第240話「砂塵乱舞」


 すでに動けなくなっている私を放置し、〈砂男〉コッペリウスは御子内にステッキを構えた。

 先ほどよりも警戒しているのが見て取れる。

 私なんかとは比べ物にならないほどだ。

 屈辱を覚えない訳ではないが、実際のところ私はてんにはコテンパンに叩きのめされ、御子内はそのてんよりも強いというのだから仕方のないところだろう。

 しかも、完全に制圧された私などにはもう目もくれない。

 プロの暗殺者がここまで警戒心を顕わにするとは……


「……御子内!! こいつは〈砂男〉だ!! !!」


 私はさっき咽喉を焼いた〈砂男〉の特技を見破っていた。

 こいつは、口内に溜めた砂をまるで鉄砲魚のように獲物の顔面に吹き付けることができるのだ。

 がぶった瞬間にこいつの唇が尖り、そこから吹き付けられた砂を私は吸い込んでしまったのだ。

 人の眼にかかるとなすすべもなく眠りについてしまう魔法の砂は、吸い込んだだけでまるで火で炙られたように咽喉を焼いた。

 おかげで私はほぼ身体が動かせない。

 御子内への叫びが私にできた最期の行動であった。


「余計なことを」


〈砂男〉が私を踏みつけた。

 英国式の堅い革靴の底で踏まれると痛いなどというものではない。

 あまりの激痛に身をよじるしかなかった。


「ロバートさん……!!」


 升麻の私を案ずる声がした。

 彼にそこはかとない友情を感じている私としては少し辛い状況だ。


「口から砂を吐くとは、ヨーロッパの〈砂男〉とはなかなかけったいなものだ」

「君こそ、なかなか妙な娘だ。この透明人間を護るために吾輩とやりあおうというのであるからな」


 すると、〈砂男〉の口からサラサラと砂が滝のように落ちていく。

 あまり気持ちのいい光景ではなかった。

 人の口からこれほど大量の砂が零れるというのは尋常なものではない。

 しかも、その白い砂は驚くほどきめが細かかった。

〈砂男〉という異名も理解できるほどであった。


「……ふむ、妖精の血を引いている一族ということか。体内に砂を溜めこんだ人間なんて初めて見たよ」

「ふふふ、吾輩の正体をよくわかっているな」

「アサリを砂抜きせずに食べられそうだね、キミ。いちいち、塩水で砂抜きするのは面倒だからちょっと羨ましいぞ」


 暗殺者の側の緊張感や不気味さをまったく無視して、御子内は呑気な感想を述べていた。


「ロバート、あと少し待っていたまえ」


 そう言って御子内が公園に入ってくる。

 升麻だけは入口で止まった。

 

「〈砂男〉。ボクの国でこれ以上、悪さはさせない」

「できるものならやってみるがいい」


 御子内は拳を構えた。

 だが、二人の距離は一挙手一投足というほどではない。

〈砂男〉が砂を飛び道具に使うことを考えると、はっきりいって御子内の方が不利だ。

 間合いに飛び込むまでに、〈魔法〉の砂をかけられてしまっては勝ち目がない。

 あの砂は眼球に至らなくても瞼の上からでも睡魔を発動させることができるのだから、近づく前に昏倒させられてしまうおそれがある。

 だが、すでに退魔巫女と暗殺者は決闘の舞台に立っている。

 もう止めることはできない。

 できるものなら升麻が止めているだろう。


 ……〈砂男〉は私の時と違って懐にいれるつもりはないのだろう。

 初っ端から砂の存在を見せつけたことがその証拠だ。

 新宿の区民を大量に眠らせたときのように、遠くから砂をばら撒いて御子内が近づく前に止めるつもりだろう。

 だから、いくら彼女の動きが速くても〈砂男〉を捉えることはできない。

 しかし、そんなことは御子内自身がよくわかってるはずだ。

 どうするつもりなんだ。

 いくらなんでも策の一つはあるはずだが……


「ボクはキミを一撃で倒す!!」


 私の見たところ、御子内には何の考えもなさそうだった。

 ただ、私は知っている。

〈社務所〉の退魔巫女の持つ尋常ではない爆発力のことを。

 彼女はできるのか、〈魔法〉の砂を掻い潜り、一撃を与えることが。

 二人はわずかな時間睨みあい、そして動いた。

〈砂男〉は一歩後退して、口の中に含んだ大量の砂を霧吹きのように吐きだした。

 公園の一角が砂嵐にでも覆われたように白く染まる。

〈砂男〉の砂は瞼に触れただけで睡魔に襲われる。

 この中に踏み込んだだけで終わりだ。

 御子内はもう眠るしかない。


 パン

 

 何かが弾けた。

 その時になって初めて私は升麻の手に丸いものがあったことに気がつく。

 リンゴぐらいの大きさをした、あれは水風船だった。

 中に水を入れることができて落ちると割れて水を撒く風船の一種だ。

 それを足元に叩き付けられて、〈砂男〉の裾を濡らした。


「ぬぅ!!」


 沈着冷静なはずの〈砂男〉が慌てる。

 隙ができた。

 だが、砂煙の中を近づくことはできないはず。


 ―――だった。


「おおおおお!!」


 私は思わず叫んでしまった。

 何者も眠りに誘う砂煙を貫いて、御子内が突貫していったからだ。

 凄まじい勢いと速度で数メートルを跳び、〈砂男〉の眼前に立つ。

 そして、そのまま馬上槍を振るう騎士の一撃チャージのような右ストレートが〈砂男〉の鳩尾に突き刺さる。

 人体の急所であり、まともに食らえばどんな人間でも悶絶するポイントに、御子内或子渾身の拳が吸い込まれた。


「げはっ!!」


 これまで澄まして余裕を崩さなかった〈砂男〉の顔が苦悶でひしゃげる。

 両目が飛び出すように剥かれ、身体がエビぞる。

 突き出た舌を噛まずにすませられただけ幸運であったろう。

 おそらく御子内のパンチ力は〈気〉の効果もあって1t近いはずだ。

 しかも〈砂男〉は砂煙で防禦できていたと過信していた上、升麻の投げた水風船のせいで集中を乱していた。

 だから、御子内の力が100パーセント叩き付けられたといっても過言ではないはずだ。

 その証拠に〈砂男〉はそのまま白目を剥いて崩れ落ちた。

 御子内はパンチを打った体勢のまま動かない。

 砂煙が完全に晴れてから、升麻が巫女のところに急いで駆け寄る。

 彼にしては珍しい慌て方だった。

 理由はすぐにわかった。


「ぐー……」


 小さな寝息が聞こえてきた。

 地面にぶっ倒れた〈砂男〉の悶絶する呼吸音とは明らかに違う、可愛らしい寝息であった。

 その事実が指し示すものはただ一つだ。


「御子内は―――眠りながら〈砂男〉を倒したというのか……」

「まあ、そうですね。用意しておいた水風船も使えたし、作戦通りうまくいったみたいで良かったですよ」


 御子内をベンチに横たえながら、升麻が解説をしてくれた。


「……聞き取りによると、砂を受けてから数秒のタイムラグがあるみたいですから、その一瞬に賭けてみることも無理なバクチではなかったということですか。まったく、御子内さんの作戦は無茶なことこのうえないんですよ」


 その指示に従うおまえも大概無茶な奴だよ。

 だが、私もおまえぐらいてんのために尽くせたら、もっと早く何かを手に入れられたかもしれないな。


「タクシー、呼びます?」


 升麻が気を遣ってきた。

 私は首を振って断る。


「私よりも、その無茶苦茶な巫女を連れていけ。いつまでも深夜の新宿二丁目に高校生がいるもんじゃない」

「―――そうですね」

「ああ。あとは大人に任せてさっさと行くんだな」

「じゃあ、お願いします」


 昏睡状態の御子内をおんぶして、升麻は公園から出ていった。

 その際、頭上から夜だというのにカラスの鳴き声がしたので、おそらく〈社務所〉のメンバーがすぐにやってくるだろう。

 今となっては私の同僚という立場のものたちだ。

 ここで悶絶している元・同僚とは違う立場である。


「まったく、あいつらには敵わないな」


 私は独り言のように呟いた。

 透明人間も〈砂男〉も、日本の退魔巫女にかかったら形無しということのようであった。












 


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