第261話「頼豪の呪いと〈鉄鼠〉の狙い」



 僕がトイレに行っている間に、音子さんは巫女の格好になっていた。

 御子内さんと決定的に違うのは、覆った白い覆面マスクを被っているというところ。

 彼女の覆面を見て、鹿倉さんいっぱんじんがドン引きしているのはよく見る光景であった。


「準備できた?」

「シィ」


 部屋から出ようとすると、鹿倉さんもついてきた。

 とても自然な動きだったのですぐには気がつかなかった。


「鹿倉さんは待っていてくれていいんですよ」

「えっ」


 なんだか知らないけど、凄く驚いていた。

 僕たちは若輩とはいえ妖怪退治には慣れているけれど、この人は国会図書館の職員であり、ただの公務員だ。

 無理をして危険に飛び込む必要はない。


「で、でも、土御門……館長が……」


 聞けば、裏・館長の土御門館長のことを知ったのは一昨日のことらしく、彼女はこの手のオカルトにはまったく詳しくないそうだ。

 ただ、〈鉄鼠〉をたまたま目撃してしまい、さらに神主の血筋だということを見込まれて、強引に土御門館長に抜擢されたようである。

 さっきの会話の様子からすると、土御門館長は研究以外にはあまり興味のないいかにも学究肌のタイプのようだ。

 だから、面倒な雑務をこの人に押し付けただけで、妖怪退治に付き合わせることまでは期待していないと思う。


「待っていてください」

「そ、そうはいきません!! こ、ここは私の職場なんです!! まだ妖怪なんて信じられませんが、図書館を守るのは私の仕事なんです!」


 上ずった声だったが、必死さはよく伝わってくる。

 きっと真面目な人なのだろう。

 音子さんを見ると、肩をすくめて顎をしゃくった。

 来てもいいよ、という意思表示だ。

 なんだかんだいって退魔巫女の女の子たちは人情に篤く、情に脆い。

 必死な彼女の心を慮ってしまったのだろう。


「いいですよ。でも、エレベーターの前の柵のあたりまでですよ。あそこなら〈鉄鼠〉ならばともかく手下のネズミは入ってこられないでしょうから」


 音子さんの話では、あそこは入り口というだけあって、土御門館長による強力な結界が張られているらしい。

 おそらく退魔巫女たちの使う〈護摩台〉よりもはっきりと妖魅を遠ざけることができるそうだ。

 確かに、僕程度の鈍さでも異世界に迷い込んだみたいな違和感を覚えたから、普通の人でも感じ取れるレベルの強さなのだと思う。

 あれを突破して中に入るのはどんなに強力な妖怪でも一苦労のはずだ。

 さらに、エレベーターの板にも二重三重に結界用の五芒星―――晴明紋が書かれていて、あやかしの類いは近づけない。

 あの結界の中なら、鹿倉さんも安全だろう。

 もし〈鉄鼠〉が入ってこようとしたとしても。

 だけど、一つ気になることがある。

〈鉄鼠〉は地下へ行こうとするのだろうか、ということだ。

 高価な書物を齧って駄目にするという〈鉄鼠〉の習性からすると、この図書館の中で最も価値のあるものは土御門館長の執務室の奥に蔵書されているもののはずだ。

 だから、結界を張っておけば〈鉄鼠〉の侵入は防げるし、手をこまねいている間に退治してしまえばいい。

 ただ、さっきから気になっているのは別のことだった。

 的外れかもしれないが、気になって仕方がないのだ。


「……土御門館長は地下まではネズミ一匹やってきていないと言っていたよね」

「シィ。京いっちゃん、何か引っかかることでもあるの?」

「うん。ちょっとね」

「何?」


 上に昇るエレベーターの中で僕は言った。


「〈鉄鼠〉は高価な書物を狙うって話だけど、今回のものは違うんじゃないかなって」

「どういう意味ですか?」


 鹿倉さんが首をかしげた。


「いや、この国会図書館には日本中で出版された本が集められていることは知っています。中にはとても貴重な本や資料が含まれていることも。その中でも最も価値があるものはきっと古くて希少なものばかりで、その手のものが一番大切なんでしょう。でも……」

「でも?」

「頼豪という僧侶がネズミの妖怪になって延暦寺の経典を齧ってダメにしたのは、当時、経典ぐらいしかめぼしい書物がなかっただけでなくて、祈祷をした彼への恩賞を邪魔したことへの怨みが積もりに積もったからだ」

「伝説ではそうですけど……」

「つまり、頼豪を祖とする〈鉄鼠〉という妖怪は、ただ高価な書物を食い荒らす鼠害という側面だけでなくて、恨みをもって本をダメにする妖怪でもあるんだよ」


 大切な経典を齧られれば、比叡山延暦寺にとっては看過しえない損害になる。

 暴れ者の僧兵といえども、もとはといえば仏教徒の僧侶でもあるのだから。

 同じ僧侶であったからこそ、妖怪となった頼豪は経典を狙ったのだろう。

 いや、むしろ逆に考えてみると、経典を駄目にするためにネズミの姿になったのかもしれない。


「でも、京いっちゃん。それはどういう結論になるの?」

「要するにね。地下の土御門館長にとってのお宝よりももっと普通のものが狙われてるかもしれないということさ。鹿倉さん、職員の人たちが齧られた本を少し見つけたと言っていましたよね。それ、なんだかわかりますか?」

「えっと……雑誌だったような……。ごめんなさい、私が発見した訳ではないので」

「よし、ちょっと電話して確認を取ってください。僕らはその間に、雑誌の保管してあるスペースにいきます。確か、別館だったかな」

「そうよ」


 雑誌が被害にあっていたということは、〈鉄鼠〉の狙いは雑誌類かその周囲なのかもしれないと当たりをつける。

 この広い建物の中を妖怪探してあてもなく彷徨うのは問題だし、とりあえず行ってみよう。

 僕は護身用の桃剣を持って、音子さんの後を追い始めた。

 土御門館長の命令と〈人払い〉の術の相乗効果で、国会図書館の建物の中には人っ子一人いない。

 警備の人たちも内部にはいないようだ。

 用意してあった地図を頼りに、雑誌の保管庫の前まで辿り着くと、音子さんの足が止まった。

 僕のもだ。

 なぜなら、行く手を遮るようにネズミの群れが待っていたからであった。

 四足の小動物らしくなく、後脚で立ちあがってこちらを見上げている。

 しかも鳴き声すら立てることはない。

 悪夢めいた不気味さだ。

 一匹一匹ではどうということのないネズミであっても、百匹近くいるとそれだけで異常な悍ましさがある。


「これってバリケードみたいなものかな」

「シィ。たぶん、この先にいる」

「どうするの?」

「あたしが引きつける。京いっちゃんは隙を見てついてきて」


 すると、音子さんはなんとスチール製の本棚の上に身軽に跳びあがると、そのまま、九郎判官の八艘飛びのように移動し始めた。

 図書館の天井は普通よりも高いということもあるが、ひらりひらりと重さを感じさせない飛翔で奥へと向かう音子さんはさすが「飛ぶ巫女レスラー」である。

 出し抜かれたとわかったのか、バリケードを作っていたネズミたちも身を翻して後を追い始める。

 おそらく、操り手は例の〈鉄鼠〉なのだろう。

 いくらなんでもあの量のネズミに纏わりつかれたら、いくら無敵の退魔巫女でも全身を齧られて致命傷を受けるかもしれない。

 音子さんが危ない!

 僕は後を追ったが、実際のところ、たいしたビジョンがある訳ではない。

 さっきの〈鉄鼠〉の狙いの話もただの妄想の範囲を出ていないし、足を引っ張るかもしれないが、それでも音子さんを一人で先行させるわけにはいかないのだ。

 ネズミたちは素早いとはいっても、本棚の上を自在に飛び回る音子さんの軽やかな飛翔についていけない。


「あ」


 音子さんが今までにない勢いをつけて、飛び蹴りの体勢のまま飛び降りた。

 その先には……紅い絣の着物をまとった小柄な二足歩行のネズミがいた。

 あれが〈鉄鼠〉か。

 予想よりも身体が小さく、何よりも想像と違って、長い髪のような鬣を持っていた。

 手には何か雑誌のようなものを掴んでいた。

〈鉄鼠〉目掛けて音子さんの跳び蹴りが炸裂する。

 しかし、ネズミはするりとその足裏を躱し、本棚の陰に隠れた。

 あれも速い。

 いかにも小動物の妖怪らしい機敏さがある。


「ちぃ!!」


 地面に降り立った途端、音子さんに四方からネズミが殺到した。

 脚から彼女に集り、全身を駆け上ろうとしてくる。

 

「邪魔!!」


 音子さんは再び、本棚の上に飛び乗った。

 脚に付き纏うネズミを払いながら、油断なく床を睥睨して〈鉄鼠〉を見つけ出す。

 逃げ出そうとする妖怪を、頭上から退魔巫女が追うという構図が出来上がった。

 音子さんは全身に集ろうとするネズミから逃げる。

〈鉄鼠〉は明らかに天敵である巫女から逃げる。

 図書館とは思えない広い場所での、死の追いかけっこの始まりだった。


「音子さん、しっかり!!」


 僕の応援が力になるかはわからないが、それでも音子さんはサムズアップで応えてくれた。

 ふと、床を見ると、夥しい数の雑誌が無造作に散らばり、一部が紙片となって散乱していた。

 これは〈鉄鼠〉の食い散らかした跡か……

 僕は完全にボロボロになった雑誌を拾い上げてみた。

 驚いた。

 なんと、この本は高価でも希少でもなさそうな、さらに言えば高尚でもなんでもないジャンルのものだったからだ。

 中身を開いてページをめくると、セックスをしている男女の姿や扇情的な女性の裸体が所狭しと掲載されている雑誌であった。

 一言でいうと、「エロ本」。

 僕も持っていなかった訳ではないが、執拗な妹と御子内さんたちの探索によって悉く捨てられてしまった、世間でいう悪書の類いである。

 こんなものをどうして〈鉄鼠〉が齧っていたのだろうか?



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