第252話「〈泥田坊〉がやってくる」
御子内さんが選んだのは、望月家の所有する中で最も荒れている田んぼだった。
〈護摩台〉の資材を搬入し易い国道に近かったという事情もあったけど、〈泥田坊〉という妖怪の特性上、一番出現しやすいという目星をつけてのことだ。
枯れた雑草とかで大変だったけれど、今年は米作りをしていなかったからか収穫した跡にできる稲株もなくて予想よりは手早く作業が進められた。
マットがいつもよりも斜めになりそうなのが不安ではあったけど。
昼から初めて、夕方近くまでかかったが、陽が暮れた頃にはなんとかいつも通りの立派なプロレスリング―――〈護摩台〉が設置できた。
たった一人でやっているにしてはスピーディーでよい仕上がりだと思う。
今回は暗すぎてちょっと動くのに困るため、わざわざ篝火のような高提灯をセットしなくてはならないという手間もかかったが。
ちなみに、望月兄は身内の葬式の支度のために町へ戻ったが、弟の方はこちらに残って僕の作業を手伝っていた。
最初はポカンとしていたのだが、そのうち、十三歳の子供らしく興味が湧いてきたのだろう。
意味はともかくとして文化祭気分で手伝う気になったのだと思う。
働かせてみると意外にテキパキと動く子だった。
「なあ、兄ちゃん」
「なんだい」
「これ、プロレスのリングだよな」
「うん、そうだね」
「あの姉ちゃん、巫女さんだよな」
「間違いないよ」
「何の関係があるんだよ」
「……大人の事情ってやつじゃないかな。僕も最近は深く考えなくなった。そういう設定なんだと呑み込むことにしたんだ」
「―――大人って大変だな」
「だね」
こうストレートに聞かれると答えようがない。
ただ、よく考えるとなんでプロレスリングを作って、その上で巫女と妖怪が雌雄を決するのだろう。
あと、フォールとか20カウントのルールはどこから来たのだろう。
御子内さんはともかく音子さんとかレイさんまで諾々と従っているのは随分と不思議なことだし。
まあ、望月弟に言った通り、深く考えてはいけない。
「あの巫女の姉ちゃん、いないな」
「調べものがあると言っていたよ」
「俺んちのことか?」
「みたいだね。何か思うことがあるの」
一度、心を開くとわりと懐いてくるタイプらしく、さっきから色々と話しかけてくる。
僕はリーゼントの友達なんてまずいない、普通の高校生なので戸惑いがハンパないんだけど、彼は一向に気にしてくれない様子だった。
「〈泥田坊〉っていう妖怪が君たちを襲うかもしれないという予感はあったの?」
疑問だったことを訊ねてみた。
叔父さんの耕作が殺されたとはいえ、この二人の反応はやや過敏だ。
他に何かがあったのとしか思えない。
「ジジイが俺は〈泥田坊〉になるとか言っていたんだ」
「それは聞いたね」
「あいつ、俺らがガキの頃はよく殴ったりしてきたんだ。兄貴がでかくなってガタイが良くなってからは何もしてこなくなったけど、昔っから乱暴な奴でさ。親父なんかもすぐ手がでるから、俺たちはいつもビクビクしなくちゃならなかった」
「……それで?」
「親父は庭で遊ぶと怒るし、田んぼに出るとジジイが怒鳴る。やってられなくて、ダチんとこに行くか、家の中でゲームやってるかばっかしだったな……」
意外と苦労しているんだ。
「そんなジジイだからさ、祖母ちゃんが出てっても当然だと思う。最近は、ボケてきたのか、田んぼ仕事ができなくなってたけど、毎日見廻りするぐらいにはここに愛着あるらしいから、化けて出てもわかるよ」
田んぼに関してだけはマメなのか。
それは〈泥田坊〉になってもおかしくないかも。
しかし、幾つか腑に落ちないんだよな。
「……お祖父さんは」
頭に浮かんだ疑問点を聞きだそうとしたときに、田んぼに爆音とともにバイクが乗り入れてきた。
望月祖父が見たら眦を吊り上げそうだ。
「なんだよ、これ!!」
町から帰ってきた兄貴が叫ぶ。
どうやら、こいつにも説明しなくちゃならないみたいだ。
御子内さんがいないのならばそれは僕の仕事だしね……
◇◆◇
「今回の〈泥田坊〉の出現の特徴は、子孫が大事な田んぼを処分しようとしていることに尽きると思う」
「……実際に売ってもいないのに?」
「うん。将来的に売ると考えただけで、危険を感じて現われるんだろうね」
「それだと、田を返せ~とはいかないんじゃない。望月耕作は、「田を……」とか高儀さんに言い遺したのに」
「彼の遺言には別の意味があると思う。まあ、そこはさておき、望月祖父が変化した〈泥田坊〉は田んぼが人手に渡ることをどうしても避けたがっている。だから、キミらがその意思を表示すればすぐにでも幽界からやってくるだろう」
御子内さんは兄弟二人を見た。
望月兄弟は動揺する。
「マジかよ……」
「嘘を言ってもしかたないね。キミらがボクみたいな胡散臭い退魔巫女の言うことを素直に聞いたのは、その辺の危機意識があるからだろ。祖父がキミたちを祟るっていう」
「―――ああ」
「キミらはまだ学生だ。農業を継ぐには若いし、力もない。ノウハウもだ。そうなると、家屋敷財産を処分してしまった方がいいのは当然のことだろう。でも、〈泥田坊〉はそれを許さない」
「でも、御子内さん。お祖父さんが亡くなって三日は経つけど、二人の前に〈泥田坊〉はやってきてないみたいだよ」
「それは父上が健在だからさ。残念ながら癌で先は長くないということだが、岳父の死によって相続した土地建物はすべて父上のものである以上、売りに出される心配は限りなく少ない。だから、〈泥田坊〉は現われない」
……理論展開に破たんがないか?
少なくとも僕の知っている情報だけを並び立てると、御子内さんの言っていることには多々おかしい点がある。
もしかして、彼女はもう真相に気がついているのだろうか。
でないと、この理屈はおかしくなる。
「なぜ、望月父が健在なら〈泥田坊〉はでてこないの?」
「簡単さ。彼は絶対に土地建物を売ることがないからだ。それをわかっているからこそ、祖父は、次男はともかく長男を殺したりしない」
「それこそ、何故さ?」
「田んぼも屋敷も売られたら困る理由があるからだよ」
望月父は絶対に売らないって理由があるのか。
「キミらはどうする? ここ数日は身内の不幸続きで頭が回らなかっただろうが、現実的に考えて、お父上の入院費用やこれからの学費・生活費を考えたら、ここの田んぼは手放さざるを得なくなるはずだろ」
「そりゃあ……」
「よく考えてみたまえ。お父上が亡くなれば、ここを相続するのはキミらなんだから」
御子内さんはわざと二人を諭している。
これは二人に意思表示をさせようという、いわば策だ。
要するに、御子内さんは望月兄弟に田んぼを処分させようとしているのだ。
なぜ、そんなことをするのか。
答えは明白だ。
子孫が土地建物を売り飛ばそうとすれば、〈泥田坊〉がやってくるからだ。
「あんたの言う通りに売るつもりだぜ。俺ら、田んぼ仕事はするつもりねえからさ」
「兄貴の言う通りだぜ」
「そうか。それでいい」
そこまで話した時、不意に肌寒い風が周囲に渦巻いた。
思わず背筋が寒くなる。
しかも、ただの冷気ではない。
これは人間というか、生あるものの魂を凍らせる
生きとし生けるものを呪う寒さだ。
つまり、〈鬼〉の発する鬼気であった。
ここに生者の天敵が接近している。
「三人とも〈護摩台〉の上に乗れ。土に触れるな!!」
御子内さんの忠告が届く前に、水のない田んぼの一画が泥のように黒ずんでいき、そして縄のような太くて長いものが蛇のごとく鎌首をあげる。
しゅっと音をたてて飛んでくる。
泥でできた縄が望月兄貴の首に絡まる。
「がはっ!!」
〈泥田坊〉が御子内さんの策にはまってやってきたようであった。
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