第235話「謎を追い、人に追われる」
「ボクは〈砂かけ婆〉の仕業じゃないかと睨んでいるんだけどね」
新宿区内の三か所で、原因不明の集団昏睡事件が起きたということで、僕と御子内さんはその検証に乗り出していた。
本来、ここの縄張りは猫耳藍色さんのものなのだが、彼女はある規格外の妖魅との戦いで先週負傷をしてしまっていたので、代役として御子内さんが指名されたのである。
さすがのタフネスを誇る藍色さんでもあの一撃はキツかったらしく、しばらくは安静が必要と診断されていたのだ。
間近で見ていた僕もその診断には同感だ。
ちなみに御子内さんの縄張りは多摩地方と埼玉との県境、あと山梨県や神奈川県との境となっている。
とはいえ、藍色さんが復帰するまでの間、このあたりの霊的治安を守っていたのは他でもない御子内さんなので手馴れたものだった。
事件があったのは、新宿御苑と下落合の野球場、明治神宮の外苑傍の施設などで、朝から僕らはそこを精力的に見て回り、だいたいの状況を把握することができた。
それらと〈社務所〉からくる情報と突き合わせてみて、最初の結論を御子内さんが導き出したという訳である。
「……〈砂かけ婆〉か。知名度の高い妖怪だね」
「いや、そうでもない。元々は兵庫県とか関西当たりの一部で伝わっているだけのマイナーな妖怪さ。某作品で有名にならなければ、ここまで広くは知れ渡らなかっただろうさ」
「へえ」
僕は自分の持つ〈砂かけ婆〉のイメージを思い浮かべてみた。
だいたい世間一般のもつイメージとの乖離はないはずだ。
白っぽい和服を着て、灰色の顔と白髪をしたお婆さんというものである。
手から出したり、壺から出したりと、そのあたりは違うみたいだけど。
「もっとも、〈砂かけ婆〉自体はどういう姿をしている妖怪なのかは伝承ではわかっていないんだ。漫画のアレはオリジナルみたいなもんさ」
「そうなの?」
「もともとは竹林とかでいきなり砂を掛けられた人が、他人に砂をかける妖怪がいると思って名付けたものだからね。一説にはムジナの仕業だと言われているぐらいだし」
「なんだ。また、タヌキか」
基本的に、日本での妖怪譚は結構な割合でタヌキが原因になっている。
いつかの〈のた坊主〉なんかはタヌキが化けたものだし、今は別の種族だと聞いている〈のっぺらぼう〉もタヌキのせいだと伝えられていた。
怪異の世界ではタヌキというのはまさに一大勢力なのだ。
「でも、関西の妖怪がどうして東京の新宿で暴れてるの? その辺の意味がわからないんだけど」
「ボクも同感だね。少なくとも〈社務所〉の記録では〈砂かけ婆〉が関東で目撃されたことはないんだ。だから、別の妖怪の可能性はあるけど、被害にあった人たちは一様に顔に砂を投げつけられたと証言しているようだしね……」
さっきあげた三か所で昏倒し、救急車で病院に運び込まれた人たちの証言を総合してみると、なにかをしていたら顔に細かい粒のようなものを浴びせられて、そのまま酷い眠気に襲われて倒れてしまったという点が一致していた。
中には、粒のようなものが砂であることのまで確認した人もいたが、それ以上の情報は得られなかった。
砂をかけたものの姿を見た人もいないし、掛けられたはずの砂の現物を持っているものもいなかった。
それだけでは集団幻覚による原因不明の昏睡事件としかいえないレベルなのである。
警察だけでなく新宿区の保健所も調査に乗り出していたようだが、ほとんど成果は得られなかったはず。
だから、僕らが調査に入ったという事情があるのだ。
「他に砂をかける妖怪はいないの?」
「いることはいるけど、どれも小動物が砂をかける仕草が変化したようなものばかりだね。ほら、ネコが糞を隠す動作をネコババっていうけど、それがそのまま妖怪になった感じなのかな」
「ふーん、妖怪退治の専門家の退魔巫女がそういうのなら、まず〈砂かけ婆〉の仕業なんだろうね」
「ただ、そうなるとね。どうやって〈護摩台〉まで上げるかが問題になるんだ。正体がない妖怪ということは、現身を持っていないということでもあるからね。簡易結界で対処できる程度ならいいんだけど……」
僕もそれなりに御子内さんの助手歴がついてきたからわかるが、確かに形のない妖魅と戦うのは厄介だ。
力はそれほどでもないが、ふわふわとした実体のないものと戦うに等しいからである。
逆に現身を手に入れた妖怪は強力すぎて〈護摩台〉がないと対処ができないレベルになる。
〈付喪神〉や死霊の類いは前者で、〈護摩台〉がないせいで御子内さんでさえ苦労したウサギの〈犰〉などが後者にあたった。
リングみたいな〈護摩台〉にあげるということが、まず、ツッコミどころが満載だが非常に効果的なのは実証済みなのである。
「……ん?」
御子内さんが眼を眇めた。
その視線の先を見ても特に何もない。
「何かあるの?」
総武線信濃町駅を降りて歩いて数分の明治神宮の外苑前にある、軟式野球場やフットサル場、バッティングドームのある道を進んでいたところだった。
天気もいいので散歩している人も多数見受けられる。
外苑の反対側、二匹のユニコーンの像が並んでいる少し段差のある所に、見覚えのあるコートと帽子姿の男がいた。
もう秋なのでそれ程不自然な格好ではないのだが、顔面を包帯でぐるぐる巻きしている異相と手袋はかなりの不審人物だ。
ただ、大柄でがっちりしているが、さっきまでは見かけなかったはずだ。
視界に入っていたらさすがの僕でも見逃すことはない。
なんだかこちらの様子を窺っている。
「―――ボクたちが信濃町駅を降りて歩道橋を渡っていたときから、異常にスムーズな歩法で陰から尾行していた」
「まさか……」
「歩く音も気配もしない。なるほど、そういう訓練を受けていたというのは嘘じゃないみたいだ」
「でも、どうして、ロバートさんが……」
そこにいたのは熊埜御堂さんの助手をしているイングランド人のロバート・グリフィンさんだった。
何度も顔を合わせたことがある。
だが、僕は知り合いがずっと黙って着けて来ていたという事実が納得できなかった。
なにか用事があるのなら声をかけてくれればいい。
別に敵対している間柄でもないのだから。
それなのに、なぜ……
「てんのホームグラウンドはもっと江戸寄りだからな。もともと岡場所の四宿の一つである新宿とはかなり離れているはずだ。確か、熊埜神社で居候させてもらっていると聞いていたけどね」
「とりあえず、声をかけてみようよ」
僕はロバートさんに呼びかけてみた。
だが、彼はこちらに軽く手を振るとそのまま反対方向に行ってしまった。
駅の方角ではないので、僕らとは真逆だ。
少なくともそれでわかるのは、こちらと合流する気もないし、話をする気もないということだろう。
僕の知っている彼はそんな偏屈なタイプではないので余計に気になる。
ただ、集団昏睡事件の真相とその犯人の妖怪を追っている僕たちとしては、いくら知り合いでもそこまで気を遣っていられる時間はない。
後ろ髪を引かれる気持ちで切り替えることにした。
「じゃあ、そろそろ行こうか。次はどうする?」
「戸山公園脇の病院に顔を出してみよう。新宿の事件なら、あそこで情報が拾えるかもしれない。時間があったら藍色のとこの神社も巡ってみるかな」
この日曜日を目一杯使って、僕と巫女装束の御子内さんは事件の調査にあたることになっていた。
今回の集団昏睡事件ではまだ目覚めていない人たちもいて、どういう風に転ぶかわからないという難事件でもあったのである。
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