第237話「〈砂男〉との邂逅」



 私は新宿前のファストフード店を出ると、そのまま三丁目方面へと歩き出した。

 昨日と今日の二日間、新宿中を歩き回ったことから、目標は私を見つけ出したはずだ。

 もともと、奴が新宿で目立つ行動をしていたのは私にメッセージを伝えるためなのだから、それに応えるように動き回っていれば見つかるのは当然のことである。


〈砂男〉。


 まさか、奴がこんな極東の地まで私のようなどうということのない裏切り者を追ってくるとは思わなかった。

 なぜなら、〈砂男〉はコッペリウス家という、とある妖精の血を引く家系出身の暗殺者であり、独逸系でありながら倫敦のディオゲネス・クラブの重鎮の一人なのであるのだから。

 その二つ名の通りに〈砂男〉というドイツの妖精の血を引く奴は、人の目に魔法の砂をかけることで昏睡させる力を持つ暗殺者だ。

 眠りの度合いによっては死に至る領域にまで達せさせることができる能力ちからであり、簡単に標的を無力化させることができる〈砂男〉は、特に優れた暗殺者として私が子供の頃から良く聞いていたものだ。

 そんな奴がどうして日本にまでやってきたのか……


「私を連れ戻すためだろうけどな」


 魔導機関ディオゲネス・クラブが今となっては珍しい透明人間であるであるグリフィン家の人間を必要としているのだろう。

 半年ほど前も日本の退魔組織である〈社務所〉に私の確保を要求していたようだし、今度は〈砂男〉までがやってくるとは思いもしなかった。

 なぜ、私なんかをそれほどまで連れ戻そうとするのか。

 まったくわからないが、私の問題だとするのならば自分でやるしかないのだ。

 だから、てんには内緒で動いているし、彼女の同僚である御子内たちにまでわざわざ探りを入れておいたのである。

 暗殺者として叩き込まれたスキルを使って盗み聞きをしたら、彼女たちは〈砂かけ婆〉という妖怪を追っているようだった。

 だとしたら、余計なことをしたかもしれない。

 何度か会っただけだが、御子内と助手の升麻は勘のいいコンビだ。

 私の行動の裏まで読み取られてしまったかもしれない。

 だから、決着をつけるとしたらもうすぐにでも動く必要があるだろう。


 三丁目を抜け、やや新宿でも評判のよろしくない界隈に入ったとき、路上の片隅に一人の男性が蹲って眠りこけているのが見えた。

 いくら日本でもこの一帯で不用心に寝ているのは危険だ。

 せめて声をかけて起こそうかと思ったとき、その男さらに後ろにある路地に、また数人の男が倒れているのが見えた。

 いや、彼らも寝ているのだ。

 耳を近づければきっと気持ちよさそうな寝息を立てているに違いない。

 非常にわかりやすい自己紹介であるといえた。

 奴が私を誘っているのだ。

 ゆっくり周囲を見渡すと、それなりに大きめの公園があった。

 もし待っているとしたら、あそこだろう。

 私はそこまで歩を進めた。


「―――探し出すのにたいして苦労せずに助かったよ、ミスター・グリフィン」

「お初に御目にかかります、サー・ナタリエル・コッペリウス」

「サーの称号はつけなくていい。吾輩は没落するのが趣味ではないのでね」

「では、二つ名で。〈砂男〉コッペリウス」


〈砂男〉はジョンブルらしい嫌味のない重厚な仕立ての背広を着て、まったくもって似合っていないはずの寂れた公園のベンチに腰掛けていた。

 重厚で堂々としたシルエット、高級な生地、そして見事な裁縫技術―――サヴィル・ロウで仕立てられた背広がここまで似合うものは、今となっては本国でもそうはいないだろう。

 万人が想像するジョンブルそのものであった。

 たくわえられた口ひげもハサミが丁寧に入り、手にした馬頭のステッキは傲慢さの証しのようだ。

 しかし、この中年の紳士こそが、ディオゲネス・クラブでも最高の暗殺者の一人でもあるのだ。

 私は警戒心の鐘の音がガンガンと鳴り響いているのを感じていた。

〈砂男〉ナタリエル・コッペリウス。

 一対一で対峙するには恐ろしすぎる男であった。


「単刀直入に言おう。英国に戻り給え。我々は君を必要としている」

「私ではなく、グリフィン家の透明人間が、でありましょう。残念ながら私は廃業させてもらっています」


 コッペリウスは口ひげをいじりながら、


「そうはいかない。状況が変わっている。今、我が英国には働ける透明人間がいなくてね、是非、君に復帰してもらわなくてはならない」

「父や兄がいるはずです」

「お父上は引退なされた。兄上たちは再起不能だ。後継者たる君の甥っ子たちはさすがに幼すぎる。要するに君しか使える人材がいないのだよ」


 なるほど、そういうことか。

 父はもう年齢が相当なものであったはずだし、兄たちも何らかの事情で負傷して動けないのだ。

 だから、唯一成人している私を呼び戻すことにしたのだろう。


「私になにをさせるつもりですか?」

「今、欧州はきな臭くなっていてね。細心の見立てではシリア発の中東の難民どもが来年にはEU各地に流れ込むことになるだろうと予想されている。わが母国についてもご多分に漏れずだ」

「それと何が‥…」

「来年、キャメロンの公約に基づいてEU離脱の是非を問う国民投票がある。わがクラブとしては、いつまでもあんな大所帯と一緒にやる気はない。我らが英国の独立性が失われるからな。ゆえにEUからの離脱が優位に運ぶように手をつっこまなければならんのだ」


 つまり、それは……


「反対派の重要人物を私に暗殺しろ、というのか!」


 ここまでの話の流れでわからないことはなくなった。

 私を暗殺者として便利に使い倒すためだけに、イギリスに呼び戻そうとしているのだ。

 父も兄たちも何らかの事情でもう家業を続けられない。

 だから、私に白羽の矢が立ったということか。


「そうだ。倫敦を導いていると言ってもいいディオゲネス・クラブは最強の暗殺者であるグリフィン家の〈透明人間〉を求めている。君も吾輩と共に故郷のために力を尽くす気はないかね?」

「ふざけるな!!」


〈砂男〉の提案を私はにべもなく拒絶した。

 今更、暗殺者の道に帰還するとでも思っているのだろうか。

 人殺しが絶対に嫌でこんな極東の島国まで逃げた、この私が。


「絶対に拒否させてもらう。私が英国こきょうを捨てた原因の一つは、今のおまえのような鼻持ちならないジョンブルに我慢できなかったことにある。今更、英国に戻る気などない!!」

「―――グリフィン家は滅びるぞ」

「結構。……先祖から伝わる妖精の血を悪事や陰謀のために振るうことは本来許されるべきことではない。それはおまえも同様だ、〈砂男〉!!」


 妖精である〈砂男〉の能力ちからを、魔導機関・ディオゲネス・クラブのために使って恥じないこの男は断罪されるべきなのだ。

 ステッキで地面を衝きながら、〈砂男〉コッペリウスはゆっくりと立ちあがった。

 私よりもやや小柄だが、がっちりとした体格は身に修めた格闘技の素地を感じさせ、落ち着いた佇まいはそれで修羅場を掻い潜ってきたであろう事実を伝えてくる。

 この壮年の男性は見た目のエレガントとは裏腹に極めて危険な人物なのであろうことは疑いの余地がない。


「一人たりと暗殺できずに出奔したグリフィン家の出来損ないがよくぞ吠えた。だが、その報いは受けるべきだろう。ここで叩きのめして、力づくで故郷まで連行させてもらう。なーに、吾輩、言うことを聞かないものを黙らせるのもわりと得意なのだ」

「……なんだと」


 確かに私は人殺しをしたことがない。

 その前に逃亡したのだから。

 すると、コッペリウスはステッキを弄びながら、


人殺しマーダーが……」


 私を見下すような視線を向けて、


造るのだよメイクス


 諭すように言った。


人をマン


 倫敦が誇る男性服のメッカであるサヴィル・ロウ仕立ての最高級品をまとった死神と、私は対峙した。

 それはかつて熊埜御堂てんと戦ったあの夏のリングを彷彿とさせる、背筋が震えるほどに恐ろしい瞬間であった……


 

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