第221話「てんちゃんに任せるですよー」



 夢問神社の神主とロバート・グリフィン、そして熊埜御堂てんが〈獏〉と変質者対策を話し合い始めたとき、撫原彩也子なではらさやこは耐え難い眠気に襲い掛かられ、我慢できずに屈してしまった。

 夜中に見る悪夢のせいで、彩也子が少しでも眠りにつけるのは明け方近くの数時間しかないから寝不足なのだ。

 授業中も睡魔で仕方ないが、昼間でもあの変質者の夢を見てしまうのではないかと、おいそれと眠れないのである。

 例の変質者の視ている景色を「夢」として見るようになったのは、三週間前。

 特に覚えているのは、変質者が実際に一人暮らしの女性に暴行を加えた三回分だが、それ以外にも度々「例の〈分身〉の視点」を見た。

 どこかの暗い道を歩いているところだったり、人の寝静まったマンションの一室をじっと眺めていたりとか、ほとんど何もしていないので、印象は薄い。

 だが、昼間でさえも、もしあの「夢」を見ることになったらと思うと恐ろしくて昼寝もできないのだ。

 だから、ここしばらくの彩也子の平均睡眠時間は二時間を切っているかもしれない。

 少しでも気を緩めたら

 訳のわからない体験をして精神的に参っていたが、その話を真剣に聞いてくれる神主たちのおかげで安堵してしまい、おかげでこっくりとしてしまった。

 

 ―――彼女が〈分身〉と名付けた肉体ボディは、どこかの道を歩いていた。

 それなりに通行量があるので、真夜中とは違って多くの人とすれ違う。

 昼間にこの「夢」を見るのは初めてだったので少し戸惑う。

〈分身〉は一人のようであった。

 隣に誰かがいれば、そちらに視線を送ることもあるはずだから、その様子がないからだ。

 しばらくすると、ある平凡なマンションの前に立った。

 ただ、彩也子は喉をくぅと鳴らした気分になる。

 そこに見覚えがあったからだ。

〈分身〉はアプローチを進み、玄関へと進む。

 自動ドアが開き、ずらっと郵便受けが並んでいる。

 それ以上進むためには、昼間ならば受付の管理人の許可を受けるかインターフォンで住人に開けてもらうしかない。

 その中の一つの郵便受けに注がれていた視線に左手が伸びた。

 明るいところで見ると、どうも男性のものらしい。

 腕時計をはめているし、黒っぽい変わった背広を着ているのだけはわかった。

 夢の世界のせいか、色合いははっきりとしない。

 どうやら〈分身〉が男性というのは断定していいようだ。

 郵便受けのナンバープレートには「NADEHARA」とあった。

 間違いなく彩也子の知っているマンション―――彼女の従姉が住んでいる場所であった。

 鍵がかかっているので郵便受けの中を探られることはないが、それを〈分身〉は窺っているようであった。

 郵便物を調べている。

 彩也子の従姉・泉希みずきの私生活を探ろうとしてるのに違いない。

 彼女のプライベートを暴き、秘密を掴もうとしているのだ。

 彩也子は震えあがった。

 自分が眠っているという感覚はあるのに魂が恐怖を感じたという他にない。

 次の瞬間、〈分身〉の肉体から届いている映像が途切れた。

 一緒に彩也子も目覚めた。

 

「―――どうしましたー」


 神主の用意した羊羹を食べていたてんが声をかけてきた。


「あれ、汗が凄いことになっていますよー。エアコンが聞いてないんですかね?」


 てんが巫女服のポケットからフリルのついたハンカチを取り出して、彩也子の額を拭った。

 信じられないほどに大量の汗だった。

 拭われるまで彩也子は自分の置かれている状況を整理する時間がかかっていた。


(今のって、何? 一昨日、見た〈獏〉って妖怪の仕業? ううん、それよりもあの夢がいつものあれなら、泉希お姉ちゃんが……危ない……)


 彩也子がこの夢問神社に相談に訪れたのは、幼い頃から既知の場所ということもあったが、実際に彼女の部屋に不細工な四本足の動物が現われたことによる。

 彼女は直感的にそれが〈獏〉という妖怪であることを確信した。

 神社の境内での祭りの際に、何度も見せられた彫り物によく似ていたからだ。

 ある意味では、もともと知っていた彫り物に形のないものを当てはめてしまったという心の問題かもしれないが、彩也子は疑わなかった。

 あれが〈獏〉であるとしたら……

 藁にもすがる思いで、彩也子は夢問神社にやってきたのだ。


「……今、夢を見ました」

「なんだと? ……もしや、例の変質者のか?」

「はい―――。昼間に見るのは初めてです。あいつ、昼間も動いていたんだ……」


 しかし、これでわかったことがある。

 例の変質者は昼間に目標を物色し、人々が寝静まっている夜中に凶行をしているということだ。

 彩也子と変質者はほとんど四六時中、接続リンクしているという事実も。

 どういう切っ掛けが必要なのかは不明だが、彩也子が寝ているときに変質者が何かをするとその行動が見られるということのようだ。

〈獏〉の姿を彩也子が目撃していることを考えると、やはり原因は夢の妖怪でしかありえないだろう。

 そして、彩也子の従姉がとんでもない危険に晒されているのだ。


「―――お従姉ちゃんが危ない」

「なんだって?」

「今、あの〈分身〉がお従姉ちゃんを狙っているところを見たの!!  お従姉ちゃんが危ないの!!」


 神主たちは顔を見合わせた。

 困惑していた。


「例の変質者が何をしているところを夢で見たって?」

「お従姉ちゃんのマンションを荒そうとしていた! 郵便受けを調べていた! あいつは今度はお従姉ちゃんを狙うつもりなんだ! 止めないと!  お従姉ちゃんが殺されるっ!!」


 彩也子はロバートの腕に縋りついた。

 全身包帯巻きの得体のしれない男だが、それでもあの変質者よりは数百倍マシな相手だった。

 折り目正しくて礼儀正しい。

〈分身〉の目を通して、あの凌辱めいた暴行の光景を見ていた彼女にとっては紳士にしか見えない。

 だから、縋った。

 助けてほしいと。

 産まれた頃から実の姉のように慕っていた女性に危機が迫っているのだ。

 居ても立っても居られない。

 しかし、それに対して彼女の手をとったのは、ロバートでも夢問神社の神主でもなかった。


「いいですよー。〈獏〉のついでに、てんちゃんがその変質者を始末してあげますー」


 熊埜御堂てんはあっけらかんと宣言をした。

 彼女のことは、ただの神社の巫女だと思っていた彩也子は驚いた。

 ただの可愛い女子中学生が、実は今回の妖怪退治の中核だと初めて知ったのである。

 

 それだけではない。


 この小さな破壊者デストロイヤーは、他の多くの退魔巫女と同様、泣いている人を決して見捨てないということを。

 

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