ー第29試合 ダブル・ダブルー
第211話「千葉に血の雨が降る」
千葉県成田市にある某有名ホテルが、アメリカ帰りの退魔巫女・
不死身の殺人鬼〈J〉事件の後、ヴァネッサは半年ほどの短期研修という扱いでFBIからの派遣が決まったのである。
それは、彼女の一族であるスターリング家がFBI内部でも強い影響力を持っていることから、後継ぎであるヴァネッサのわがままを聞いてくれたという背景によるものであった。
元来、殺人鬼に狙われやすいというスターリング家の女にとって、殺人鬼そのものの数が少ない日本という国は比較的安全だと思われていることもあり、彼女の派遣はすんなりと決まった。
研修―――というよりも留学なのだが―――先は、FBIと関東の退魔組織〈社務所〉との話し合いで決まることになっており、それがはっきりするまでの間、ヴァネッサと皐月は待機ということになったのだ。
もともと優秀で、日本語が悠長に喋れるヴァネッサは、その期間を利用して日本に慣れるために毎日外出をするようにしていた。
彼女の血筋を考えると、頻繁に外出して人の前に出ることは避けた方がいいのは確かだったが、先に説明した日本の殺人鬼割合の少なさと護衛にあてられた不可視のはずの他人の殺気が視える
この成田の町で、ヴァネッサは生まれて初めてと言っていいほど安全で気楽な日々を過ごしていた。
まるで夢のようであった。
スターリング家の血は悪夢そのもののように、事件を招く力があり、無自覚になるまで彼女は苦しんでいたのである。
新鮮で、楽しく、のんびりとした時間だった。
ただ一つ、彼女にとって不満があるとしたら、それは―――
「ねえねえ、ヴァネッサ、今日から部屋のベッドをダブルにしようよ。ツインってのはあまりに他人行儀じゃないかなあ」
「……他人ですから」
「いやいやいやいや、そうじゃないっしょ。初日に、ベッドに忍び込んだのは悪いと思っているし、パジャマの中に手を入れたのはホント性急だったと反省しているけど、そろそろ、仲直りしてもいいんじゃないかなあって」
「皐月って同性愛者じゃないですよね」
「もちろん。男も女もバッチコイだよ。うちはもう性的には奔放なだけだからっ!」
「―――よっぽと
シェアをしている形のルームメイトが、色々な意味で信用ならないという点である。
ただでさえ血筋の面で人間関係に疎かったり、逆に敏感だったりするのに、そこを容赦なしにセクハラそのもののコミュニケーションとってくる皐月の存在に苦労していた。
いい人間なのはわかる。
相棒として信頼できるのはわかる。
得難い友人なのもわかる。
―――だが、人にはどうしても面倒くさい相手というのがいるものだ。
ヴァネッサにとって、刹彌皐月という女はそういう類のものであった。
「……前も言いましたが、私は
「性交渉? ああ、セックスのことね。心配ない、心配ない。うちだって、そのあたりは未経験だから! でも、そろそろ大人の階段上りたいなあ、裸のうちはシンデレラだからさ!」
「意味がわかりません。だいたい、皐月はふしだらすぎます。そんなことでは将来、色欲の罪に塗れますよ」
「大丈夫、うちは神道だし! 七つの大罪カンケーなし!」
ヴァネッサは頭を抱えたくなった。
アメリカにも軽薄で、下半身に脳みそがついているようなタイプは山のようにいるが、不快感無しにここまでいい加減なのはそうはいない。
口を開かず、何かというとボディタッチしてこなければ何の問題もないというのに、この日本人ときたら……
「あれ、あそこにいるの、レイちゃんじゃね?」
突然、会話を打ち切って皐月はあらぬ方向を見つめた。
丁度、巡回バスから一人の巫女装束の少女が降りてくるところだった。
腰まである長く艶のある黒髪と印象的な鋭い眼をした、美しい少女であった。
ただヴァネッサの知る巫女装束とはどこか違い、両袖がないうえ、紫色のニッカボッカを履いている。
日本でいう作業員のガテン系かしらとの感想を抱いた。
あまり普通の日本の町並みには似合わない格好であるのは確かであったが。
「皐月の友達?」
「うん、まあ、同期の桜。千葉の柏あたりに実家があったから偶然だね」
「〈社務所〉の媛巫女な訳ですか……」
「こないだの或子ちゃんと一緒で同期のツートップなんだよ。おっぱいでもツートップなんだけど!」
「そういう情報いらないです」
ここであったも他生の縁。
色々と混じった諺を呟いて、皐月は同期の元にヴァネッサを連れて近づいた。
修行時代から一本気なレイは皐月のことを避けていたが、とうの皐月自身はそんなこと気にしてはいなかった。
むしろ、美人だし乳も大きいしと一方的にまとわりつくようにしていたくらいだ。
巨乳大好きと放言しているだけあって、その辺り皐月に節操という文字はなかった。
「レーイちゃーん」
昔と同じ馴れ馴れしい口調で近づく。
名前を呼ばれて振り向いた同期は、かつてと同じ、変わらぬ刃物のような美貌で彼女を見た。
どんな感情も宿っていないような、冷たい目つきであった。
違和感を覚えたが、レイや或子に冷遇されるのは慣れっこなので、皐月はさらに近づいた。
おかしな予感はあったが、目の前の
「レイちゃーん、うちだよー、おっぱい大好き皐月さんだよー」
お巡りさんこの人です、としかいえないことを大声で言いながら、皐月は同期の肩に触ろうとした。
「―――!」
皐月は何もない空間を手で払った。
彼女の眼には、かつて視たことのない殺気が映っていてそれは共に修行時代を過ごした懐かしい友から出されていた。
そして、皐月はレイの放つ殺気の色を忘れたことはなかった。
「誰だ、あんたは!」
万事おちゃらけた態度で生きることを心情とする皐月にはあまりないことだった。
彼女は本気で怒鳴っていた。
友と同じ顔を持ちながら、まったく異質で不気味な殺気を放つこの化け物に対して。
自分の正体を見破られたことに気がついたのか、偽者のレイがビンタを放ってきた。
皐月の記憶にある〈神腕〉を使った明王殿レイの特技だった。
だが、ビンタにやられる前に皐月は殺気を読み取り、掴み、投げた。
投げられたことでからぶった掌が道路を叩き、大きな陥没を作る。
何度も見たことのある〈神腕〉の破壊力の証明であった。
本物のものと寸分狂わず同じもの。
それが示す答えは一つしかないが、皐月は信じない。
皐月は一度でも視た他人の殺気を間違えることはない。
それができない刹彌流柔の遣い手はいないのだ。
そして、人と妖魅の殺意の違いがわからないはずがない。
「あんたが何者かはしらないけど、うちの友達に化けるってことがどんなことか、体に教えてあげる」
皐月は偽者のレイを敵と見定めた。
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