第207話「刹彌皐月の秘密」
プリウスαの外に出た皐月さんは、検問をしている警察官の前に立った。
目で合図をしてきたので、ヴァネッサさんはいつでもアクセルを踏めるように準備する。
しかし、このまま無理に出発すると、先のUターン地点で待機している警察官たちも巻き込む恐れがあった。
つまり、皐月さんのやろうとしていることは一つだ。
「悪いんだけどね、ちょっと暴れさせてもらうよ。なーに、若くて可愛い女の子とプレイできるんだ、ビンビンになるっしょ」
「君ね。警察官に対してそういう口の利き方をするもんじゃない。補導されたいのか」
派手なパンクロッカースタイルではあるが、皐月さんの顔つきはまだ幼いところがある。
あれでは撥ねっ帰りの不良少女ぐらいにしか思われていないだろう。
もっとも、残念なことに、その女の子はまともではなく、遵法精神とかもあまり持っていなさそうだった。
皐月さんの手が上がり、指を丸めると、バチンと警察官の額を弾いた。
デコピン、だった。
間違いなく自分よりも体格が良く、防刃ベストを着こんでいるせいで体積だけで二倍以上にみえる警察官に対してデコピン。
何をされたのかわからず一瞬止まった警察官が、すぐに顔を憤怒の赤に染め上げた。
怒りで沸騰しているのだ。
ただ、警察官としての矜持があるのか、怒鳴りつけたり、ましては手をあげたりということはしない。
物凄い形相のまま、皐月さんを睨みつけた。
ギョーザ型をした耳の形や筋肉の付き方といった見た目からすると、おそらく柔道の有段者。
軽薄そうな小娘にコケにされて黙って引き下がるタイプではないだろう。
「なにをする? 公務執行妨害で捕まえて、親を呼び出してもいいんだぞ」
普通なら小便を漏らしそうな凄味だったが、皐月さんは涼しい顔だ。
それどころか、さらに挑発と煽りを続ける。
「いやあ、久しぶりの日本だけど、やっぱり安全な街で平和に勤務しているお巡りさんの殺気は
なんていうか、人を怒らせるのが本当にうまいな、この人。
「ふざけるなよ」
警察官の腕が上がった。
まあまあ、と相棒役がなだめに入った瞬間、二人の間にある一メートルほどの何もない空間で、皐月さんがまるで柔道の組手をするかのように手を動かした。
そして、何もない宙を掴む。
蚊でも飛んでいるかのような不自然な動きだった。
バケツに汲んだ水を捨てるみたいに、斜め後方に向けて突き飛ばす仕草をする。
皐月さんの動きだけを見ていたら、そうなる。
ただ、違っていたのは、皐月さんの動きに
触れてもいないのに、まるで指揮者のタクトに操られるように警察官は地面に転倒する。
さすがに柔道家であるのだろう、しっかりと受け身はとっているが、顔は驚愕で歪んでいた。
本人が一番よくわかっている。
今、彼は、誰にも触れられていないのに投げ飛ばされたのである。
「なんだ、今のは!?
キョロキョロと周囲を見渡していたが、そのうちに一か所で止まった。
警察官の眼は皐月さんを見ていた。
「……貴様がやったのか?」
「オジサンが勝手に転んだだけだよ。ねえ、そっちのお巡りさんも見ていたでしょ。うちは触ってもいないのに、このオジサンが勝手に前に転んでいったところを」
「……高松さん、確かにこの子はあんたに触れていないよ。それよりも怪我はしていないかい?」
すると警察官はすっくと立ち上がった。
視線は微塵も逸らさない。
お巡りさんというよりは、武道家みたいな顔つきだった。
「何をしたかはわからんが、貴様の仕業だというのはわかるぞ。何をした?」
「……オジサン、結構いい殺気をだすね。明晰な殺気だったおかげで掴みやすかったよ」
明晰な殺気?
どういうことだろう。
「―――よく見ているといいよ。あれが、皐月の特技―――
御子内さんが言った。
どうやら彼女にはわかっているらしい。
「皐月というか、刹彌流柔の遣い手はね、人の発する思念の中でも殺気と呼ばれている鋭く尖ったものを視ることができるんだ。しかも、それだけでなくて、その技の遣い手は皆、殺気を形あるものとして掴み、投げることができる」
「えっ?」
僕には御子内さんの言っていることがよくわからなかった。
殺気なんていう形のないものをどうやって見たり触ったりできるというのだろう。
でも、たった今見せられたのは、皐月さんが触れもしないで警察官を投げた事実だった。
「相手の放つ殺気が濃ければ濃いほど、殺意が強ければ強いほど、皐月にとっては有利になる。ボクや他の同期どころか、歴代すべての退魔巫女が真似しようとしても絶対にできない秘術さ」
「ということは、皐月さんが一定の条件下では御子内さんにも勝てるというのは……」
「あの刹彌流柔があるからさ。……組んでもいないのに、殺気を掴まれて投げ飛ばされては防ぐこともできないからね。さすがは元々、御所で
……要するに、かつては禁裏で天皇陛下を護る職務についていたということか。
刹彌という一種独特の苗字の由来もわかる。
かなり古い家柄なのだと思う。
ついでに神社の出身でないというのもわかった。
これは推測でしかないが、刹彌流柔という異様な流派を維持するためにあえて皐月さんは〈社務所〉に入ったのではないだろうか。
刹彌流はどうみても戦いの中でしか使い道がない。
もしくは、護衛か。
誰かの殺気が視えるなどということはSPなどからしたら垂涎ものの能力だろうし。
なんといっても、警護対象に殺気を向けているものを用心すればいいだけなのだから。
そして、この段階になって初めて、これまで皐月さんと御子内さんのしていた会話で呑み込めなかった部分の意味が掴めた。
そういうことか。
「……〈J〉という殺人鬼は生きている死者みたいなもので、生きている人とは違い、殺気を発しないから接近に気が付かないし、刹彌流も通じなかったということなんだね」
「正解だ。殺気を掴めさえすれば、皐月はたいていのものは投げられる。さっき見せた空気投げみたいな大技だって簡単に極めるしね」
空気投げ―――別名「隅落」という技は嘉納治五郎師範が名づけ親であり、三船久蔵十段が編み出したものである。
非常に素早い巧みな動作によって相手を崩し、柔道衣を持った手以外は触れることなく、斜め後方へ突き飛ばすように投げる、とても難易度の高い技であるらしい。
皐月さんの投げはとても堂にいっていたし、おそらく投げ技については相当の達人なのだと推測できる。
巫女レスラーたちの同期なのだ。
それぐらいでないと困るだろうし。
一方で警察官たちと皐月さんの睨みあいは続いていた。
直接触れていたという現認はしていないので、皐月さんが暴力を振るったとはいえないので公務執行妨害を問えないが、明らかに危険人物であるという認識は抱いたらしく、警察官たちは非常に緊張していた。
Uターン地点にいた警察官たちまで何事かと近寄ってきていた。
「今だよ、いってらっしゃーい」
皐月さんが呑気に言った。
同時にヴァネッサさんがアクセルを踏み抜く。
パワーモードのプリウスα一気に100キロまで加速できる。
おかげで警察官が止める間もなく、僕たちの乗ったプリウスは皐月さんと検問の警察官たちを置き去りにしていった。
あっという間に米粒以下になった皐月さんたち。
置いて行ってしまったという罪悪感があるが、ここは仕方のないところなのかもしれない。
少なくとも、あの職務熱心な警察官たちを不死身の殺人鬼の餌食にするわけにはいかないのだから。
「―――もうすぐ廃工場跡地だね……」
目的地に近づいて、プリウスαが速度を緩めたそのとき……
グシャアアアアン!!
助手席のガラス窓を破って、ぶっとい腕が突きこまれてきた!!
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