第204話「スターリング家の女」
「おい、ちょっと来てくれ!!」
成田空港のベテラン整備士である前田健作は、自分たちの班の受け持ちとされたボーイング777-200型の主脚ハッチを開けた途端、まずいものを発見してしまった。
整備のための豆電球がついているだけの薄暗い内部でも、普段とは様子が違うことに気が付くのは簡単だ。
それだけ前田は長く整備の仕事に従事しているのだ。
「どうした、マエケン」
班長と同僚たちが手を休めてやってきた。
「まだ、いくつも受け持ちは残ってんだぜ。とっと終わらせたいんだ。何があったんだ?」
当然の愚痴をきかされたが、前田としてはそんなことを言っていられる状態ではなかった。
「いや、どのみち遅れるぜ。今日は徹夜させられっかもしれねえぞ」
「なんだ、そりゃあ」
「マエケン、馬鹿言ってんじゃねえよ」
前田は自分の予想が間違ってはいないだろうと自信を持っていた。
だから、ちょいちょいとハッチの中を指さした。
「見りゃあわかる」
「なんだと」
促されて内部を覗き込んだ整備士たちは、「マジか!?」と口々に叫んだ。
「……どうするんですか、これ?」
前田の問いに、班長は嫌そうに答えた。
「空港事務所に連絡して、警察と救急車を呼んでもらえ。救急車は多分、いらねえと思うがな。どう見ても凍っちまっている」
「ですよね」
「マズったなあ。このホトケさんを撤去してから整備するとなると、随分と時間がかかるぞ。下手したらフライトレコーダーのチェックもいるだろうしよ」
彼らの嘆きも当然である。
ついさっき到着したばかりのジャンボ機の主脚ハッチの隅に、脚を抱え込みながら体育座りのように丸まっていた人間の姿があったからだ。
明らかに飛行機を使った密航者だった。
しかも、Tシャツとジーンズという軽装だった。
防寒機能など絶対にありえない。
格納されていた脚が出て、整備倉庫に入っているのに逃げ出そうとしないあたり、もうとうの昔に死んでいることは確かである。
国際線の飛行機は高度にして一万メートルを行くから、気温はマイナス40から50度、空気も三分の一にまで減少する。
しかも格納部は与圧されないから、酸素は不足になるしかない。
高度があがる途中で低酸素によって意識を失うか、もしくは低温で凍死するのが通常であった。
この死体の死因もそうだろう。
「こいつ、どこから来たんだ」
「ニューヨークっす」
「じゃあ、助からねえな。無茶な真似しやがって」
班長は今日の整備スケジュールの記されたファイルを手にして、これからの予定の変更を考え出した。
リスケしなければ絶対に終わることがない。
成田のような大空港は生き物と同じだ。
途中で呼吸を止めたら全身まで死んでしまう。
不可抗力なんて空港のお偉方は認めてくれないのだ。
さっさと仕事に取り掛かるしかない。
「……よし、こいつは県警がくるまで後回しだ。先に、ロスからきたのをやっちまうぞ」
と、指示をだしたとき、まだ格納部を見ていた前田が叫んだ。
「は、班長!!」
「なんだ、マエケン。仕事だ、仕事!」
「う、動いてる! 動いているぞ!」
どさっと尻もちをついた前田の横に同僚たちが駆け寄る。
「どうした!?」
「死体が、死体が、動いている!!」
「はあ、何を言ってんだ、おまえ……」
「本当だって! 動いているんだよ!」
揶揄われてんじゃないかと、格納部に顔を突っ込んだ同僚の動きが止まった。
「マ、マジかよ……」
同僚も見た。
格納部の隅っこで足を伸ばして立ち上がろうとする死体の姿を。
どう見ても生きている!
「―――そんな馬鹿な……」
マイナス50度、空気三分の一の世界を何時間も体験して生きているはずはないというのに、その密航者は間違いなく命があって動いているのであった……
◇◆◇
○×日午後2時10分ごろ、成田国際空港に到着したニューヨーク発のデルタ航空60便(ボーイング777-200型、乗員乗客192人)の機体の主脚格納部で、整備士が白人男性の遺体を発見した。全身に凍傷の跡があり、密航目的で乗り込み凍死した可能性が高いとみて、千葉県警成田空港署が身元や死因を調べている。
国土交通省成田空港事務所によると、同機は成田に午後2時40分ごろ着陸。乗客を降ろし約800メートル離れた貨物地区へ移動後、整備士が格納部の扉の内側で遺体を発見した。
同署によると、目立った外傷はないが、上空でできたとみられる凍傷の跡が全身にあった。
格納部は機内から立ち入れず、地上からタイヤをよじ登ったとみられる。同機は米国発着の国際線に使われている。成田空港署は米国ではテロ対策で空港が厳重に警備されていることから、米国以外で乗り込んだとみて機体の運用スケジュールなどを調べている。
主脚格納部は人間が隠れるためのスペースがあるとされているが、客室と異なり与圧されず、巡航高度の約1万メートルでは氷点下50度にもなり、乗り込んだ密航者が酸素不足や低温で死亡し、空港で遺体として見つかるケースは珍しくない。成田では03年3月に香港からの、10年2月に同じニューヨークからの到着便で遺体が見つかっている……
◇◆◇
空港の隣に用意されたホテルに辿り着くと、僕たちは皐月さんたちの部屋に集まった。
かなり上等な部類の部屋で、ツインのベッドが高級っぽい。
客人の僕らがくつろげるスペースもあったりして、一泊二万円はしそうな気がする。
「安心してください。私たちの滞在費用はFBIが負担します」
「へえ」
ヴァネッサさんの言うことで別に安心はしないけど、彼女の身の回りの費用がどこからでているかわかっただけでもいいか。
「皐月は実家に帰らないのかい」
「うちの親父、たぶん、関東にはいないから戻る場所もないんだ。道場は一番弟子が継いでるみたいだし、うちが行ける宛があるとしたら以前世話をした女の子たちの家ぐらいしかないんだよね」
「おじさん、どこに行ったんだ?」
「さあ。今の時期だと、シリアあたりじゃないかな」
……また物騒なところにいるんだね、皐月さんのお父さんは。
「よし、一応、食事も用意してあるし、それでも摘まみながら皐月の話を聞こうか。終わったら、ボクは帰る、京一とね!」
「いや、御子内さん。君の仕事はヴァネッサさんの護衛だって……」
「だって、皐月がいるんだよ。こいつの方が適任なんだからさ。―――いや、待てよ。どうして、ヴァネッサの護衛がボクらなんだ? 皐月のことにムカついてばかりで深く考えたりしてなかったけど、どうしてもおかしいだろ」
ようやく気が付いたんだ。
そんなに皐月さんが嫌いなのかというツッコミもあるけど、御子内さんはたまにおバカになるからなあ。
僕が思いついた疑問点を並べると、こうなる。
1、ヴァネッサさんはどうして日本に来たのか。
2、なぜ、日本に来るのに護衛が必要なのか
3、なぜ、護衛に妖魅関係の専門家である退魔巫女が必要なのか
4、刹彌皐月という凄腕がいるのに、どうして御子内或子が選ばれたのか
護衛が必要な理由は、ヴァネッサさんの正体がわかればわかるかもしれないが、今のところ僕らと同い年だということしかわかっていない。
そこのところをまず解き明かすべきかな。
「私は―――というか、私の母と一緒にFBIで捜査官をやっています。母どころか、祖母も、そのまた母も、五代ほど遡ってもずっと犯罪捜査に携わっていました」
「それは……凄いね」
こちらから促さずとも、ヴァネッサさんの方から説明を始めてくれた。
ただ、その内容は一筋縄ではいかないものだったけど。
「はい」
「警察一族ということなのかな」
「いいえ、父は違います。祖父も、普通の人でした。母というか、一族の女だけが警察の仕事につくんです」
「珍しいですね。普通は逆っぽいのに。あ、別に男女差別とかじゃないですよ」
一族で女性だけが警察官になるというのは日本でだって珍しいとは思う。
「ヴァネッサさんのところは犯罪捜査に才能があるのかもね。僕の家もFPSには才能があるみたいに」
「家業みたいなものかな」
ところが、ヴァネッサさんは顔を曇らせて、辛そうに、
「違います。私たちの家系の女が警察に勤めているのは、もともと公権力に保護してもらうためなのです。さらにいうと、警察、それも身元のしっかりしたものばかりが集められたFBIでなければならないという事情があるのです」
「……どういうことだい?」
ヴァネッサさんはカバンの中から、一冊の分厚いファイルを取り出した。
「私を今まで狙ってきた殺人鬼たちの資料です。全員、射殺されているか、刑務所に終身刑で入っています」
「……キミを狙って?」
「はい。私の家系―――スターリング家の女は、例外なく、異常な殺意を抱いて殺人を繰り返す悪魔たちに執拗に狙われる運命に呪われているのです」
呪われているという、はっきりとした断定だった。
「私の母国アメリカは、ある意味では殺人鬼の本場と言えるかもしれません。『サムの息子』デビッド・バーコウィッツ、『ナイト・ストーカー』リチャード・ラミレス、『ミルウォーキーの食人鬼』ジェフリー・ダーマー、有名無名を問わず、危険な殺人鬼たちは枚挙にいとまがありません」
「ボクでも知っている名前ばかりだね」
「ええ。あまり知られていませんが、アメリカには未確認のレコード・ホルダークラスの殺人鬼がまだまだ存在して、FBIは常にそれを追っている状態です。私たちスターリングの女がFBIに入るのは、保護してもらうだけでなく囮役をも兼ねているのです。私たちは、普通の暮らしをしているだけで、彼ら殺人鬼を惹きつけてしまうから、それならば囮役になって役に立とうということになったのですね」
不思議な話だった。
殺人鬼を惹きつけてしまう家系。しかも、女性のみ。
そんなことがあるものだろうか。
「……理由はわかりません。フェロモンみたいなものがあるのか、ただの呪いなのか、遺伝子レベルの話なのか、まったくです。ただ、私もこの年になるまでに五人の殺人鬼に狙われた経験から、母たちの言うことに間違いはないと確信しています」
「五人……それは多いですね」
「母は成人するまでに七人と一つのカルトに襲われたそうなので、私はまだマシな方みたいですよ」
さすがに絶句した。
いくらなんでも苛酷すぎる半生ではないだろうか。
ただ、ヴァネッサさん自身はそこまで深刻には捉えていないらしい。
馴れというのは恐ろしいものだ。
「ただ、殺人鬼に目をつけられやすいというのは、それは……まともな人間の範疇だけではないのです」
「どういうことだい?」
「私の祖母は、母を産んですぐに殺されました。現役のFBI捜査官でしたが、ある事件を調査中に、とても人間業とは思えない殺され方で」
ヴァネッサさんは息を吐いた。
「アメリカにはこの国で妖魅と呼ばれている存在のように、人を殺す人外の怪物が蠢いているのです。そして、そいつらも私を……スターリング家の女をずっと狙い続けているのです」
「なるほどね。皐月がアメリカに招かれた訳がわかったよ。アメリカ人では始末できない怪物相手ということか」
「はい」
「そうなんだよ、アメリカ人には微乳の価値がよくわからなっていないから、それを布教するためにうちが招聘されたんだよ。うちは微乳の専門家、ベスト・ビニューニストだからさ!!」
「―――キミ、ちょっと黙れ」
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