ー第32試合 砂嵐吹くときー

第234話「新宿を襲う怪異」



 住宅街の片隅にある、小さなスペースを子供たちが陽気に駆け回っていた。

 彼らが追っているのは四号のサッカーボール。

 子供たちは三人のコーチの指導の下、楽しくてたまらないサッカーに励んでいるのである。


「よーし、タカシ。動き出しは次のプレーを予想してやると、一歩早く相手より動けるぞ。そのたった一歩でフリーになれるかどうかが決まるからなあ」


 ヘッドコーチの岡安が子供に声をかけた。

 まだ年齢は四十前だが、コーチ歴は二十年近いベテランだ。

 岡安とともに指導をしている二人も、もともとは彼が教えていた子供であった。

 小さい頃に岡安が率いるチームであるこのFCアケボノに入り、そこでサッカーの基礎を学び、様々な経歴を経たのちに生まれ故郷で子供たちに指導する道を選んだのである。

 全員が日本サッカー協会の指導者ライセンスC級を持っているのは、各自が勝手にとったものであるが、おかげで小さなチームながらも保護者からの人気は高かった。

 年長者で経験があれば誰でも指導できる野球などの従来型のスポーツと異なり、サッカーにおいては監督やコーチとなるための資格が用意されている。

 それがライセンス制度だ。

 ライセンスがなくても別になれないものではないが、リフレッシュポイント制度の導入による更新が必要であり、常に勉強をもとめられることもあって資格者の需要は大きい。

 FCアケボノには、今、コート場にいる三人の他にあと二人のコーチがいるが、全員がC級ライセンスを持っているのである。


「マサトコーチのボールをきちんとカバーできるようになれよー」

「はーい!」


 FCアケボノは、九歳から十二歳までの子供たちで構成されている。

 学年でいうと、小学校三年から六年までであり、基本的にはそれぞれの年長組が年下の面倒をみながら練習をする。

 部活とは異なり、町のチームであることから、必要以上の上下関係もなく和気あいあいがモットーであった。

 対外的な試合や大会で勝つことが目的ではないため、中には反発を覚える父兄もいないわけではないが、そういう子供たちはプロのチームの主催するスクールなどへの移籍を進めたりしている。

 FCアケボノは何よりも愉しくプレーすることが第一なのだ。

 とはいえ、長い歴史もあることから、FCアケボノからプロになった選手もいたりする、知る人ぞ知るキッズチームといえた。


「アキオ、右走れ、右!!」


 岡安たちは危険なプレーをしたり、明らかな手抜きをしたりしない限り、教え子たちを叱らない。

 コートの外にいる父兄の眼があることもあったが、サッカーの動きには様々な解釈があり、そのときに応じた変化は多様に存在する。

 実際にその場にいた選手が選んだのならば、それが正しいか間違いかは断定はできないのだから、結果としてうまくいかなかった場合にだけダメ出しをすることに留めていた。

 プロや国別代表の選手であったとしてもすべて正しいプレーを選択できるわけではなく、いつでもトライ・エラーが求められるのであるからそれも当然である。


「おお、いい感じの突破だなあ。いいぞ!!」


 尊敬するコーチに褒められれば機嫌がよくなる。

 さらに子供たちの動きもよくなるというものだ。

 それがサッカー以外は微妙な人間性のコーチたちであったとしても。


「―――岡安コーチ、あとでまたいつものところで一杯やりましょーね」


 小声でアキオコーチが言うと、岡安も頷いた。


「おまえ、今日は金を払えよ。ツケ、たまってんぞ」

「げ、奢ってくださいよ、センパーイ」

「うるせえ、ふざけんな」


 サッカーの次にお酒が好きで、かつての教え子である女の子の一人からまで、


コーチあのひとたちと遊んでいるとダメな大人になるよ」


 と、同級生に説教される男たちであった。

 とはいえ子供のうちは彼らのダメさ加減に気づくわけもなく、「コーチ、コーチ」と慕われていて悪い気分にはならなかった。

 岡安もそんな教え子たちを大切に思っていた。

 将来的にはいいチームへの斡旋をするために、近所の学校のチームを熱心に調べるなどの努力は怠ったりしない、いいコーチなのではある。

 練習の〆となる紅白戦をしているとき、ふと気がつくと、交代でキーパーをやっている6年生が倒れているのがみえた。


「シンジ!!」


 岡安たちはそれに気がつくと、一気に駆け寄った。

 見学していた父兄の数人もやってくる。

 倒れる瞬間は見ていなかったが、もしかして危険な接触プレーでもあったのではないかと危惧したのだ。

 心臓が止まっていたりしたら大変だと、備え付けのAEDを用意してくるものもいた。

 頭を動かさないようにその6年生を抱き起すと、岡安は拍子抜けした。

 小さな寝息を立てていたからだ。

 すなわち、そこから導き出される答えは……


「寝てんのかよ!!」

「驚かせんな……」

「ああ、死ぬかと思った」


 コーチたちも父兄も胸を撫で下ろした。

 ただ、練習中に寝てしまう子供なんて滅多にいないことから、それでも何かがあったのではないかと考え、そっと持ち上げるとコートの外へと運び出そうとする。


「オカさん、ちょっと!」

「なんだよ」

「サトシまで寝てるぞ」

「なにぃ!?」


 マサトが示した先には、DFの位置にいたはずの5年生が横になっていた。

 それだけではない。

 さっきまで元気に走り回っていた子供たちが、まるで糸の切られた操り人形のようにバタバタと倒れていく。

 父兄から悲鳴が上がった。

 それはさながら戦場のような光景であった。

 子供たちが次々と伏せていくという異様な状況は、そこに留まらず、コートの外にいた父兄たちにも及んでいた。

 数人がバタッと倒れたのだ。

 何が起こっているのか、岡安たちにはわからない。

 ただ言えることは明らかに異常な事態に直面しているということだけだ。

 コーチの資格では対処できないほどの異常な事態に。


「おい、救急車呼べ!! あと、警察だ!!」

「なんで警察なんスか!?」

「こんなにみんなが一気に倒れるわけねえだろ!! ガスか何かが漏れてんのかもしれねえ!!  場合によっては自衛隊の出番だ!!」

「あ、そうか。さすがオカさん!!」


 アキオが自分の携帯をとりに戻ろうとした瞬間、うっと呻くとそのまま蹴躓いて倒れた。

 頭を打たなかったのが不思議なぐらいの、まさに昏倒であった。


「おい、アキオ!!」


 岡安は事態が想像以上に深刻なのを悟った。

 まさか、アキオまでが……

 振り向くと、なんとマサトまでが倒れていた。

 コートの内外にいるもので無事に立っているのはもう自分だけであった。

 あまりにも想像の埒外のことに岡安は完全にテンパってしまい、どうすればいいのかまつたくわからなくなったとき―――


 パサッ


 と乾いた音がした。

 同時に岡安の顔に何かがかかった。

 粉のようなものだった。


「なんだ!?」


 思わず岡安が顔にかかったものを手にしてみると、それは粒の細かい砂のようなものだった。


「砂?」


 そう考えた瞬間、岡安の意識は薄れていった。

 急速なまでの眠気が彼を襲ったのだ。

 眠気のことを、例えで睡魔という。

 このとき岡安を襲ったのはまさに「魔」という言葉に相応しいほどの強烈であり得ないほどの眠気であったのだ。

 耐えようとしても瞼がまるで接着剤でもつけられたかのように開かなくなり、意識が一気に朦朧とする。

 そして、そのまま暗黒の中へと落下していった。

 

 これが後に新宿区集団催眠事件として報道されたものの発端である……

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