第206話「〈J〉という名の殺人鬼」



 しばらくして、僕らは外にでることにした。

〈社務所〉が用意したプリウスαに乗って、町を流すことにしたのだ。

 運転するのはヴァネッサさん。

 国際免許というのだろうか、日本国内でも使用可能な運転免許を所持していたのだ。

 成田空港の傍の国道を、軽く流す感じでドライブをすることになっていた。


「―――こんなことで、その殺人鬼はやってくるのですか?」

「意外と釣れるんだよ、これで。実際に、ヴァネッサがニューヨークを巡回しただけで、〈J〉が襲ってきたぐらいだからさ」

「……信じられないですね」

「日本には我が国でいうところの連続殺人鬼シリアルキラーが少ないみたいですから、本国ほど多くはないと思いますけど、私が普通に暮らしているだけですぐ近くに彼らがやってくるなんてざらにあることなんです」


 連続殺人鬼が多いってのも物騒だ。

 ただ、そのおかしな連中を誘い出すフェロモンなんてものがあるというのは、なかなかに信じられない。


「……皐月と私がバディをしていた半年ほどで、四人の殺人鬼を捕まえました。大量に殺人を犯している、いわゆる民衆の敵パブリックエネミーレベルはいませんでしたが、それでも殺人に快楽を覚える危険な連中ばかりでおかげでニューヨークは少し平和になりましたね」

「気が休ませられないじゃないか」

「まあ、強盗やら粗暴犯やら程度はあまりヴァネッサに引っかからないから、そういう折り紙付きだけを相手にするという点では簡単な仕事なんだけどさ。あとは、金髪巨乳美人とデートするだけの簡単なお仕事だし」


 それにしたって、常にそんな危険な連中に狙われている女性を護衛するというのは大変な話だ。

 今回、臨時で引き受けた御子内さんなんかさっきから気を張りっぱなしだ。

 ヴァネッサさんの話を信じるのならば、運転中にだって狙われてもおかしくないのだから。

 ならば、護衛を半年もこなしていた皐月さんはエロトークしかしないセクハラ人間という訳ではなさそうだね。

 そうしたら、僕の携帯に連絡があった。


「はい、升麻です」

『こんにちは、京一さん。もしもし、こちら不知火です』

「あ、どうも」

『或子ちゃんは護衛で忙しいだろうから、あなたに伝えますがいいですか?』

「はい、どうぞ」

『―――あなたたちの位置はGPSで捕捉しています。そこから五キロほど行った先に廃業した大規模な廃工場跡地がありまして、千葉県警がそこで例の殺人鬼を見つけたとのことです』

「見つけちゃいましたか。じゃあ、お任せでいいんですかね」

『いえ、或子ちゃんと皐月ちゃんを向かわせてください』

「どうして? 警察に任せればいいじゃないですか? 話を聞く限り、不死身っぽいけれどただの人殺しみたいですから、退魔巫女の出番じゃないと思いますよ。ヴァネッサさんの護衛も、彼女が囮役として殺人鬼を見つけ出すまでであって、発見されたのならお役御免になると思うんですが……」


 そう、この国の警察は実に優秀なのだ。

〈社務所〉も、警察とはつながりが深いみたいだけど、基本的に妖魅関係以外の事件で警察の領分を荒らしたりはしない。

 逮捕権という基本的人権を超越する強力な権利を持つ警察は、平時においては下手な軍隊よりも強力な力を秘めているといっていいからだ。

 しかも、組織力は〈社務所〉とは段違いだ。

 本気で嗅ぎ回れば、日本に密入国した殺人鬼など三日もあれば狩りだせる。


『スターリングさんにその〈J〉という殺人鬼のことを聞きましたか?』

「ええ、まあ」

『じゃあ、そいつが皐月ちゃんをやっつけたということも?』

「いえ、取り逃がしたとだけ……」

『もう、皐月ちゃん、肋骨五本ぐらいにヒビが入っているはずなのに。まだ、やり合う気だったのね』

「―――どういうことですか?」

『どうもこうもないわ。不意打ちされたとはいえ、その殺人鬼は退魔巫女をボコボコにできる怪物ってこと。しかも、何度も生き返っているというけれど、一度殺すまでにどれだけかかるかわからない相手なのよ』


 まさか、それほどの化け物ってことは……

 

「やっぱり、妖怪なんですか?」

『わからないわ。たぶん、北米大陸特有の死霊の類いだと思うけれど、正直、日本の警察ではSATなんかを派遣しても殺すのも難しいはずよ。だから、千葉県警には任せられないの』

「……まさか」

『或子ちゃんに言って。絶対にそこで仕留めなさい、と。千葉県警に余計な死傷者を出させないようにね』


 僕は運転しているヴァネッサさんにこぶしさんから聞いた内容を話した。

 彼女は頷くと、日本製のカーナビを自在に操って、廃工場跡地にセットする。


「……さて、行こうよ、ヴァネッサ。女の子の周期が来る前に借りを返さないとね」


 助手席の皐月さんが前を見据えたまま、感情を乗せずに呟いた。

 生々しいエロ発言をしながらも僕は皐月さんの心の奥底に潜む闘志のようなものを感じ取った。

 皐月さんの肋骨が五本、ひびが入っているのは本当のことなんだろう。

 けれど、この|女の子(ひと)はやはり御子内さんの同類なのだ。

 負けっぱなしで引き下がれるほど、生易しい人格はしていない。


「その〈J〉というのは、どういうスタイルの戦い方をするんだい?」


 御子内さんもその決意は感じ取っているらしいが、敵のことは気になるのだろう。


「……〈J〉は巨漢だね。身体もでっかいし、腕も太いし、たぶん、あそこも太い。しかも怪力のファッキン化け物だね。スタミナもタフさも底抜け、銃で撃ったぐらいじゃ倒せないし、気にもしないノーガード戦法をしてくる。だから掴まれたら終わりだし、意外と器用に周囲のものを武器にする知恵もある。あと、歩くのがクソミソ速いから、早漏だと思う」


 普通だとまったく敵いそうにない怪物みたいだ。


「生きているんだか死んでいるんだかわからないから、殺気がほとんどない。うちらは囮役をやっていたんだけど、気が付いたときにはマチェットのような鉈で斬りつけられて、同行していた巡査がやられた。うちも一発いいのを喰らった後、壁に投げつけられて、アバラをやられたんだ。初めては痛いっていうけど、そんな感じ。で、まあ、ちょっとやりあって重傷を与えたんだけど、こっちは逃げるのが手一杯で、あっちも逃げていったということさね」

「恐ろしい殺人鬼でした。ただ、母から伝え聞いた話では、合衆国にはこの手の信じがたい化け物めいた殺人鬼がたびたび現われるそうです。FBIは、この類の殺人鬼を〈殺人現象フェノメノン〉と呼んでいて、これまで三十件ほど報告されています。まだ、未確認ですが、南部には他人の夢の中に現われて人殺しをする〈殺人現象〉の噂もあるほどです」

「―――アメリカ、凄いな」

「……妖怪だらけの日本と比べてもちょっと危なすぎるね」

「だから、うちが招聘されたというわけだよ。別に、ハリウッド映画にスカウトされたんじゃないのは内緒だけどさ」


 アメリカの怪奇事件に妖魅絡みのものがあるとは聞いていたけど、なかなか二の句が継げないレベルだった。

 さすがは犯罪大国というべきかも。


「〈J〉はその〈殺人現象〉の中でもトップクラスの凶悪さと言われています。そんなものを外国、しかも同盟国に逃がしたとなるとFBIの責任も問われかねない問題なのです」


 FBIがこの二人だけを派遣した理由もわかった。

 しかし、いつも思うけど、世の中はとんでもない危険に満ちているね。

 もうすぐ目的地に到着する寸前、


「ちょっといいですか」


 プリウスαが制服姿の警察官に呼び止められた。

 ヴァネッサさんが窓を開ける。

 警察官は金髪の外国人の彼女を見てわずかにたじろいだ。


「……何か?」

「あ、日本語が出来るのか。よかった。えっと、ここから先はしばらく道路を封鎖することになりましてね。少し先にスペースがありますので、警察官の指示に従ってUターンをお願いします」


 ああ、検問か。

 しかも、この調子だと、僕たちと同じものを追っているのだろう。

 道端にパトカーが停まっていて、二人の警察官が立っていた。


「これで、いいですか?」 


 ヴァネッサさんが何かしら英語で書かれた書類を示す。

 おそらくは捜査協力要請書みたいなものなのだろうが、和訳は用意できなかったらしい。

 だから、警察官は訝し気になった。


「読めないんですよね。えっと、どういう事情かは知りませんが、ここから先は危険でして、お引き取り願いたいんです」

「私はFBIとして、ここを通過させることを要求します」

「FBIとか、そんなものを出されても困るんですよ。さ、お引き取りください」


 言葉は穏やかだが、口調はかなり辛らつだ。

 FBIと聞いてバカにしたような顔つきをしたので、信じていないのだろう。

 運転しているヴァネッサさんだけならともかく、助手席と後部座席の僕らをみると信じられないのも無理はない。

 とはいえ、悠長に説得をしている時間はなさそうだ。

 一人ぐらいここに残って話をしている間に強行突破してもらうか。

 僕が車から降りようとするより前に、別の人物がすでに出ていった後だった。


「ヴァネッサ、或子ちゃん、先にいってて。まあ、〈J〉にはリベンジしたいけど、うちとあいつは相性悪いしね。今回は頼むよ」


 そういうと、パンクロッカー風の美少女はぬるぬるとした歩き方で警察官の前に立った。


「あんたたち、警官なんだから


 不敵な笑みを浮かべながら。



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