第220話「夢問神社へようこそ」
細かい事情はこうだ。
まず、彼女は夢問神社の氏子というだけあって、この近所に住んでいる普通の高校生なのだが、数週間前から妙な夢を見るようになった。
彼女は「夢を見る」というのだが、厳密には「誰かが見ている光景をさらに見ている」というのが正確な表現だろう。
つまり、自分ではない別人の行動の一部始終を見物する羽目になってしまったということなのだ。
中国などの大陸では、「夢をする」というらしいのだが、確かに彼女―――彩也子の寝ているときの夢は「する」という動詞がぴったりかもしれない。
彼女は、別人の夢の中でそいつが若い女性に凶行を働く現場を目撃させられた。
まさに凶行というのに相応しく、寝ている女性の四肢の骨を折り、殴りつけ、まるで玩具とプロレスごっこでもするかのように非人道的に弄ぶというものであった。
人形遊びというよりも、ぬいぐるみの虐待といったところか。
淡々とした彩也子の口を通して語られただけでも陰惨なのであるから、現実にはもっと酷いものだったと推定できる。
試しに事件を検索してみると、彼女の言う通りの事件が三件も起きていた。
手口からして同一犯人。
警察が必死になって捜査をしている段階だという。
さっきの職務質問はこれのせいなのだろうと確信する。
そして、問題なのは、これが彩也子による大人の気を惹くなどといったことのための狂言ではなく、事実だと考えられる点だ。
夢問神社の神主は言う。
「―――我が社は、関東でも数少ない、大国主命とかの神が支配する何もない世界を祀る神社であります。ご存知のようですが、ざっくばらんにお話してしまうと、主に『夢』と『眠り』にまつわることを対象としていると考えてもらえば説明しやすいでしょう。そのため、江戸の世から、特に〈獏〉のような庶民の夢にちょっかいをだす妖魅の類いが封印された場合はその鎮守を任されてきました」
「熊埜の宮司から聞いております」
「ゆえに、現代においても、〈社務所〉の媛巫女さま方が何年かに一度〈獏〉を退治したり捕縛された場合はそのサポートをしてまいりました。私自身、二度ほど〈獏〉と遭遇したことがあります」
少し驚いた。
〈獏〉という妖怪はそんなに頻度が高く人間にかかわってくるのかと。
「人間のみならず、すべての生き物が睡眠をとらなければいけないのであるのなら、夢を食糧とする〈獏〉がいくらでも発生してもおかしくありませんから。……まあ、そのための夢問神社なのですが。―――話を戻しましょう」
神主は白衣の袂から一枚の和紙を取り出した。
そこには鼻はゾウのようで、目はサイ、尾はウシのもの、脚はトラにとそれぞれ似ている墨絵が描かれていた。
『本草綱目』にも引かれている白居易「貘屏賛」序によるものと同じだ。
「数年に一度、〈獏〉が実体化した場合は〈社務所〉の媛巫女にお願いすることになりますが、まだ幽界にいる段階では私でも封印することができます。あとでお見せしてもいいのですが、拝殿の奥にある絵馬には過去の〈獏〉が封印されているのです。その私の経験からいって、彩也子さんには〈獏〉が憑りついているのは間違いありません」
「……それは今も?」
「被憑依者が起きているときは消えていますが、対象が再び眠りにつくと〈獏〉はどこからともなくやってきて夢を食べ始めるのです。その結果、本来は見るはずのない悪夢を見ることになるという訳です。悪夢とは、〈獏〉の食い散らかした残飯のようにものだと思ってください」
「なるほど。で、実体化するというのは?」
「〈獏〉は何かのきっかけによって、たまにその姿をはっきりと現すことがあります。それを実体化―――
人の良さそうな中年男性だと思ったが、意外と神主としての骨はあるのだろう。
〈獏〉関連については信頼できる人物のようだ。
「前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。この彩也子が見ている犯罪者の眼から見た光景は、十中八九、〈獏〉が見せているものに間違いがありません」
〈獏〉は夢を食べる妖怪ではないのか。
どうして、他人の頭の中を関係ない女子高生の夢に繋げる必要があるのだ。
「こういう事例が過去にない訳ではなかったようです。特に、徳川家重が九代将軍になった延享3年あたりに起きた〈獏〉害で似たようなことがあったと報告されていますしね」
「また、厄介な妖怪だな。人の頭と人の夢をリンクさせるとは……」
「ええ。おそらく」
「どうして、そんなことになったのかな?」
神主は少し考え、
「これは私の想像ですが、〈獏〉がその犯罪者の夢をたまたま食べてしまい、具合が悪くなって吐き出したら、彩也子の夢に混じったとかではないか、と……」
「―――随分とファンタスティックですね」
「〈社務所〉の方ならご存知でしょうが、妖魅の行動についてははっきりとした合理性が見つかることは多くありません。はっきりとしているのは、彩也子がこれまでに三回にわたって、例の犯罪の現場の夢を見て、まだ犯人が捕まっていないということなのです」
そういうことか……。
私はようやく話の要点が呑み込めた。
胸糞悪くなる犯罪の様子を夢で見させられる女子高校生を助けるために、神主を初めとした私たち大人が何をすればいいか、という問題なのだ。
現身となった〈獏〉を退治するなり、捕縛するのと並行して、平和な日常を襲う脅威をいかに処理すべきか。
ただし、夢で見たとか〈獏〉のせいで、などということは警察が信じてくれるはずもなく、我々は独自の対策を考えなければならないという訳である。
◇◆◇
「でー、てんちゃんは何をすればいいの?」
中学校が終わってから合流した熊埜御堂てんは、説明を受けた途端、そんなことを聞いてきた。
彼女としては単に実体化した〈獏〉をなんとかすればいいというだけのことだったのに、主な問題点が偏執的な犯罪者対策に変わっていたので考えがまとまらないのかもしれない。
やや戸惑っているようだ。
ちなみに、戸惑っているのは夢問神社の神主と
〈社務所〉という退魔組織の最高戦力である媛巫女としてやってきたのが、紅い袴の裾を腰のあたりまであげて、折ってまくっているミニスカの巫女がやってきたのであるから。
白いニーソックスと太ももが健康的であるが、おだんごのツイン・ミニョンとなると子供っぽさが尋常ではないのだ。
しかも、悩み事なんか何もないみたいに太平楽に春風のように笑っているものだから、さらに幼く見える。
中学三年でこれでは先が思いやられるぐらいだ。
ただ、てんは第一印象の通りの普通の少女ではない。
私自身、肩の骨を外されて悪夢を見せられたし、彼女に従っている〈のっぺらぼう〉の一族は恐怖によって統制されているのだから。
少女の形をしたサイコパス。
恩があるからそれ以上は言わないが、熊埜御堂てんとはそういうSの一文字が似合う魔人でもあるのだ。
とはいえ、てんは周囲とうまくコミュニケーションをとることに関しては神業のような技術を持っているので、数分もしたら神主と彩也子とも打ち解けていた。
あの甘ったるい、語尾を伸ばす喋り方でうまく懐に入り込むのだ。
トークに自信があるとはよくいっているが、毎度毎度感心してしまうぐらいのコミュニケーション能力の高さである。
「……実体化した〈獏〉を捕らえるのはおまえしかいないし、〈獏〉を誘き出す方法は神主から聞いているので、〈護摩台〉を用意して封印する」
「それでどうするんですかー?」
「変質者の方も野放しにできないから、そっちも見つけ出して逮捕して、警察に突き出す。これで犯罪者と彩也子のリンクを断ち切れば彼女も平穏な夢を見られるようになることだろう」
「なるほどー。さすがはロバートさん! 困っている人を見捨てられない、正義の味方ですねー」
感心したという眼差しで見つめられた。
口が半開きで、少しアホの子のようだ。
だが、私はこいつの擬態には騙されない。
この娘が情け無用のサイコパスであることを私はよく知っているのだから。
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