第249話「妖怪〈泥田坊〉」



「おそらく、そいつは〈泥田坊〉の仕業だね」

「〈泥田坊〉?」

「鳥山石燕に描かれた田んぼにまつわる妖怪さ。元の土地が大宮にあるというのに、わざわざ中野まで出張するというのは、〈泥田坊〉にしては活動的だけどね。家が泥だらけになっていて、腹中一杯に泥が詰め込まれていたんだろ? だったら、十中八九、〈泥田坊〉だね」


 御子内さんが高儀さんから聞いた話を解説してくれた。

 どうやら、犯人は特定されたらしい。


「やはり妖怪ということでいいのか?」

「そうだね。……でも、高儀。キミもなかなかよく妖怪に遭遇するね。一度、御祓いでもした方がいいかもしれないよ」

「まあ、な」

「キミさえ良ければ、安いというよりも、手軽にやってくれるお社を紹介しておくけど」

「式の金を溜めないとならんのでな。今は節約中なんだ。また今度にしておく」


 高儀さんは以前会ったときに比べて、思い詰めた感じがなくさっぱりとしていた風だった。

 社会人らしいしっかりとした受け答えには憧れてしまうな。

 それから幾つかの雑談をした後、


「じゃあ、あとはおまえたちに任せる。妖怪相手なんか、一般の不動産調査士には無理だからな。望月さんの残った身内には俺から伝えておくから、おまえらはその〈泥田坊〉をなんとか退治してくれ」

「わかったよ。情報をありがとう」

「どういたしまして、だ。まったく、コネというものは大事だな」


 そう言って、高儀さんは待ち合わせに使った喫茶店から去っていった。

 僕らの分の支払いまでしてくれて、節約は大丈夫なのだろうかと心配してしまう。

 交際費で落とせるのならいいけど……


「〈泥田坊〉か。東北ならともかく首都圏にでるというのは珍しいな」

「そうなんだ」

「関東は穀倉地帯ではないからね」

「でも、埼玉って意外とお米の産地でもあるんだよ。田んぼにまつわる妖怪がふんだんにいてもおかしくはないかな」


 埼玉県は米の収穫量では他の県に負けるが、精米したあとの出荷額は国内一位なのである。

 それはすぐ近くに東京という一大消費地域が存在することから、そこに出荷することが可能だからである。

 米どころである癖にあまり日本酒が作られていないことから、御子内さんの頭には入っていなかったのかもしれない。


「へえ。そんなものなのかい」

「大宮辺りまで行けば、結構田園風景が広がっていたりするし、〈泥田坊〉ってのがいてもおかしくはないね」

「なるほど」


 高儀さんが教えてくれた内容によると、今回、大量の泥によってすでに一人の男性が殺害されている。

 外にはなんの異常もないのに、家の中は泥だらけになり、泥を飲まされて死んだ男性が一人。

 常識ではありえない殺され方だ。

 高儀さんが迷わず僕のスマホに連絡してきた理由もわかる。


「警察では迷宮入りだろうね」

「そうなると思う。調書には泥についてはほとんど触れられずに、終わるんじゃないかな。少なくとも警察では真相に辿り着くことはできないだろうし」

「そこで〈社務所〉の退魔巫女の出番か」

「一人、死んでいるし、世の民草を苦しめる妖怪相手は基本的にボクらの仕事さ」


 相変わらず御子内さんは思いきりがいい。


「でも、大宮から区内に出張してくるなんて、随分とフットワークの軽い妖怪もいたもんだね」

「……そこは確かに疑問だ。〈泥田坊〉って田んぼにとりついた妖怪だから、基本的には自分が執着する田んぼにしか現れないものなんだ。それが自分から動くなんて、ちょっと聞いたことがないかな」


 御子内さんは首をひねった。


「それに伝承によれば、〈泥田坊〉は丹精込めて手入れをした田んぼを、跡継ぎの息子が放蕩三昧の挙句売ってしまったことから現われる妖怪のはずなんだ。少なくとも田んぼが失われたことを奇貨として出現する。それが、まだ売ってもいない段階で現われるのはおかしいな」


 被害者の望月さんはまだ父親から相続した土地を売却してはいない。

 高儀さんが呼ばれたのはその前準備のためだからだ。

 ただ、事態は少しだけ変化していて……


「望月氏の父親は、息子が殺された日の前日、高儀が訪ねていく一日前に亡くなっていたそうだね。そうすると、日本の民法によれば相続はされているわけだ。息子二人しかいないそうだから」

「子供が二人だと、相続分は二分の一だけど、望月さんも遺産を相続はしていることにはなる。遺産に田んぼが含まれるというのなら、〈泥田坊〉の正体が亡くなったお父さんだというなら、将来的に放蕩息子によって失われる前に手を打とうとすることもありうるね」

「うーん」


 御子内さんは納得していないようだ。

 伝承の通りに動く妖怪ならばともかく、少し外れた行動をする相手だとどうしても勝手が違うのだろう。

 とはいえ、〈泥田坊〉という妖怪が暴れていることは確かなので、御子内さんたちの出番であることは間違いない。

 僕たちは新しい被害者が出る前に、その妖怪を退治する必要がある。

 引っかかるところは僕にもあるのだけれど……



          ◇◆◇



 翌日、僕らは大宮―――現在はさいたま市になってしまっている地域へ、武蔵野線を使って赴いた。

 あまり使わない線路だけど、こういうときは便利である。

 道すがら、〈社務所〉の禰宜さんたちが調べた形通りの報告書に目を通す。

 一昨日、〈泥田坊〉らしき妖怪に殺された望月氏は、本名を望月耕作というが、名前に反して父親の農作業の手伝いは一切しないで中野で暮らしていたらしい。

 職業はSE。

 派遣された先で作業を保守したり統括とかをする仕事を請け負っていたとのことだ。

 僕はIT関係に詳しくないのでなんともいえないが。

 ご両親のうち、母親はおらず、生家では父親がそれなりに広い田んぼを耕して生活していたらしい。

 母親については、名のしれない男と浮気して駆け落ちして行方不明ということだ。

 望月耕作とその兄である豊作は、父親の手一つで育てられて、兄は父の後を継いで農家になったが、弟は高校卒業後に都内の家電メーカーに就職した。

 堅実に暮らしている兄と違い、耕作は賭け事やら女遊びやらが大好きな遊び人で、三十代に入る前に会社を辞めて、今のプログラマーの派遣業につく。

 仕事は優秀な部類に入るが、常に借金で首が回らない状態であったらしく、それが結果として遺産である田んぼを売り払おうという決定をする原因になったということである。

 まあ、父親が急逝した直後に〈泥田坊〉になって田んぼを守ろうとするぐらいには、生活が乱れ切っていた人のようだった。

 父親が化けて出てもしかたないところか。

 殺されるまでのことをしたとは思えないけれどね。


「望月兄弟の父親の田んぼというのは、そんなに美田なのかな。妖怪になってまで、息子を殺してまで守りたくなるような……」

「うーんと、グーグルアースで見た限り、わりと普通の田んぼだけどね。禰宜さんたちの造ってくれた資料でも特別に収穫がいいとか、生産物が美味しくて表彰を受けたとかいう記載はない。……まあ、先祖伝来の土地だから大事にしていたのかもしれないけれど」


 僕たちは互いに資料をめくりながら、意見を交わす。

 昨日からなんとなく腑に落ちないので、すっきりできる答えを必死になって探しているようなそんな気分だった。

 喉に舐めていたキャラメルが貼り付いたような不快さ。

 どうも気になって仕方がない。


「いや、そういう訳でもないな。―――父親が農業を始めたのは、結婚して子供が生まれてからだ。それまでは普通にサラリーマンだった。脱サラみたいだね」

「え、田んぼは?」

「以前の持ち主からローンで購入したようだ。1967年のことみたい。ほら、登記の写しがある」


 良く手に入ったものだと思いつつ、登記の写しを見ると、確かに所有権が移転しているのはそのぐらい。

 しかもまったくの別人で、彼らのご先祖からの土地ではないみたいだ。

 すると、先祖伝来の土地でもないが、長年愛着を持って手入れをしてきたから大事にしていたということでいいのか。

 奥さんに逃げられて、男手一つで子供二人を育てながら耕してきた田んぼだから、人手に渡るのは絶対に避けたかったのだろうか。


「とりあえず、この田んぼをめぐって〈泥田坊〉が出るかどうかを確認しようじゃないか。それから、〈護摩台〉の設置だ」


 と、御子内さんは言うが、僕は首を振った。


「その前に、まず望月耕作のお兄さんである豊作さんに会おうよ。それが大事だと思う」

「どうしてだい?」

「何かが引っかかってもやもやしたままでは、色々と集中できないからさ」


 それは御子内さんも同意見だったらしく、特に反対の声は上がらなかった。

 


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