ー第34試合 死の風の吹く田園ー
第248話「茶色い部屋の謎」
フリーの不動産調査士である
「ここらの駐車場は高いんだよなあ」
経費として落ちてくれればいいが、と少なからずセコいことを考えながら、有料駐車場にキューブを停める。
中古だが、今の彼にとって手頃な値段で手に入るものはこれしかなかったのである。
特に来年の春には結婚をすることになっていたので、色々と節約するに越したことはない。
コンビニ袋に入ったゴミが散らばっていてなんとも気持ちの良くない駐車場を出て、ほぼ勘で歩き出す。
「えっと―――弥生町の……」
メールで告げられた住所を確認すると、五十メートルほど先にあるはずだった。
高儀は職業柄か、地図にある通りに動き回ることができる。
ある程度正確な地図ならば一見しておけば記憶してしまい、ほぼ迷うことはないという特技を持っているのだ。
だから、目的地からやや遠目の駐車場を借りたとしてもすぐに辿り着くことができる。
「あれか」
目的地である一軒家の前には自動販売機に飲料品の投入作業をしているベンダーの二トン車が横付けされていた。
すぐ隣にある自動販売機のオペレートなのだろう。
彼らは自販機からハンディカムを用いて売り上げを吸い上げ、足りない分をトラックに積んだ箱から出してカゴに組みいれ、自販機へと慣れた手つきでガシャガシャと投入する。
一件、多くても120本から少なくて50本ぐらいなので作業に要する時間は二十分もかからない。
自販機の隣に設置してあるゴミ箱からの空き缶・飽きペットボトルの回収も彼らの仕事だ。
二人の制服の男たちが忙しそうに作業をしている。
高儀は彼らの傍を通り抜け、反対側にあった家の門に設置されているインターホンを押す。
三回鳴らしたが、何の反応もない。
かなりしっかりとした門だったが、よくよく見ると鍵がかかっていなかった。
要するに、敷地内に入ろうとすれば入れる状況だ。
おかしいなと首をひねっていると、
「あー、すいませーん。この家に用事ある人ですか?」
と、自動販売機の作業を終えたベンダーの人間が話しかけてきた。
「はい、そうですが……」
突然のことで、高儀はやや戸惑ったが顔に出さずに受け答えする。
「あそこの自販機なんですけど、オーナーさんがここの望月さんなんですよ。で、うちの営業から契約の更新についてのファイルを手渡ししてこいと言われてましてね。これなんですが……」
手にしたファイルを示して、
「ところがお留守みたいなんですよ。インターホン鳴らしても出やしないし」
「はあ」
「それで、あまりやりたくないんですが、直接玄関まで行こうかなと思ってんですが、付き合ってもらっていいですかね」
「ああ、そういうことなら構いませんよ」
高儀はベンダーの言いたいことを察した。
つまり、この閉じた門を開けて敷地内に入りたいが、業者だけでいくと何を言われるかわからないから付き合って欲しい。
そういうことだ。
彼としても結局、敷地内に入らなければならないため、この提案を断る理由はない。
何かあった時のための証人はお互い必要だからだ。
「じゃあ、行きましょうか。私、望月さんを送って埼玉の方にまで行かなくてはならないんで」
「これから埼玉ですか?」
「ええ、望月さんの付き添いでね」
……今回の高儀への依頼は、とある不動産屋に頼まれて望月氏が相続することが予定されているという大宮の土地を調査することだった。
予定されているということである以上、望月氏の実の父親はまだ生きてはいるのだが、気の早い息子はいつか相続されるものだと期待してさっさと売却の予定を立てているのだった。
事前に高儀が聞いていた事実によると、望月氏には高齢の父親とそのあとを継ぐ予定だった兄がいる。
だが、兄は四十代だというのにステージの進んだ癌に蝕まれていて余命幾ばくもない状況なのだという。
その息子たちもまだ幼く、もし仮に父親が死んで相続が発生したとしても、父親が精魂込めて手入れして来た田んぼを継ぐことはできない。
だから、家屋敷はともかく田んぼについては望月氏が相続し、それをさっさと売り飛ばす予定なのである。
その事前準備として、不動産調査士の高儀に価格を見積もらせようということであった。
父親の遺産ともいうべき田んぼをそんなに容易く売ってしまっていいものかと、高儀などは思うのだが、紹介して来た不動産屋の社長によると、「望月さんは金遣いが荒いんだよ。借金とかもあるらしいし、まとまった銭が欲しいんだろうよ」ということだった。
なんとなく悪事に加担しているような嫌な気分だったが、高儀は仕事ということで割り切ることにして、今日ここに来たのである。
「入りますね……」
アリバイ的な声掛けをして、ベンダーとともに敷地内に入る。
玄関まで来ると、ノックをしてみた。
反応はなく、とりあえずノブを捻ってみたが鍵がかかっている。
ただ電気のメーターは通常通りに回っているので、中には人がいるようではある。
しかし、いくら玄関の戸を叩いても返事はなかった。
この時点で高儀はかつて感じたことのある不穏な予感を抱いていた。
不動産調査士という職業上だけでなくおかしな星の下に産まれたのか、彼は、独居の末に亡くなってしまった老人の遺骸を発見したこともあるし、殺人事件の被害者を見つけたこともある。
そういった普通の》経験以外にも、半年ほど前に多摩川に近い一軒家である恐ろしい怪異と遭遇したことがあった。
人に化け、人を食う、蟹の妖怪に襲われたのだ。
今、彼が感じているのはその時の悪寒に似たものであった。
只事ではない。
脳内に警鐘が鳴り響く。
しかし、ここにいるのは仕事でもある。
結婚を控えて金を稼がねばならない立場だ。
仕方なく、高儀はベンダーを連れて、横の庭の方へと回った。
手入れのされていないボロボロの庭を横切り、庭に出られるガラス戸から中を覗き込んだ。
「えっ……」
思わず、気の抜けた声が出た。
カーテンのかかっていない室内は完全にスモークガラスでもなく丸見えだった。
内部を一瞥すると、一瞬、何の変哲もない茶色い壁紙の部屋のように見えた。
だが、すぐにそれは間違いだとわかる。
茶色く見えたのは、壁紙がそういう色をしているのではなく、室内の壁がすべて大量の泥で汚れて覆われていたからだ。
顔をガラスに近づけて覗き込むと、壁だけでなく床も家具も調度品も、すべて泥まみれになっていた。
家の中だけが泥だらけなのである。
いったい、どういうことがあれば、家の中にこんなに泥が溢れることになるのだろう。
台風による浸水で水浸しになった家でさえ、ここまで泥だらけになることはないだろう。
逆に、高儀たちのいる庭はまるで普通の状態だ。
泥なんてどこにも見当たらない。
あまりにおかしな光景をじっと凝視していたら、奥の廊下辺りに人の手らしいものが見えた。
倒れているようだった。
もしかして望月氏かもしれない。
状況の奇怪さはともかく、具合が悪いようならば助け起こして救急車を呼ばなければならない。
窓枠に手を掛けると、なんと簡単にガラス戸は開いた。
もともと鍵がかかっていないようだった。
ただ、桟に溜まった泥の影響で開けるのはかなりの力が必要だったが。
「望月さん!!」
ベンダーとともに室内に入る。
むっと泥臭かった。
床に溜まった泥は二センチはあっただろう。
泥の流れ込んだ水たまりを行くようであった。
廊下に行くと、やはり泥だらけになった望月がうつぶせで倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
作業着姿なので汚れることも厭わずに抱え起こすと、望月の眼がカッと開いた。
瞳孔が完全に開いていて、顔には驚愕と恐怖が張り付いている。
とても恐ろしい何かを目撃したようだった。
「どうしました、望月さん!!」
望月は口を開いた。
「……た……を……」
「たを?」
高儀が鸚鵡返しに聞くと、
「たを……」
声が擦れたので耳を澄まそうとすると、
「ぶひゃあぁぁひゃひゃひゃひゃっ!!」
狂人が頭のおかしな妄想に憑りつかれたまま、その思いつきに堪えられなくなったかのように、望月は狂笑を発し始めた。
同時にその喉の奥から黒い反吐のようなものが吐きだされる。
水鉄砲のように勢いよく飛び出した黒い反吐は廊下の壁を無残に染めた。
それは泥だった。
人の身体に入りきるとは思えないほどの量の泥を望月は吐きだしたのだ。
「ひゃひゃひゃ―――」
それでも望月の笑いは止まらない。
しばらくして糸が切れたマリオネットのように倒れ落ちるまで、狂った高笑いは続いた。
そして、それが止んだとき……高儀の依頼人はまったく動かなくなった。
何もわからず呆然としていた高儀だったが、急に立ち上がり、救急車の手配と警察への連絡を始めた。
まずは、公的機関への連絡が必要だと思いついたからだ。
それが一段落ついてから、高儀はもう一つの連絡先へと繋がる番号へと電話をすることにした。
それは、半年前にとある巫女の代理人として知り合ったある少年の電話番号であった……
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