第259話「闇で囓る音」



 地下鉄の駅から国会議事堂の方へ向かうと、国立国会図書館がある。

 未成年の高校生である僕らでは表から中に入れないので、裏手にある職員用の出入口に向かうと、少し年上っぽいお姉さんが待っていた。

 黒髪のいかにも大人しい文学少女が成長しました、という見本のようなルックスの女性だった。

 彼女が案内役になった職員の鹿倉栞さんなのだろう。

 僕らを見る目には好奇心と怯えがミックスしたような複雑な感情が浮かんでいた。


「えっと……〈社務所〉の方でしょうか?」 

「シィ。あたし、神宮女音子。こっちはあたしの助手の升麻京一」

「升麻です」


 僕らを見て戸惑った様子なのはわからなくない。

 学校帰りの姿だし、音子さんにいたっては有名お嬢様高校のワンピース型のセーラー服だ。

 横浜では一番のお金持ちが箱入り娘を通わせる女子校であり、僕でも知っているレベルなので鹿倉さんも当然わかるだろう。

 だから、とても退魔巫女としてやってきたとは思えないはず。


「あのー、失礼ですが、お二人ともホントに妖怪退治の専門家なんでしょうか~?」


 もっともな質問を受けてしまった。


「シィ。そちらの館長に〈鉄鼠〉が現れたと聞いたんだけど」

「あ、はい。……えっと、裏の……館長らしいんですけど。私、裏の館長なんてものがいるなんて初めて知りました」


 きっと普通の職員は知らなくていいことなんだろうね。

 この人ははっきり言って知らなくていいことを知ってしまったのだろう。

 僕もそうだけど、隠された世界を知ってしまった人は否が応でも引き込まれることになるのである。  


「もしかして〈鉄鼠〉を見つけたのはあんたなの?」


 音子さんが聞くと、気まずそうに頷く。

 おそらく妖怪を目撃してしまったがゆえに巻き込まれた形なのだろう。

 挙げ句の果てに僕らの担当を押し付けられたとみた。

 となると、事情はあまり把握していないはずだ。

 あまり頼りにはならないだろうな。


「紅い着物姿で立つネズミでした。私の胸までの身長しかありませんでしたけど、立って歩いてました……」

「それが〈鉄鼠〉」

「妖怪なんだなというのはすぐわかりました。私、祖父が神主だったもので霊感みたいなのがあるようです」

「……だから土御門に目をつけられた」


〈鉄鼠〉を目撃したこともあながち不思議ではないということかな。

 神主の血筋というのなら、音子さんたちとの共通点もありそうだ。

 もっとも、〈社務所〉の退魔巫女は並大抵の代物ではないけれど。

 顔合わせも終わったということで、僕らは裏から国会図書館にお邪魔することになった。

 職員用ということだが、ほとんど誰とも合わない通路だった。

 警備員らしき人もいない。

 表の厳重な警備のことを考えると薄寒いほどである。


「〈人払い〉の術がかけてある」  

「そうなんだ」

「このあたりは特に強いけど、建物全体のいたるところに術の臭いがする。土御門、さすが」


 音子さんはこの一帯に掛けられた術の臭いを敏感に嗅ぎ取っているらしい。

〈人払い〉の術というのは、どうもこの国の霊的な力を持つものなら普通に使えるものだということで、〈社務所〉の退魔巫女は頻繁に用いている。

 破るには相応のコツがあるみたいで、何も知らない人間ではほとんど術中に嵌まってしまうようだ。

 音子さんは格闘以外にも術者としての伎倆も磨き抜いているので、この手の術に左右されることは全くない。

 術らしいものは一切使わない御子内さんとはちょっと違う。


「ここを曲がると、さらに地下へと続くエレベーターがありまして……」


 鹿倉さんが薄暗い廊下の先を指し示したとき、僕らの鼓膜をおかしな音が震わせた。


 カリカリカリカリカリカリカリカリ……


 堅いものが擦れあっているような、そんな連続音。


「ひいっ!」

 

 鹿倉さんの顔色が一気に青ざめる。

 この不気味な音の発生源について思い当たる節があるのだろう。

 そして、ここまでの流れによれば、発生源と呼べるものは一つしかいない。


「〈鉄鼠〉が近くに居るよ」

「シィ」


 音子さんが僕らを背にかばい、四方を油断なく睨みつける。

 いつもの改造巫女装束も馴染みの覆面もしていないので違和感を覚えた。

 ただ、こういうところは御子内さんと一緒で心底頼もしい。

 前の警戒は彼女に任せて、僕は死角を注意した。

 電灯があるというのに、どこまでも薄暗い廊下には何もいない。

 壁の奥に穴が空いていてそこから響いているとしか思えないのだ。


「とりあえずエレベーターに行こう」

「は、はいぃ!」


 鹿倉さんを連れて角を曲がると、確かに異常な柵で仕切られたエレベーターがあった。

 これがさらに地下にある〈民俗遺産監督室〉に続いているエレベーターなのだろう。

 地下には強力な結界があり、たいていの妖怪は入り込むことさえできないはずだ。

 一端、態勢を整えてこの建物に出現した〈鉄鼠〉を駆除するべきだろう。


 ―――待てよ。


〈鉄鼠〉は、大切な書物を囓られてダメにされる鼠害が妖怪となったものだ。

 頼豪が生きていた時代の大切な書物は仏教の経典しかなかったから、ネズミの被害がそれに集中したのは当然である。

 しかし、滑稽本なども発売されるようになった江戸期には他にも様々な書物が産まれていた。

 それらへの被害が〈鉄鼠〉となったのならば……


(ここの地下に所蔵されてるようなものばかりが〈鉄鼠〉のターゲットになるものだろうか?)


 ふと、そんな疑問が浮かんだのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る