第260話「国会図書館の裏・館長」



 どうやら強力な呪力がこめられているらしい柵を越え、エレベーターの扉を閉めようとした時、薄暗い廊下の奥に黄色に光る眼が幾つもこちらを見ていた。

〈化け猫〉の時もそうだったが、動物系の妖怪の持つ、あの黄色い光はとても薄気味悪く身震いしてしまう。

 前に狐憑きの人間に遭遇したときもあんな光を発していた。


「なんて数……」


 鹿倉さんが茫然としていた。

 それもそのはず。

 誰の目にも、あれが夥しい数のネズミがこちらの様子を窺っていることの証しにしか見えないからだ。

 そして、通常、ネズミのような小動物は危険な人間がいるのにあんな行動をとることはない。

 要するに、あれだけの数のネズミがこの世の常識に囚われずに動いているというに等しい。

 操り手は間違いなく〈鉄鼠〉である。

 少なく見積もっても何十というネズミを自在に操ることができる妖怪ということだ。


「音子さん」

「んー、一度、退却する。少し想定外の〈鉄鼠〉みたいだし」

「想定外なの?」

「シィ。あの数のネズミを操るとなると、相当な力を持った〈鉄鼠〉だと思うから、対策を講じる必要がある。頼豪ほどではないだろうけど、ここ数十年に発生した〈鉄鼠〉の中では最大級の強さのはず」


 もともと阿闍梨の位に達するほどの僧侶の怨みが妖怪化したものよりはさすがに劣るとしても、音子さんがやや及び腰になるなんて……

 はっきりと今回の〈鉄鼠〉の姿を目撃すらしていないのに、退魔巫女がここまで警戒をするとはよほどのことだ。


「いったん、地下に行く。土御門の人間に会う」


 柵の中どころか、近寄っても来ない暗がりのネズミたちに見送られるように僕らを乗せたエレベーターは下に向かった。


           ◇◆◇


 僕らを待っていたのは、鶴のように痩せた中年の女性だった。

 髪にも白いものが混じっていて、ひっつめ髪がとても気の強そうな印象を与える。

 着ている服はオートクチュールのパンツ姿で、高価な生地を手作業で仕立てている高級感が僕にもわかるぐらいだった。

 自分に似合った高級服を着こなしているというだけで、随分と上流階層の出身の方なのだと一目瞭然である。

 しかも、気が強いのと品があるのが二つとも絶妙に混じり合って、正面からは話しかけるのも躊躇われるような迫力があった。


土御門つちみかど橘子たちばなこよ。この国会図書館の館長を勤めているわ。あなたが〈社務所〉の媛巫女?」

「シィ」

「―――Todavia jovenトダビア ホーデン,es la mitad エ ラミターde mi edadデミエダ

No lo creoノ ロ クレオ| Me diecisiete años de edad. Y quéイ ケ?)」


 いきなりスペイン語の会話が始まった。

 音子さんのお株を奪われたのだ。

 おかげで気勢を奪われたように感じられる。

 一方、土御門さんは余裕綽々という様子だった。


「十七歳か。〈社務所〉もだいぶ若返りを図ったみたいね。まあ、使い物になるかどうかはわからないけれど。……御所守ごしょもりたゆうとかいう妖怪婆はまだ元気にやっているのかしら」

「シィ。御前さまは壮健のまま」


 二人が口にしたのは、〈社務所〉の実質的なトップにあたるという人の名前だった。

 バイト如きの立場ではお会いしたこともないが、その方の名前が出るというだけでも、この土御門橘子さんという人の地位の高さがうかがわれた。

 音子さんがやや気圧されているようにも見える。

 なんといって、まずスペイン語で挨拶をし返されたというので意表を突かれたのが大きい。

 さすがは大図書館の裏・館長ということか。

 自在に使いこなせる知識が豊富なのだろう。


「―――それで、あなたたちは〈鉄鼠〉を退治するために呼んだのだから、さっさと終わらせてちょうだい。明日には、平常通りにしておきたいの。祝日であったとしても、上では役人たちが資料を集めて吟味している、この国にとって重要な施設なのよ、ここは。妖魅ごときに何日も煩わされたくないの」


 土御門館長はかなりの上から目線で言った。

 常日頃から命令をしなれていることがよくわかる。

 しかも、仕事の上だけでなくプライベートでもその姿勢は不変だろうというのも窺える。

 きっと家にはメイドさんがたくさんいるような家庭で育ったに違いない。

 それが不快にならない程度に上からだというのもなかなか得難い資質かもしれないけど。


「……一つ教えてほしい。この地下には〈鉄鼠〉の被害はでているの? 目撃情報でもいいけど」

「答えはいいえ、よ。鹿倉、あなた以外に誰か職員が〈鉄鼠〉を見かけたという報告は上がっていないけれど、そのあたりはどうなの?」

「は、はい、土御門館長!!」


 鹿倉さんは僕たちと接する時よりもガヂカチになっている。

 土御門館長のプレッシャーが物凄いからだろう。


「わたくしの結界にも綻びはなかったわ。面倒だけれど、結界の晴明紋を見て回ったけど、どこも破られていない。完璧なままだった。だから、〈鉄鼠〉はまだこのわたくしの研究室にまで侵入してきてはいないと断言できるわ」

「普通の書庫では?」

「鹿倉」

「は、はい。―――おっしゃられた通りに職員の半分で見廻ったところ、幾つかの雑誌が破られて捨てられているのを発見しました。あとは、特に深刻な被害は見つかっていません。〈鉄鼠〉……という妖怪の目撃も私一人に留まっています。さっきみたいなネズミも見つかっていません」


 つまり、〈鉄鼠〉の被害はまだこの地下にまで及んでいないということかな。

 僕は周囲を見渡した。

 別荘の居間みたいに広くて快適なキャビンのようなゲストルームで、香りのいいアッサムティーでもてなされているのは図書館とは思えない。

 天井には豪奢なシャンデリアがぶら下がり、壁に飾られたどでかいキャンバスにはみたこともない外国の風景が描かれている。

 まるで王宮にでも招待されたかのようだ。

 それぐらい贅沢な部屋なのである。


 

 

 残り半分は巨大なガラス窓つきの本棚がぎっしりと並び、唯一ある扉は鋼鉄製で電子錠がついている。

 無骨というか、衒学的というか、ちょっと形容しがたい重々しい雰囲気を持つスペースとなっていた。

 しかも、書棚のガラス窓にはいくつもの南京錠で厳重に封じられているのだ。

 中に凶悪な死刑囚でも閉じ込められているかのようである。

 収められている本もまともに背が読めるものは一つもなく、黒々とした古いものだということしかわからない。

 目を通すのは絶対に止めた方がいいとしか思えない書物の山だった。

 きっとヤバいものばかりだ。

 そして、その暗黒の図書館の司書が目の前の女性なのである。


「その扉の奥にはもっとカンファレンスしてはいけないものが揃えられているわ。ここにあるのは、わたくしが普段の研究に使うものだけ。だから、どんなに興味があっても見せて差し上げられないのよ」


 視線を察してか、土御門館長はそう言った。

 残念ながら誤解である。

 僕は一冊たりとも読みたいなんて考えたことさえないのだから。


「ここにあるのは日本でも貴重な書物ばかり。わたくしの趣味は西洋に偏っているので、この館長室にあるのは洋書ばかりだけれど、奥には古事記よりも古いものがあったりするのよ。レベルとしては国宝ばかりだから〈鉄鼠〉なんて下劣な妖怪に齧られたら大変なの。おわかり?」


〈鉄鼠〉が出たということを〈社務所〉に連絡したのはここを守りたかったからだろう。

 確かに、値段がつけられそうもない本ばかりのように見える。

 そのうちの幾つかが妙に気になった。

 一つは戸棚の中の黒い本であり、もう一つは書棚の中にではなく土御門館長の執務机らしいデスクの上に無造作に置かれたものだ。

 そっちは本というよりも和紙を束ねただけのものに見える。


「……さっきから気になっているようね。『伊勢二所皇御大神御鎮座伝記』と『惨之七宝聖典』が」

 

 舌を噛みそうな名前の本だ。


「いえ、ちょっと好奇心があっただけで。僕はただの助手ですから」


 すると、土御門館長は口元を吊り上げた。

 のっぺりとした公家顔なので、ある種の爬虫類を思わせる。


「ふーん、ピンポイントで魔導書を気にする観察眼はいいものがあるわね」

「どうも……」

「伊勢の神道五部書の一つが気になるって、さすがは〈社務所〉の禰宜ってことかしら。ねえ、媛巫女」

「あの、僕は禰宜じゃないんですが」

「どういうことなの。媛巫女の助手って禰宜が務めるんじゃないのかしら」


 そこは説明しづらいところだ。


「僕はバイトなので」

「……アルバイト?」

「ええ、まあ」

「へえ」


 なんだか絶句されてしまった。

 そりゃあ、まあそうだよね。

 土御門館長も陰陽道というオカルトの道の泰斗のようだし、〈社務所〉だってプロレス技を使うけど退魔という裏の世界の人たちだ。

 宅配サービスが労働力として高校生を雇うようにバイトを使うのは問題があるだろう。


「……おかしな話ね。でもいいわ、〈社務所〉は昔から変な集団だから、高校生のバイトがいても構わないということなのでしょう」

「すいません」

「では、神宮女の媛巫女。あとは任せました。本さえ無事ならば、建物と職員への多少の被害は見逃します」

「シィ」

「わたくしはしばらく奥にいますので好きに振舞いなさい。首尾よく片付いたのならばそれでよし。明日の朝までには終わらせればいいです」


 そういうと、土御門館長は机の上の紙の束を掴むと扉の奥へと消えていった。

 取り残された僕たちにはもう目もくれなかった。


「お仕事はじめる」


 音子さんも立ち上がった。

 明日の朝までには〈鉄鼠〉を倒すのならば早めに準備はしなくてはならないだろう。

 

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