第262話「跳ぶ巫女レスラー」
僕がエロ本を手にして呆然としていると、スマホが着信音を鳴らした。
知らない番号だったけど、とりあえず出てみると、『もしもし升麻くんですか。私、鹿倉です』と名乗られた。
そういえばさっき連絡先として教えておいたっけ。
「はい、もしもし」
『無事だったのね。そっちの様子はどう?』
「音子さんが〈鉄鼠〉を見つけて交戦に入りました。というよりも追いかけっこを始めています」
『―――神宮女さんは大丈夫なの?』
「まあ、いまのところはなんとか。……ところで、何かあったんですか。連絡をしてくるなんて」
『あ、あの、さっきあなたに頼まれていたことを、職場の先輩たちから聞き出したんだけど……』
これまでに〈鉄鼠〉によって被害にあった書籍はどういうものかという情報収集を頼んでおいたんだ。
ちょうどいい、ここに散らかっているエロ本のことについて聞いてみよう。
そもそも国会図書館にエロ本があること自体がわりと不思議だったし。
「何が被害にあっていたんですか?」
『えっと……タイトル言うの恥ずかしいんだけど、「桃色牝延喜 VOL.14」とか、「お姉さんバイブレーション 三月号」とか……かな?』
「待ってください。どう聞いてもエッチな雑誌のタイトルとしか思えないんですが」
『そうなの。18禁の……男性向け写真雑誌ばかりなのよ』
「普通の本は?」
『ないわ。全部、その手の本。先輩方も「図書館にいてもエロいネズミばかりなんだなあ」とか笑っていたわ』
……間違いはない、ということかな。
でも、どういうことだろう。
ここに散らかっているのもエロ本だし、前に被害にあったのも同様のものばかり。
つまり、あの〈鉄鼠〉はエロ本ばかりを狙っているとしか思えない。
まさか本当にエッチなだけのネズミなのか。
「……国会図書館って成人向け雑誌の類いも蒐集しているんですか?」
『ええ、まあ、日本で出版されたものはとりあえずなんでも集めるというのが方針ですから。館内なら貸し出しもしていますよ。でも、貸出受付の職員は若い女の子が多いですからそんな勇気のある人は滅多にいませんけど』
公的機関にエロ本の貸し出し履歴がつくのはさすがに嫌だろうしね。
ただ、この国会図書館にはたぶんすべてとまでは行かないけれど、今までに出版されたエロ雑誌はほとんど所蔵されているのだろう。
確か、伝聞では、個人の出したマンガ同人誌なんかもあるという話だったし。
「……国会図書館は日本の知識の集大成ではあるけれど、同時に通俗的な知識のコレクターでもあるのか」
つまり、地下で土御門館長が研究しているような本当に価値のある本だけでなく、エロ本のようなものであっても狙われてもおかしくない。
でも、頼豪は比叡山延暦寺への怨みから経典を齧ったというが、エロ本なんかを〈鉄鼠〉が恨んだりする理由があるものだろうか。
あの〈鉄鼠〉はどうして……
ちらりと見た姿かたちを思い出す。
―――紅い絣の着物をまとった小柄な二足歩行、身体は小さく、長い髪のような鬣を持っていたネズミだった。
待てよ。
頼豪がなったという〈鉄鼠〉は僧侶らしく袈裟をまとった姿で描画されていたから、〈鉄鼠〉が着物を着ている妖怪だというのはわかる。
じゃあなんで、紅い絣の着物なんだろう。
紅い着物なんて普通は女物じゃないのか……
「鹿倉さん、あなたが〈鉄鼠〉を目撃したとき、どんな印象を持ちましたか?」
『印象と言われましても…… 怖い妖怪だとしか……』
「―――女の人のようだと思いませんでしたか」
『それは……確かに……』
鹿倉さんは口ごもりながらも否定しなかった。
彼女がそう感じたのは事実なのだ。
そして、それは僕の想像に裏打ちをする。
「あの長い鬣は、もしかしたら、女性の長髪なのか……?」
僕は手にした雑誌をめくり始めた。
完全にダメにされているものもあるが、一枚か二枚だけを齧られているものある。
これがおそらく答えだ。
所蔵されているエロ本すべてを狙っている訳ではなく、特定のページだけが目的なのだ。
つまり、それは……
「わかった! 〈
『ひゃっ!!』
僕はざっと見渡してから本棚の上を跳び回る音子さんを追った。
〈鉄鼠〉は鼠とはいえ、小学校高学年ぐらいの身体つきだから、完全に逃げたり隠れたりはできない。
上から猛禽類のように追跡する音子さんを振りきれない。
ただし、その音子さんも襲ってくるネズミの群れに捕まらないように動かなければならないという緊急事態である。
あれほどのネズミの集団に捕まったらいくらなんでも致命的だからだ。
「おい、〈鉄鼠〉!!」
僕は必死に逃げ回る〈鉄鼠〉に叫んだ。
だが、〈鉄鼠〉は音子さんから逃れるのに懸命で僕のことなんか気にしていない。
いかにも小動物らしい行動である。
しかし、あいつの足を止めないと音子さんが退治できない。
一瞬でも、あいつの注意を引くことができれば、彼女ならきっと仕留めてくれるだろう。
巫女レスラーの中でもテクニックと速度では彼女がトップなのだから。
そして、〈鉄鼠〉を止めるための方法はある。
「〈鉄鼠〉! いや、星林レモン!! これもおまえが探しているものだろ!! 放っておいていいのかい!?」
僕が一冊のエロ本を掲げた途端、〈鉄鼠〉の動きが止まった。
今度は無視しなかった。
それもそうだ。
僕はあの〈鉄鼠〉の名前を叫んだのだから。
「星林レモンでいいんですよね!! あなたの芸名は!!」
〈鉄鼠〉は黄色い眼で僕を見て、こちらに向けて四足で駆け寄ってきた。
トパーズの眼が赤光を発する。
あれがきっと人間の持つ怨みの色なのだろう。
僕をか、いや僕の持つこのエロ本の方か。
凄まじい憎悪を持って浅ましいネズミの妖怪が僕目掛けて突っ込んでくる。
そんなにもこのエロ本が欲しいのか。
何があったかは知らないけど、そこまでの憎悪。
妖怪になるほどの理由なんて想像もできないけれど。
口から体液を排出しながら妖怪が接近する。
「来い! 逃げ回っていては、おまえの恥部は消せやしないぞ!!」
『キシャアアアアア!!』
巨大ネズミが飛びかかってきた。
齧歯が鈍く輝く。
僕の首筋を噛み破るために。
だが、それよりも早く灰色の胴体を貫いたものがあった。
「あたしの
槍のように伸びた鋭い跳び蹴りのつま先がネズミの腹に穴を開けたのである。
血こそ出ないが、小動物ならではの絶叫を上げながら、〈鉄鼠〉は消えていく。
一回転して音子さんが着地したとき、その紅い絣の着物は散り散りになって消えていくところだった。
音子さんを追っていたネズミの群れもいつのまにかどこかにいなくなっていた。
この国会図書館を跳梁していた妖怪〈鉄鼠〉は滅びたのだ。
目を背けたくなる呪いを残したまま。
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