第205話「ヴァネッサ・レベッカ・スターリング」



 手渡されたのは、プリントされた新聞記事だった。

 三日前のものだ。

 僕らがさっきまでいた成田空港で遺体が発見されたという事件のものである。

 ニューヨークからのジャンボジェット機の着陸の際に使うラィンデングギアの格納部に隠れて密航しようとしていた男性が、温度差によって凍死していたというものだ。

 映画やアニメならばともかく普通そんなことをしたら死んでしまうだろう。

 実際に、遺体で見つかって人はそのせいで死んでしまったのだから。


「これがどうしたんだい?」

「私たちの目的はそれなのです」

「うちの目的はヴァネッサと旅行することなんだけどね。婚前旅行だよ、んふふ」


 それってどういう意味なのだ。


「新聞記事にはなっていませんが、この発見された死体は行方不明になっています。今、千葉県警が探していますが、おそらく見つからないでしょう」

「死体が盗まれたってことですか?」

「いいえ。盗まれた訳ではないです」

「じゃあ、どうなったんだ」

「―――マジですか?」

「はい。それを裏付ける証言として、空港で遺体発見した整備士が実際に動き出すところを目撃しています。その時は格納部から出てきた時点で止まったようですが、遺体安置所でもう一度動き出したと考えるべきでしょう」


 ……凍死したはずの密航者が甦って歩き出したというのだろうか。

 かつて音子さんが倒した〈殭尸(きょんしー)〉のことを思い出した。

 もしくは有名なゾンビーか。


「なるほどね。だから、そいつの捜査のためにキミが来たのか。FBIの仕事という訳だね」

「その死にそうな状態からでも生き返るタフな人は、何をしたんですか?」

「いえ、升麻さん。彼はあり得ないほどタフなのではありません。彼は、死んでも生き返ることができるだけなのです」

「……えっ」

「我々は、彼のことを「歩く死人デッドマン・ウォーキング」、本名はジェシー・ジェラルド―――〈J〉と呼んでいます。何度殺しても死なない不死身の殺人鬼です」


 殺されても死なないって……


「〈J〉はこれまでに確認されているだけで、七回は殺されています。殺したのは、襲われた被害者であったり、警官であったり、軍人であったりと多彩ですが、その度に〈J〉は甦り、また同じような殺人事件を引き起こし続けました。〈J〉による殺人の数は三桁を越えているでしょう」

「凄いな……」

「元々ニュージャージー州で活動していたのですが、ある時からニューヨークに拠点を変えて、そこでも殺人を繰り返しています。私は〈J〉の捜査を、相棒バディとして皐月とともに行っていました」

「えっへん。あ、巨乳が邪魔になって張れないや」


 皐月さん、御子内さんよりも胸ないよね。


「私がこの年でFBI捜査官として働けているのは、母からもらった性質のためです。例の殺人鬼を惹きつけてしまうフェロモンを使って、闇に潜んだやつらを引っ張りだすのが仕事です。そして、〈J〉を誘いだすことにも成功しました。でも……」

「でも?」

「私たちは〈J〉を取り逃がしてしまいました。しかも、ニューヨーク空港の付近だったこともあり、飛行機による逃亡を許すという失態でした。さらに言うと、どの便に乗ったのか特定できず、成田の件を知るのにも時間を掛けてしまいました」

「つまり、今、日本にその不死身の殺人鬼がいるということだね」

「はい。その捜査のために私がきました。ただ、様々な事情から日本にFBIとして入国できるのは私と、元々〈社務所〉の人間である皐月だけとなってしまいました」


 そうか。

 そうつながるのか。


「或子さんには、〈J〉捜索の間の私たちの護衛をお願いしたいのです」

「……その不死身の殺人鬼というのは、妖魅に属するものと解していいんだね? それならばボクの出番だ。ただ、皐月がいるのにボクが必要というのがよくわからない」

「んー、3Pをしたい訳じゃないんだよね。升麻くんもいるから、4Pになっちゃうし。乱交は趣味じゃないんだよ」

「皐月」


 さすがにふざけている場合でないと思ったのか、皐月さんは頬を指で掻いた。


「……〈J〉はうちと相性が悪いんスよね」

「どういう意味だい?」

「あいつ、殺気がないんだよね。たいていの殺人鬼にはある、あの気持ち悪い色が。あれが視えないと、うちはちょっと可愛いだけのパンクロッカーだからさあ」


 パンクでもロックでもなさそうだけど、とりあえずこの女の子にしては落ち込んでいることがわかった。

 その〈J〉を取り逃がしたということを気にしているのだろう。

 お茶らけているようだけど、誇り高い人だということはわかる。

 ただ、という言葉の意味は不明だ。


刹彌流柔さつみりゅうやわらが効かないということかい?」

「うん。おかげで襲撃されたときに、ヴァネッサのお母さんに怪我させちゃってね……。魅惑の人妻だったんだけど」

「しくじったね。ただ、キミがいて護衛が必要な理由がわかったよ。ボクの仕事は皐月の護衛も兼ねてということなんだ」

「まあねぇ。さすがに殺気が視えないなんて考えたこともなかったから、どうしても動きと判断が鈍くなっちゃうんだ」

「了解」


 御子内さんはすべてを理解したようだ。


「……その〈J〉は日本の何処にいると思う?」

「おそらくそんなに遠くには行っていないはずです。それに、私が来ましたから、きっとこのあたりに戻ってきます。あいつにとって、私と母みたいなスターリング家の女は天上の甘露に等しいですから、感じ取っただけで近づいてくるんです。お願いです。あいつが日本で殺しを始めるまでにとめたいんです!」


 この人にそこまでの餌的魅力があるとは……、また凄い家系もあったもんだ。

 でも、四六時中そんな殺人鬼を惹きつけてしまうんじゃ、普通の生活はしづらいだろうな。

 だから、事件と背中合わせのFBIに所属するしかないのか。

 本当に同情を禁じ得ない。

 御子内さんも同じ気持ちだったのだろう。

 ヴァネッサさんの肩を軽く叩いた。


「……その殺人鬼を倒せばいいんだろ。簡単なことさ」

「でも、相手は不死身で……」

「不死身? 京一、それは無敵ってことかい?」


 聞かれたので、素直に答える。


「不死身だからといって最強って訳じゃないと思うよ。僕が知る限り最強なのは―――」


 御子内さんは胸を張った。


「そう。―――ボクさ」


 この最強の巫女レスラーがたかが不死身程度の殺人鬼に負けることなどありはしないのだ。

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