまでの妄執を発揮して一冊ずつ齧っていった。

 最後に残ったのが、国会図書館に所蔵されたものだけというぐらいに、あまりにも桁外れの執念であった。

 あのとき、音子さんが〈鉄鼠〉を倒したとき、すでに彼女の全裸の写真が載っているエロ本はすべて食い尽くされた後であった。

 だから、もう一枚たりとも残っていない。

 きっと、ネットで検索しても電脳世界の奥底で眠ったままもう甦らないだろう。

 何か特別なことでも起きない限り、それは確実だ。

 星林レモンが活躍したころはまだネット黎明期で、今とは違いまともに画像がデータとして残っていることも稀だろうし。

 僕らが見ることができるのは、グラビアアイドルであった頃の彼女だけなのである。


「ホントに自分の昔を消したくて〈鉄鼠〉になったんだ……」


 Twitterやインスタグラムで自撮り写真をバンバンあげている音子さんにはきっと思うところがあるのだろう。

 僕がした今回の妖怪の背景の推測を神妙な面持ちで聞いていたし。


「うん。頼豪が延暦寺を僧兵たらしめている在り難い経典を呪ったように、彼女も自分にとって望んでいなかったエロ写真が載った雑誌を呪ったんだと思う。現世に残した未練、執念が彼女をネズミの姿にしたんだ」


 妖怪としては決して侵入も容易くはない国会図書館を最後の目的にしたのもわかる。

 星林レモンにとって、自殺をして惨めに死んでいくのは我慢できても、過去の呪わしい歴史を消し去らないことには死んでも死に切れなかったのだろう。


「でも、グラビアアイドルの頃の水着グラビアとかはそのままなのですね……」

「女にとっては綺麗な頃の写真って何よりも大切なんだと思う」


 音子さんがしみじみと呟く。


「だから、君も写真を撮ってTwitterとかに載せるの?」


 だが、覆面姿の巫女は首を振った。

 違うらしい。


「じゃあ、どうして?」


 すると、彼女は、


「人よりも目立つのが大好きだからだよ」


 と身も蓋もない答えを返してくるのであった……


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