第232話「使命ですから」



「セリーナ……?」


 MIKAさんが呆然と呟いた。

 藍色さんの改造巫女装束姿がよく理解できないのだろう。

 彼女の格好は、レイさんと並んで特に独創的だから。

 僕たちが高崎さんの話を聞いている間に準備していたのだ。

 確かに戦い慣れた格好の方がいい。


「京一さん、MIKAさんをお願いしますにゃ」


 そういって、いつものライトアップ・スタイルに構える。

 左利きの巫女ボクサーは左半身をやや傾けて、脚はキレのいいフットワークを始めた。

 かつて御子内さんと拳技一本で引き分けたボクサーが本気のステップを踏みだす。

 僕たちを見つめていた〈怪獣王〉がのっそりと視線の先を変えた。

 敵が現われたことを怪獣の本能が捉えたのだろう。

 しかも、無視できない力を持った。

 あの〈怪獣王〉がどういう妖魅なのかはまだわからない。

 だが、退魔巫女を目の前にした彼らの反応はいつもこうだ。

 彼女たちを、だと悟るのである。

 そして、それは紛れもない事実であった。

 例え〈怪獣王〉といえども。


「MIKAさん、こっちへ」


 僕は年上の女性の腰を抱き上げると、部屋の出口でなくて、〈怪獣王あいつ〉を運び込んだ出入り口へと走る。

〈怪獣王〉の注意が逸れているうちにこの女性を逃がさないと。

 MIKAさんが藍色さんにとっては大事な人であることはわかっている。

 彼女が戦場ここにいたら気が散漫してしまい、戦いに集中できなくなるからだ。


「待って! 藍色が……!!」

「だから、大丈夫です。彼女に任せればそれでいい」

「……でも」

「彼女たちは退魔巫女。どんな怪異じゃを相手にしても無辜の民草を護る女の子たちです」


 MIKAさんを完全に外に逃がしたとき、一人と一体の死闘が開始された。

 大股で踏み出す〈怪獣王〉に対して、藍色さんが合わせていった。

 どんな獣をも超越する咆哮の嵐の中を突き進む。

 出し惜しみなく一気に得意の左ストレートをぶちこんだ。

 なんらガードをすることもしない〈怪獣王〉の腹に拳が当たる。

 体重の乗せ方、速度、アタックポイント、すべてパーフェトといっていい左の直拳が突き刺さった。

 だが―――


「効いてない!?」


〈怪獣王〉には藍色さんのパンチはまったく効いていなかった。

 分厚い表皮に阻まれ、どんな怪物でも怯まさずにはいられないストレートでも凹ませられないのだ。

 右のジャブ、左のフック、コンビネーションを繰り返してさらに連撃を行う。

 怒涛の連打だった。

 呼吸を完全に止めて、肺に残った空気がなくなるまで休むことなく続く。

 最後に左ストレートがもう一度放たれて、藍色さんの動きが止まった。


『ギャエ゛ーォォォォォーゥーン!!』


 再び、〈怪獣王〉が吠えた。

 痛みを感じて、ということではない。

 自分に逆らう羽虫を払うための威嚇のためだろう。

 物を掴むことはできそうにない前肢が振られた。

 鋭い爪が宙を斬る。

 藍色さんが上半身を屈めて攻撃を避ける。

 膝をついたまま、パンチをかち上げるように打った。

 だが、それも今までと同様に表皮で無効化される。

 僕の知っている限り、硬度というよりも純粋にタフでもあるのだろう。

 練った気が通っている退魔巫女の殴る蹴るをくらって、まったくの無事ということは通常ならばあり得ないのだから。

〈怪獣王〉の蹴たぐりが出た。

 強靭な下半身の動きによって藍色さんが吹き飛ばされる。

 驚異的な反射神経で十字ガードはしていたといっても、完全に身体を持っていかれる。

 何回転もしながら藍色さんが壁に激突する。

 すぐに起き上がったところはさすがだとしかいえない。

 しかし、立ち上がったとしても藍色さんの攻撃は〈怪獣王〉に対して有効打とはなっていない状況だ。

 それだけではない。

 あまりにも反応が薄いこともあり、フェイントもほとんど効果がない。

 あらゆる意味で藍色さんのボクシングが封じられる形になっている。

 敵の性能を考えると、あいつと正面からやりあえるのは〈神腕〉を持つ明王殿レイさんか、発勁を使える御子内さんぐらいしかいないだろう。

 音子さんや熊埜御堂さんの打撃ではあの表皮さえ抜けない。

 藍色さんのボクシングという対人用に極められた闘技では〈怪獣王〉には勝てないかもしれなかった。


「危ない!!」


 立ち上がったばかりの藍色さん目掛けて〈怪獣王〉の尻尾の一振りが襲い掛かる。

 遠心力のついた先端部に当たるのは危険とばかりに咄嗟に踏み込んで、もう一度両腕でガードするがまたしても藍色さんは吹き飛ばされた。

 今度は転がることなく、そのまま壁に激突する。

 いくら退魔巫女でもあれはまずい。

 高崎さんの蒐集した物品に埋もれるような酷いぶつかり方だ。

 しかも、蹲った姿勢のまま彼女は動かなくなった。

 まさか―――


「藍色さん!!」


 僕が駆け寄ろうとした時、藍色さんを倒した尻尾の一撃が今度は資料倉庫の壁をドアごとぶち抜いた。

 プレハブに近い造りとはいえ、建物の壁に穴を開けるなんて、恐ろしいほどの破壊力だ。

〈怪獣王〉はのっそりと踵を返し、自ら作った穴から外に出ていく。

 あんなものが野に解き放たれたら、どんな光景が繰り広げられるか知れたもんじゃない。

 そして、あれを止められるのは、彼女しかいない。


「きゃああああああ!!」


 MIKAさんの叫び声がした。

 視界に、彼女の方へ向かう〈怪獣王〉が入ってくる。

 狙っているようではないが、進行方向に運悪くMIKAさんがいるのだ。

 藍色さんのところに行きたかったが、それよりも腰を抜かしているかもしれない彼女を助けないと。

 僕は走った。

 間一髪、彼女を横抱きにして〈怪獣王〉の前からどかす。

 邪魔さえしなければ必要以上に追ってはこないようだった。

 ただの獣とは違う、まさに都市を蹂躙して歩く怪獣のままの動きだった。

 もっとも、あいつは何かを追っているのは確かだ。

 そして、この行き先には、資料倉庫前に駐車している車群があった。

 当然、そこには逃げ出した高崎さんたちがいた。

 何やら騒然としていて〈怪獣王〉の接近に気がついていない。


「逃げてください!!」


 僕の怒鳴り声によって、ようやく〈怪獣王〉に気づいた。

 蜘蛛の子を散らすようにみなさんが車に乗り込もうとする。

 しかし、間に合わなかった。

〈怪獣王〉の尻尾の一撃が、ヴェルファイヤにぶつかるとあの大型車が転倒した。

 たったの一撃で。

 凄まじい威力だ。あんなものを藍色さんは受けたのか。

 はたして無事だろうか。

 逃げだそうとしても車というものはそう簡単に切り返せない。

 この期に及んでも車をぶつけないように配慮していては。

 しかも転倒しヴェルファイヤと〈怪獣王〉のせいで狭くなった場所においてはさらにである。

〈怪獣王〉の狙いはあの中の誰かのようだった。

 このまま行くと間違いなく死人が出る。

 地獄絵図が描かれる。


「待ちにゃ……さいにゃ……」


 背中から声が突き刺さった。

 そのやや滑舌の悪い、「な」を「にゃ」といってしまう喋り方は……


「たかだかでっかいトカゲの分際で、わたしを無視するというのは許せにゃいですよ……」


 荒い息を吐きながら、藍色さんがやってくる。

 右手がわずかに垂れ下がっている。

 尻尾をガードしたときに痛めたのだろうか。

 ただ、それでも巫女ボクサーは戦いを止める気はないのだ。


「〈怪獣王〉だというのにゃら、せめて火炎の一つでも吐いてみせるんだにゃ。でなければ、このわたしはとめられにゃい」


 動かなくなっていたはずの右手を無理に上げず、ヒットマンスタイルに切り替えた。

 あれならば構えはとれる。


 そう。


 不利だとわかっていたとしても、藍色さんはスタイルを曲げない。

 彼女は退魔巫女であり、同時にボクサーである。

 自分の磨き上げた技術でこの強敵を撃破する気なのだ。

 それがいかに困難な道であったとしても。

 猫耳藍色に対して〈怪獣王〉が向き直った。

 やはり、迎撃する気なのだ。

 その間に、皆さんを逃がすことができる。

 あとはまた彼女に託すしかない。


「藍色さん、お願いします!」

「礼には及びません。使命ですから」


 そう、静かに猫耳藍色は言い放った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る