第250話「田怨地帯にようこそ」



〈泥田坊〉は、有名な絵描き鳥山石燕の描いた『今昔百鬼拾遺』に載っていることから、今日でも良く知れ渡った妖怪である。

『今昔百鬼拾遺』には〈泥田坊〉の一枚絵とともに、『むかし北国ほくこくに翁あり 子孫のためにいささかの田地をかひ置て寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに この翁死してよりその子 酒にふけりて農業を事とせずはてにはこの田地を他人にうりあたへれば夜な々々目の一つあるくろきものいでて 田をかへせ々々とののしりけり これを泥田坊といふとぞ』と添え書きがされている。

 この添え書きによると、北国に住むお爺さんが、子供たちのために購入した田んぼを遺して死んでしまったが、受け継いだ子供は農業をすることもせず酒を飲んで遊蕩したあげく他人に売ってしまった。それ以来、夜な夜な田んぼに一つ目のものが現れては「田を返せ、田を返せ」と罵ったというものだ。

 農業を営む老人が子孫のために田んぼを遺したのに、その心をわからない遊び人の息子を怨んで泥田坊という妖怪と化したものと言われている。

〈泥田坊〉の特徴は、片目しかなく手の指が三本しかない、田んぼから上半身のみを現したものと描かれている。

 以前御子内さんに教わったことによると、人間の五本の指は二つの美徳と三つの悪徳を意味しているという。

 三つとは、「貪欲」、「嫉妬」、「愚痴」のことを指し、それらの悪徳を「知恵」と「慈悲」の二つの美徳でかろうじて抑えているのであり、それらは〈鬼〉の特徴なのである。

 要するに、三本指しかない泥田坊は悪徳のみで生きる〈鬼〉に似た存在であるということだ。

 ……ただ、僕はこの説を聞いて、今回の事件について納得しがたい思いを抱いた。

〈泥田坊〉となった翁は、子供のために田んぼを遺そうとする心根の優しいお爺さんである。

 それが田んぼを子供のために喪って妖怪になるまではわかる。

 だが、〈鬼〉になる理屈はないはずだ。

 少なくとも、邪悪な〈鬼〉と同じ扱いを受ける筋合いはないはずである。

 故に、研究者の中には、〈泥田坊〉は石燕が創作したものであり、言葉遊びで構成されているとする人もいた。

 石燕の時代、江戸において「北国ほっこく」というのは代表的な遊郭である新吉原のことを指し、吉原田圃よしわらたんぼとも呼ばれていたことから、「田を返せ」というのは要するに隠語で性交のことをいい「泥」とは放蕩の「蕩」に通じているのではないか、というのである。

 つまり、翁が死んだという事は「翁亡くす」のゴロ遊びである「置なくす」、すなわち「質草を流す」ことであり、遊びすぎて田んぼの権利まで失ってしまったということだ。

 そのため、石燕と親交があった紀州藩の典医・品川玄湖(狂歌師として「泥田坊夢成どろたぼう ゆめなりの雅号を持つ)が吉原で遊びすぎて身を持ち崩し破滅したことを揶揄したものではないかとも言われている。

 これらを考えると、〈泥田坊〉になった翁その人が〈鬼〉になるほど欲望に塗れていたことになるのでわからなくはないが、〈泥田坊〉の伝承においては喪失者とその原因になったものが分かれていることが妙に気になる。

 僕らの、咽喉にものがつっかえたような違和感はこのあたりのせいであるのだろう。

 しかも、今回の事件においてはまだ問題となる田んぼは売買すらされていないのだから。

 だから、僕らはまず殺された望月耕作の実家を訪ねることにした。

 どのみち、〈泥田坊〉が相手となるのなら、〈護摩台〉に引きずり出すために子孫の力が必要になるかもしれないのでやらなければならないことだし。


「なかなか見事な田園風景だねえ」


 タクシーの外に広がる田んぼを見て、御子内さんが呟く。


「いや、もう休耕期だから一面茶色んだけど」


 すでに十一月にもなれば緑なんかほとんどなくて、収穫期には稲穂で埋まるだろう景色もただの土の連なりだ。


「いや、思ったよりも人家が少なくて田んぼだらけだから驚いていただけさ。東北とかならともかく、このあたりでこれだけ田園だらけというのはなかなかないんじゃないかな」


 皮肉ではなく素直に感心しているらしい。

 多摩出身とはいえ、東京育ちの彼女や僕からすると、田園風景というのにはプリミティブな憧れがあるのかもしれないね。

 思ったよりも人家が少ないというのも確かで、たまに農家らしい一軒家があるだけというのも寂しくもあるが雰囲気もあった。


「このあたりは土地も肥沃でね。ちぃと高いが、農家でもない人間が田んぼやっても結構うまい米が作れるんだよ」

「へえ、そうなのかい」

「ああ。まあ、大宮に近いわりにコンビニも傍に無いから不便といっちゃあ不便なんだけどさ」

「……なるほどね」


 タクシーがある十字路にたっしたとき、ストップの声がかかった。

 掛けたのは御子内さんだ。


「ここでいいよ。あとは歩いていく」

「おいおい、あんたらの言う住所までは一キロ近くあるぜ。乗せていくよ」

「いいんだ、ここで。距離が少ない分、支払いは少し上乗せしておくからさ」

「……別にいいんだが」


 望月家にいくまでの分も余計に支払って、僕らはタクシーから降りた。

 タクシーの運ちゃんは帰りにも使ってくれと、名刺を渡してくれた。

 気に入られたのかもしれない。

 来た方向に向けてタクシーが走り去ると、


「このあたりに、望月家の所有の田んぼがあるはずなんだよ」


 と、カバンから登記図を取り出して見比べ始めた。

 僕も横から覗き込むと、少し先にある区画がそうだという見当がついた。


「こっちだね」

「助かった。どうもこの図はわかりにくくてね」

「女の子は地図が読めないらしいから」

「ボクだって花も盛りのJKだから、当然さ」


 ホント、JKって名乗るの好きだね。


「おやまあ」


 辿り着いたところは、想定外の有様だった。

 思い描いていたものとはまったく異なる様相に、さすがに声もない。

 グーグルアースで見たのは、さっきタクシーが走っていた通りで、望月家の土地ではなかったのだ。

 僕たちが目にしたは、周囲の休耕地のものとは比較にならないぐらいにボロボロで荒れ地と化している田んぼであった。

 どう贔屓目に見ても、絶対に丁寧に世話をしているとは思えない荒れ具合だ。

 しかも、今年だけのものとはとても思えない。


「美田、という感じではないね」

「収穫も普通って話じゃなかったっけ?」

「それは、きっと望月耕作の話をそのまま採用した場合じゃないのかな。もしくは、数年前の段階なのかもしれない。とりあえず、現時点では、このどうしようもなく荒れた田が望月家のものさ」

「〈泥田坊〉って……こんなののためにも出るの?」

「自分のとこの田畑が売りに出されれば、たいていは悔しいんだと思うけど」

「でもねえ、これじゃねえ……」

「同感」


 こんな酷い有様の田んぼのために、放蕩三昧とはいえ息子を殺すなんて通常はあり得ない。


「他の田んぼもこんなものなのかな?」

「ここだけがこんな風というのは考えられないね。望月家の所有田がみんな同じってほうがしっくりくる」

「じゃあ、やっぱりお宅にお邪魔するしかないか」

「話を聞く必然性がさらに高まったということだね」


 望月家はそれから五分ほど歩いたところにあった。

 建物としては、一軒家と倉庫兼作業場のプレハブ小屋。

 ただ少し違和感があるのは、そそり立った塀の存在だ。

 日本の農家というものは庭と空き地が一体化したかのように、都会とは違って家同士の境界線というものがない。

 正確にはあるのだろうけど、田舎のおおらかさというものか、あまり厳密にはこだわらないのである。

 だから、この望月家のように何もない田畑の真ん中にあるのにくっきりと囲われていることはあまりない。

 いや、外部を拒絶しているのか。

 少なくとも、僕にとっては周囲の田園地帯の景色に相応しくない場所だと認識するのに十分であった。

 はっきりとしているのは、この家は、きっと「檻」であるということだ。

 閉じ込めるためか、侵入を拒絶するためか、それ以外の理由があるかはさておき。

 門のところにインターホンがあったので、僕がボタンを押した。

 ピンポーンという電子音がする。

 しかし、反応はなかった。

 それどころか、もう一度押そうとした時、


「動くなよ、てめえら」


 塀の裏から、若い同い年ぐらいの男が現われた。

 手に拳銃を握り、銃口を僕らに突き付けながら。

 これはまさに予想外のピンチといえた。

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