第219話「ロバートのお使い」



 夢を食べる妖怪〈獏〉を探すために、私は杉並区の片隅にある小さな神社に赴いた。

 そこの主神は、天照皇大神の命により「見えざる世界を司る」ことになった大国主大神であった。

 名を「夢問神社」といい、目に見えない世界の中でも睡眠中に見る夢に関する祭事をする場所らしいのである。

 夢に関する神社というものは日本で数少ないらしいのだが、その周辺に〈獏〉がでるというのだから、偶然で片づけられる話ではない。

 だから、中学校のイベントで抜けられないというてんの代わりに私が調査に行くことになったのである。

 普通ならば〈社務所〉の調査を担当する禰宜という役職の者たちがする仕事なのだが、今回の〈獏〉は別に一般人を傷つけたというのでもなく、脅威度が低いということで私のような付き人がやることになったのだ。

 慢性的に人手が足りない〈社務所〉であるから、こうやってこき使われるのは仕方がない。

 私は、仏凶徒にも妖怪にも故郷の魔導師にも狙われている身なので、このぐらいの奉仕はしないと立つ瀬がないということもある。

 熊埜御堂てんは、退魔巫女ではあるがまだ中学生ということもあって、担当する事件は比較的小規模で、妖怪も凶悪過ぎないものばかりだから、付き人の私もさほど危険を感じずに仕事をすることができた。

 もっと働きたい彼女は不平たらたらなのだが、正直なところ、彼女よりも年上の巫女たちが十分な仕事をしているので、そう文句も言えないのである。

 てんも凶悪な強さを持っているが、彼女の先輩達はそれに輪をかけて強いのだから、あまり我が儘はいえないのだろう。

 先輩たちに、「スーパー」だの「グレート」だの尊称をつけているのでかなり尊敬していることもあるようだが。


「えっと、この辺りの路地を入ればいいという話なんだが……」


 スマホのGPS機能を凝視しながら歩いていると、


「そこの君、ちょっといいかね」


 声をかけられた。

 振り向くとこの国の民警の警官が立っていた。


「何かな」


 パスポートはいつも所持しているし、〈社務所〉経由で在留許可も得ている。

 よし、大丈夫だ。


「―――外国人? どこの国から来たの?」

「イギリスだ」

「日本語うまいね。どのぐらい日本にいるのかな?」

「十五年いる。今の住所はここだよ」


 といって用意してある名刺を渡した。

 そこには「熊埜神社・常任研究員 ロバート・グリフィン」とある。

 公的な身分としては、私はてんの実家である熊埜神社において、海外向けの資料の編纂や記事の発信をしていることになっている。

 てんの助手としての仕事に加え、実際にその仕事もしていない訳ではないので堂々と語ることに問題はない。


「外国人の神主さん……ってことかい」

「いや、ただの客分さ。日本の文化を海外に発信して、国際交流を図っている」

「今日はなんのために、このあたりに?」

「何かあったのかい? 私はこのあたりにあるという夢問神社というところを訊ねに来たのだが……。あ、これが世話になっている熊埜神社の神主からの招待状だ」


 カバンの中から封された手紙をだした。

 夢問神社の神主の名前が記されているので、間接証拠ぐらいにはなるだろう。

 中身を読まれるのはちょっと困るのだが、警察官は受け取りもしなかった。


「わかった、仕舞っていいよそれは。いきなり職質してしまってすまないね、外人さん」

「いや」


 職質は実はよくされる。

 なんといっても、私は普段から顔に包帯をぐるぐるに巻いている超がつくほどの不審人物であるからだ。

 私の正体は〈透明人間〉。

 遺伝子の半分は人間であるが、半分は妖精エルフという半妖半人なのであるから。

 透明の姿を見られないように、全身を包帯で巻いて、サングラスをかけているというこの格好なので、普段は昼間は出歩かないようにしている。

 夜でさえ、下手をすれば十メートル歩くたびに職務質問されてもおかしくない不審者なのであった。

 今日は、てんの代理なので仕方なく昼間街を徘徊しているのだ。


「あまりとやかく言いたくないのだが、あんた―――グリフィンさんの格好はかなり怪しいのでね。気を悪くないでくれ。てっきり……」


 すると、隣にいた相棒らしい警察官が肘でついて話を止めた。

 はっとしているので、何か事情があるようだ。


「小さい頃に酷い火傷にあってね。それ以来、顔を隠す癖がついてしまったんだ。だから、あんた方が怪しむのも無理はない。ところで、てっきりの次はなんて言うつもりだったんだい。―――良かったら聞かせてほしい」


 警官たちは少し顔を合わせ、


「うちの署の管轄で、傷害事件が起きているんだ。しかも、もう三件。すべてが一人暮らしの女性をターゲットにしたものでね。どうも力が強い犯人のようだから、あんたみたいな体格のいい相手は任意で職質するようにしているんだ」

「傷害……? 暴行じゃなくて?」

「ああ。もう、普通のOLがぼっこぼこにされてね。酷いもんだ」

「佐々木っ!」


 相棒に促されて、警官はお喋りを止めた。

 確かに捜査の情報をあまり流すものじゃないな。


「わかりました。で、私も怪しいと」

「まあ、そうだ。でも、あんたはわりと遠くに住んでいるようだし、事件には関係ないと思うけどな。じゃあ、あんたの様子じゃ怪しまれるだけだから、用事が終わったらさっさと神社に戻れよ」


 わりと気のいい警官たちだった。

 スコットランドヤードの高圧的な警察官に比べればさすがという感じだろう。

 これだから日本はいいのだ。

 だが、警官たちの注意をこれ以上引くのは避けたいので、私は急いで夢問神社へと向かった。


      ◇◆◇



 夢問神社に着いた私の眼前に黒い影が、羽ばたきと共に落ちてきた。

 思わず後ずさりをする。

 現われたのは黒い大きなカラスであった。

 よく見れば、脚が三本ついているので、まともなカラスのはずがない。


『ヨクゾ来タナ、異人ヨ!!』


〈社務所〉の伝令などのための使い魔である八咫烏であった。

 故郷のサセックスでは、魔女が黒猫と共によく使い魔として利用していたので、私も喋るカラスごときにはうろたえはしない。

 しかし、異人呼ばわりは止めて欲しいのだが……


「なんで、八咫烏がここに?」

『ココノ神主ニ召喚サレタノダ。ノッピキナラヌ事件ガ起キテイルラシイゾ。丁度イイ、貴様ガ話ヲ進メロ』

「いや、私はてんが引き受けた〈獏〉捕縛の調査に来ただけなんだが……」

『シェカラシカ!! 人ノ窮状ヲ救ウノガ退魔ノ媛巫女ノオ役目! キサマモ巫女ノ付キ人ナラバ助ケヲ求メルコエヲナイガシロニスルデナイ!!』


 カラスに説教されるのは初めてだ。


『マッタク、ソノ程度、アノ間男ノ小僧デスラデキルゾ。キサマモ精進スルコトダナ!!』


 と憎まれ口をたたくと、八咫烏は空に戻っていった。

 間男の小僧って誰のことなんだろうか。

 私とカラスの口論を聞きつけたのか、社の中から神主姿の中年男性が現われた。

 こちらを見て一瞬戸惑うのはいつものことだが、話を聞いていたらしく、私を〈社務所〉のものとして認識してくれたようだった。


「ようこそ、夢問神社へ」

「初めまして、ロバート・グリフィンです。〈社務所〉の媛巫女、熊埜御堂てんの代理として来ました。妖怪〈獏〉についてなのですが……」

「実はそのことについて、折り入ってご相談したいことがございまして」

「なんでしょう」


 神主自ら案内された先は、拝殿の一画だった。

 何枚か座布団が敷かれ、その上に一人の少女が正座をしてこちらを見ていた。

 包帯だらけの私を見て顔をひきつらせたが、気丈にも正座を崩すことはなかった。

 神主が私を少女に紹介した。

 それから、私に対しても、


撫原彩也子なではらさやこさんです。当神社の氏子でもあり、私自身も子供の頃からよく知っている子供であります」


 彩也子という少女は、警戒しながらも挨拶をしてきた。

 このあたりは好印象だ。

 てんよりも幾つか年上のようだが、やはり彼女よりも落ち着いている。


「……この女性がどういう」


 私が切りだすと、すぐに話が始まった。


「彩也子さんは〈獏〉に憑りつかれています。ただし、それだけならばまだ良かったのですが……。〈社務所〉の媛巫女さまの力をお借りできるのであれば、なんとか引き剥がせるとは思います」

「それだけではない、というのですかな」

「ええ」


 神主は少し躊躇ってから口にした。


「―――。しかも、相手は最近このあたりで女性を傷つけて喜ぶ変質者のような怪人らしいのです」


 ただの妖魅捕縛がきな臭いものに変わっていくのを私は肌で感じていた……



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