第201話「いい男の見分け方」
御子内さんの足癖が悪いのはよくわかっている。
彼女の脚は変幻自在に動き、時には回転し、時には剣のように伸びた。
身長157センチの小柄な身体に似合わない、彼女のダイナミックな蹴り技は、延髄切りやクラックシュートとして多くの妖怪を退治して来た。
だが、そんな彼女のお株を奪う蹴り技の使い手がいた。
バニーガールに似た姿をした妖怪〈犰〉は、おそらく身長は175センチ(僕よりも5センチほど高い)だが、そのうち脚の占める割合は半分以上。
股下からの脚の長さはおそらく80センチほどはあるだろう。
その足が容赦なく御子内さんに対して振られるのだ。
小柄な御子内さんが遠心力をつけるために、身体を鞭のようにしならせ、捻るのに対して、〈犰〉の蹴りはまっすぐに一文字に孤を描く。
御子内さんの剣と比較すると、まさに槍だ。
武器としての使い方でいうならば、剣と槍の違いというのがまさにぴったりとくる。
しかも、恐ろしいことに〈犰〉の蹴りには一切の溜めがない。
ぐっと接近したかと思うと、致命的なまでに鋭い一撃が縦横無尽に襲い掛かってくるのだ。
そして、時には上体をターンさせての後ろ回し蹴り。
これの射程距離は他を軽く上回る。
数歩の距離を置いた御子内さんの胸元に刺さってくるのであった。
一方で手はほとんど使わない。
全身のバランスをとるための棒扱いでしかないようなので、もし懐にでも入り込まれた一巻の終わりのように視えるというのに、まったく意に介していない。
人間のように格闘技の訓練を受けたのではなく、妖怪としての本能だけで戦っているというのがそれでわかる。
技に意図がなく、思考がなく、思想がないからだ。
ただ、その分だけ妖怪の戦い方は読めない。
多くの力任せで、最後に秘儀を見せるだけの妖怪と違って、技を使ってくるだけでも恐ろしい相手だった。
「くっ!!」
空中で三段蹴りをすることができる御子内さんが跳ぼうとした瞬間、地の底からロケットのように発射された前蹴りがそれを押さえる。
タイミングを狂わされては、高度な技は不発に終わる。
ただの飛び回し蹴りとなった一発を躱され、再び、後ろ回し蹴りが突き刺さった。
足だけしか使わない敵に対して、御子内さんは決定機をまったくつかめない。
見た目は巫女対バニーガール。
だが、当たれば大の大人でも気絶しかねない暴風のような蹴りと蹴りの嵐の中に一人と一匹は踏ん張っていた。
かすかに当たるのは〈犰〉のものだけで、御子内さんのものは一発たりともヒットしない。
あの御子内さんが一矢も報いずにやられそうな嫌な気配が漂い出す。
いくらなんでもこのままでは勝てない。
『坊ちゃん、あの人間、逃げようとしていますよ。助ける?』
「ん?」
見てみると、阪井がこっちの出口に這いずりながら近づいてくる。
さすがに〈犰〉の注意を引かないようにじっくりと動いているのが、たいしたものだと思った。
普通ならば恐怖のために走り出してきそうなものなのに。
と思ったら、どうも腰を押さえているので、突発性のぎっくり腰か何かになっているようだ。
しかも、自分の取り巻き達が〈犰〉にやられて失神していて動けないというのに声をかけたりする素振りもない。
自分だけが助かろうとしているのだ。
やっぱりその程度か……
〈犰〉の方はさすがに御子内さんと闘っていてはそちらに気を割く余裕もなさそうなので、あと少ししたら阪井はここまで辿り着いて、逃げ切れるだろう。
妖怪の目標は阪井だ。
発言からすると、ここまで来た〈犰〉に対してきっと阪井たちが悪さをしたのだろう。
裏切ったと断言するほどの何かを。
「まあ、想像はできるけどね」
ガリバーというインカレサークルの悪評を調べていた僕には、こいつらが何をしたかなんて一目瞭然だ。
きっと、アルコールを飲ませて筆舌に尽くしがたいことをしようとしたのだろう。
いつものように。
誰かを騙して。
〈犰〉もある意味では自業自得だ。
カチカチ山のお伽噺でタヌキを騙したみたいに、彼女もまた騙されたのだ。
奸計に長けて、策を弄するウサギが自分がやられたからといって暴力に走るというのはヒステリー以外のなにものでもないけれど。
その嵐のようなヒステリーを、一人で黙って受け止めている御子内さんを助けないとならない。
「―――あんなのでも人だから助けないといけないんだよね」
『そうなの、坊ちゃん』
「らしいよ」
僕は明慶大の食堂で昼間からわいせつな行為をしていた阪井を思い出す。
あの調子で多くの女性を泣かせてきたんだろうな。
顔がいいだけで、心は鬼畜なのだ。
そうなると、あんまり心は痛まないな。
妖怪に売り飛ばしたとしても。
僕は這いずり回る阪井の元に近づき、その顔を踏んづけた。
ぐぴゅっとか鳴いて蛙みたいだ。
「えっと、〈犰〉さん! こっちを見て! あなたの探している男は僕の足元にいるよ」
『な、坊ちゃん!』
ソウコさんが驚いて僕の裾をまた引っ張った。
気のいい彼女は僕を止めようとしているのだ。
それを無視して、
「こっちを見ろ!!」
〈犰〉がこちらに視線を送った。
血走った獣の眼をしていた。
僕の部屋での陽気そうなお姉さんの面影はどこにもない。
だから、僕に踏みつぶされた蛙を目に留めると、躊躇いもなく突っ込んできた。
速い。
あまりに速かった。
僕の前にやってきて。
脚が振られ。
その甲が。
僕の腹筋を。
貫く―――
寸前。
「ボクの京一に手を出すなよ」
御子内さんが背中からがっちりと〈犰〉の片手と顎をとり、自分の両手を掴む、チキン・ウイング・フェイス・ロックを極めていた。
かつて佐山聡が得意とし、梶原年男が金星を挙げた必殺技である。
完璧に極めれば柔道家でも逃げられないのだから、多彩で打撃力のある蹴りだけで戦っていた野生の妖怪では絶対に外せない。
しかも、御子内さんはそのまま後方に投げて堅い床に叩き付ける。
いかにタフな妖怪でもこれは効く。
さらに、力と共に肘を絞めた。
数秒後、バタバタと激しく動かしていた脚が止まった。
絞め落としたのだ。
白目を剥き、舌を突き出したおっかない形相のまま床に伏せた〈犰〉はもうピクリとも動かなかった。
「やったの?」
「まあね。―――でも、ボクのために隙を作ろうとしてくれたのは嬉しいけど、危険の度が過ぎる。こいつに蹴られたら一般人なら即死だよ」
「ごめん。でも、〈護摩台〉もない君をサポートするにはそれしか浮かばなかった」
やはり無茶をしたことを咎められた。
退魔巫女はそういうところが厳しい。
素人に手を出すなとは言わないけれど、馬鹿な行動には必ず叱咤がくる。
でも、僕は彼女を護れたのだからそれで満足だった。
「まったく、京一のそういうところはカッコいいけど、もう少し自重してくれ」
「そうする」
御子内さんはもう動かない〈犰〉を担ぎ上げる。
意識がないから相当重いだろうに楽々といった感じだ。
それから、僕が未だに踏んづけている阪井に吐き捨てるように言った。
「キミがしていたこと、このガリバーというサークルで行われていた破廉恥な振る舞いについてはもう当局に通報しておいたから、明日にも司法官憲が動くと思う。それまで震えて待っていることだね」
「……な、なんだって……」
「これまでどれだけの女の子を泣かせて苦しめたかは知らないけれど、やったことの後始末は自分で受けるべきだと思うよ。〈犰〉がキミを殺さなかったのはただの偶然。自分のやったことが、これからキミを殺すんだ。それが因果応報ってやつさ。ま、ボクは仏教徒じゃないけれど」
僕たちは、ソウコさんが調べておいてくれた裏口からコソコソと逃げ出した。
あそこにこれ以上留まっていたら別のトラブルに巻き込まれかねないから。
御子内さんが肩に担いでいるウサギの妖怪はまだ目を覚まさない。
「―――まったく、河口湖でどんな甘い言葉に騙されて口説かれたかは知らないけど、顔だけで男に惚れるからこんなことになるんだよ」
「そうなの?」
「ウサギって大して目は良くないんだけど、それを除いても見る目さえもなかったってことさ。間抜けで不細工なタヌキは泥舟で沈ませるほど嫌うけど、いい男の翁に好かれるためならどんな策略でも実行するというバイタリティーは結局、そういう顔でしか判断しない子供っぽさに行きつくんだろう」
「……女の子って視覚だけで判断するっていうよね」
「ああ。男の本質に気づかない、なんというか乙女の潔癖さと残酷さが凝縮したのが、この〈犰〉なのさ」
そう考えると、カチカチ山って少女と呼べる年頃の女性が原因の酷い愛憎劇のように聞こえてくる。
あのお伽噺の残酷さってのは、男女間の恋愛の残酷さなのかもしれない。
だから、あんなにも生々しいのかもね。
「……男は顔じゃないと思うんだけど」
男の端に連なるものとして、ちょっとだけ抗議したい気分だった。
ただ、御子内さんがいきなりそっぽを向いて、
「ボクは女のために身体を張れるような男を選ぶから問題はないんだけどね」
と、ぶっきらぼうに呟いた。
「それは立派な考えだね」
素直に、正直に、本当に心から御子内さんの考えを褒めたというのに、思いっきりお尻を蹴られたことだけは何故だかよくわからない……
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