第216話「ふたりは御子内或子」
ニセ・御子内さん―――〈ドッペルゲンガー〉は、前門の退魔巫女・後門の〈裏柳生〉によって完全に挟まれていた。
記憶まで盗んでいたというのならば、屋上にあるあのプロレスリングにしかみえない〈護摩台〉の神通力もわかっているだろう。
あそこから発せられる結界からは、退魔巫女を倒さない限り、妖怪・魑魅魍魎の類いは逃げ出すことができないということを。
『……仕方ないね。そこにいる本物をぶっ倒して、ボクが御子内或子になってあげるよ』
偽物は、御子内さんらしからぬ邪悪そのものの醜悪な笑いを湛えた。
本物の彼女ならば絶対にそんな笑い方はしない。
悪、というものを体現しているといっても過言ではないだろう。
ミルトンの失楽園以降、「悪」という言葉には「堕ちた反乱者」というイメージがあるけど、あの〈ドッペルゲンガー〉についてははっきりと人を欲望のままに操り、貶め、そして地獄にまで突き落とそうとする醜さ、汚さがあった。
あいつが日本に上陸してまだ三日。
でも、その三日で終わらせなければ、きっと大勢の人たちが傷つけられ、不幸にされるに違いない。
そんな確信を抱かせるに足りる邪悪を極めたおぞましい化け物であった。
あいつが美厳さんに成り替わったりしたら、どんな悲劇が繰り返されるかわかったものではない。
だから、ここで倒すべき。
御子内さんの厳しい表情はそのことを物語っている。
彼女は人々を護る使命を背負った巫女として、この妖怪を倒すべく燃えているのだ。
『〈護摩台〉に引きずりあげたら互角になるんだよ。そこの剣士たちの援護も受けられない。それでもいいのかい?』
「キミ、ボクに化けている癖に頭が悪いな。―――ボクがこの〈護摩台〉の上で負けることなんてありえないんだよ。それが例えボク自身であったとしてもね!!」
とんでもなく自信満々に根拠のないことを言う僕の相棒。
でも、それこそが彼女だ。
僕の妹の命を救ってくれた巫女レスラーだ。
そして、〈ドッペルゲンガー〉はそこが死地だとわかっていても、リングにあがらなければならない。
追い詰められた妖怪としては、御子内さんを倒して、なんとしてでもこの囲みを抜けなければならないのだから。
おそらく、すぐに使える策がないのだろう。
僕だったら、同じ性能を持つ御子内さんと戦って時間を稼ぎ、隙を探るのが一番だと思うが、〈ドッペルゲンガー〉も同じことを考えたのだと思う。
「本当にボクにそっくりだ。二重存在とはよくいったもんだね」
『ボクはおまえの記憶と肉体能力のすべてを複写しているからね。おまえと寸分変わらないさ』
「―――それは困る。ボクにだって触れられたくない過去というものはあるから。キミがこれ以上、世迷言を放つ前にとっとと斃させてもらう。退魔巫女のボクとしてだけではなく、一個人の女の子としてね」
『それは、キミに流れる例の血筋のことなのかい? 御子内或子?』
「当たり前じゃないか!!」
カアアアアンといういつもの
裂帛の気合いとともに、右の回し蹴りを放つ。
それがガードされると一瞬の遅滞もなく、左の回し蹴り。
双龍脚だった。
ただ、相手も同じ御子内さん。
蹴りが当たる寸前に風を抉る正拳突き。
それを躱すという余計な動きが入ったため、蹴りを支える軸足が揺らぎ、左の蹴りは力なく当たるだけで終わった。
速さが雷光にも勝る。
互いに御子内さんでなければ目を疑う光景である。
しゃっと息を吐いて、御子内さんの踵が後ろ回し蹴りとなって偽物のこめかみを襲う。
蹴りのパワーは手の三倍。
しかも急所ともなれば一撃必殺ともいえる蹴りだった。
だが、それは難なくガードされ、偽物は自らマットに倒れこんだ。
御子内さんの足首を抱えたまま、がっちりと極めにかかる。
アンクルホールドからの関節技だろう。
彼女は寝技もなかなかうまい。
記憶が同じだというのならば、いつものようにがっちりとした固め技を使ってくるはずである。
足首を脇に挟み、さらに膝を掴んだ瞬間、御子内さんの反対側の足裏が偽物の肩を蹴った。
極めが外れる。
関節技破りの技術である。
這いつくばって逃れるのではなく、攻めに行くために逆襲を選んだのだ。
そして、そのまま上半身を上げると、腰のバネだけを使ってタックルをかける。
入った。
偽物の腰を抱きかかえる。
が、そのタックルが切られる
想定していたのか、それとも肉体のもつ反射的能力か。
タックル破りをしたのち、偽物は左袖を掴み、左手は襟を持つと、腰を撥ね上げる。
「山嵐」。
御子内さんぐらいしかやれない古い必殺の投げだった。
偽物とはいえさすがは御子内さんである。
確実に一本を取られるような投げだったが、むざむざと投げられる本物ではない。
宙を舞う一瞬に、身体を変化させ、背中ではなく腹から着地した。
その顔面に頭突きがぶつかる。
あえて狙っていた喧嘩殺法だった。
聞こえる音があまりにも痛そうだった。
だが、頭突きがお互いに与えたダメージはほとんどなかったようだ。
その激突を最後に二人の御子内さんは二つの反対側のコーナーへと逃れていった。
頭突きが効かないのではなく、お互いに同等の頭蓋骨の堅さだから互角だったということだろうか。
なんにしても、たった数秒の攻防だというのに双方ともに凄すぎる。
「……或子さま、並々ならぬ実力の持ち主ですね」
「そりゃあ、或やんはあの美厳姉さまでさえ手を焼く相手なんだから。万夫不当を名乗ってもおかしくないさ」
「しかし、本当にどういう風に鍛えたら、あそこまでになるのかしら? 〈社務所〉の媛巫女って凄いものですね」
僕の隣で、二人の柳生の娘さんたちが感想を漏らしていた。
さっきまで偽物とはいえ御子内さんと小太刀でやり合っていた友埜さんがいうと非常に重い。
「単純に速さが違うんだ。判断してからとかじゃなくて、予測してから動く―――いや、違うかな―――まるで予知しているかのようだから」
「予知? 〈未来予測〉の類いなの?」
「いや、神通力とか術とかではないと思う……。人の動きを知り尽くしているというか、よく観て研究しているというか……。そういう、経験から裏付けられた勘のようなものかも」
二人の意見には首肯せざるをえないものがある。
御子内さんはとにかく勘が鋭い。
しかも、それをさらに増幅させる格闘センスがある。
持って生まれた才能のようなものもあるだろうが、たった十七歳の女の子とは思えないような経験値の高さを感じさせるのだ。
抽象的に例えると、どんな敵でもどれほどの人数が相手でも、一回は戦ったことのあるような反応を示すことがある。
きっとそれが御子内さんの秘密なのだろう。
僕がそんなことを思っている間も、本物と偽物の二人の御子内さんの戦いは熾烈さを増していくのであった……
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