第209話「一点機動」



 一歩、御子内さんが前に出る。

 ヘルメットの巨漢の殺人鬼は、警戒というものをまったくすることなく傲然と工場内に入ってきた。

 手にしている鉈の恐ろしさは、ただの凶器の範疇には収まらないものがあった。

 少し安心したのは、鉈にも黄土色のツナギにも、血の跡らしいものが皆無な点だ。

 不死身の殺人鬼という話だったが、まだ日本では事件を起こしていないらしい。

 それならば、〈J〉を取り逃がしたことでヴァネッサさんや皐月さんが抱く責任の重さもまだ軽くすむかもしれないだろう。

 たわめておいたテグスを跨ぎ、〈J〉が簡易結界に侵入した。

 同時に僕らがそれを引くと、床から一メートル五十センチほどの高さにテグスが張られ、妖魅の類いが用意に外へと逃げられなくなる。

 リングの形をした〈護摩台〉よりは弱いが、あの殺人鬼が獲物を前にして逃げ出すとは思えないので、閉じ込めるためというよりもむしろ結界の力で御子内さんとの彼我戦力差を地均しするための仕掛けであった。

 あとは、御子内さん次第。

 自分よりも四十センチ以上高く、体重差にいたっては三倍はありそうな敵を相手に彼女がどうやって勝つのかが問題だった。

 いつもの鐘は鳴らない。

 ストリートファイトに開始の合図はないからだ。

 最初に仕掛けたのは〈J〉の方だった。

 手にした鉈を横殴りに薙ぐ。

 重々しい一撃を御子内さんはスウェーバックで避ける。

 まともに当たれば、人体を構成する部位を切断されそうな一撃だったが、見切りについては定評のある彼女にとっては容易いことだ。

 お返しとばかりに左のストレートを放ち、ついで右の回し蹴りを顔面に見舞った。

 見事なコンボだった。

 相も変わらず流れるような身のこなしである。

 ただし、それはまったく通じていなかった。

 通常の妖怪退治では、タフな妖怪たちが多いが、御子内さんのコンビネーションを喰らってノーダメージということはあまりない。

 ちっちゃいが、腰が乗り、ひねりの効いた巫女レスラーの技は、肉体の芯にまで届くからである。

 さらにいえば、常に練気というものをしていて、全身に〈気〉がこめられているので、妖魅の類いにも効果的なのだ。


「やああああ!!」


 御子内さんは一発一発では効かないと判断すると、懐に飛び込んで猛烈な連打を腹と胸に叩き込んだ。

 ほぼ無呼吸で何十発とパンチを繰り返すのだ。

 だが、圧に負けて後退するかと思いきや、〈J〉の鉈を持っていない方の手が上がる。

 そのまま振り下ろされた。

 咄嗟にガードをしたが、それごと吹き飛ばされる。

 信じがたい膂力だけど、いつも相手にしている妖怪たちと変わらない。

 だから、御子内さんは

 自分から力のベトクルの方向へと跳んで、衝撃を殺しながらサッカーのバイシクルシュートの要領で〈J〉の左手を蹴り飛ばす。

 そして、空中で身体を捻って、左腕を交差して取り、勢いよく上半身を逸らす。

 飛び関節技だ。

 右腕の鉈を警戒するため、一瞬たりとも止まらずに、〈J〉の左腕を極め、破壊する。

 ゴキっと人の骨が折れるものにしては鈍すぎる音が聞こえた。

 熊埜御堂さんほどではないが、御子内さんも人の骨や関節を破壊することに躊躇しない。

 実戦の場に多く接する者ほど、敵を完全に戦闘不能状態におくために悩んだりはしないのだ。

 御子内さんはギリギリで〈J〉の左腕は奪った。

 と思いきや、殺人鬼は彼女が巻き付いたままの左腕を高く掲げると、そのまま床にたたきつけようとする。

 痛みとか感じないような強引さだ。

 ぶんと御子内さんが凶器となった床に叩き付けられる。

 ―――寸前、手を放した。

 わかりきっている。

 パワー満タンの化け物のやることなんて、いつもたいして変わらない。

 小柄な体のハンデを逆に身軽さアジリティという武器に変え、弱い打撃を捻りとコントロールと連動という試行錯誤で乗り越え、短いリーチを懐に飛び込む勇気で克服した、ちっちゃい女の子からしてみれば、馬鹿の一つ覚えだ。

〈J〉の腕の上を体操のあん馬のようにくるりと回転すると、膝を巨漢のうなじにぶつける。

 さすがに怯んで隙ができたところで背後に着地して、双打を叩きつけて、続けて片足を前に出し、逆足を後ろに出して身体を半回転させると、最初の足の横に添え、屈んでから突き上げるように背中から体当たりする八極拳の鉄山靠てつざんこうを放つ。

 さすがの巨漢も前につんのめった。

 追い打ちをかけるために、御子内さんのドロップキックが炸裂する。

 これで〈J〉は完全に床に這いつくばることになった。

 さらにダウン攻撃を仕掛けようとした御子内さんだったが、


「危ない!!」


 と叫んで伏せた。

 僕も何かが警告してきたこともあり、ヴァネッサさんの腰を抱いて横っ飛びをする。

 その勘は正しく、僕たちのいた場所を黒い何かが回転して通り過ぎていった。

 甲高い金属音とともに、その何かが突き刺さった。

 見なくてもわかる。

 鉈だ。

 殺人鬼が投げつけてきたのだった。

 しかも、軌道線上にいるヴァネッサさん目掛けて。

 偶然のはずはない。

 殺人鬼を誘い出すフェロモンを持つというスターリング家の彼女のいる位置はおそらくわかっていたのだろう。

 だから、彼女を狙ったのだ。

 僕が余計なことをしなければきっと殺されていたに違いない。

 プシュー

 何かおかしな音が聞こえてきた。

 背後からだった。

 振り向くと、白い粉のようなものが舞っている。

 なんだ、これは。

 さっきの鉈が突き刺さっていた何かとの隙間から洩れている。

 いやな予感がした。


「御子内さん、もう一度伏せろ!!」


 僕は腰を抱いていたヴァネッサさんを胸の中に抱きしめた。

 彼女の外国産のたわわすぎる巨乳を感じたがそんなことで喜んでいられない。

 もっと……今は……

 瞬間、視界が真っ白に染まった。

 あの鉈が刺さっていたのは、うち捨てられていたプロパンガスのようなもののタンクだったのだ。

 わずかに遅れて爆発音が耳をつんざく。

 運が悪いのか、それとも〈J〉の運が強すぎるのか。

 僕たちの周囲は一瞬で吹き飛び、火の海になっていった……




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