第200話「御子内或子は正義の巫女である」



 タヌキという生き物は、実は東京都に多く棲みついていて、ある意味では東京都の象徴ともいえる。

 しかし、一般の人は自分の周囲にタヌキが棲んでいるということをまず知らない。

 なぜなら、タヌキは夜行性でありほとんど昼間は姿を現さない。

 また、移動の際は道の側溝や細すぎる路地を使い、巣を作るのは人のいない神社や空き家の屋根裏という徹底ぶりで、人が目にする機会が極端に少ないのだ。

 さらにいうと、雑食性で残飯から虫、植物までどんなものでも食べるので餌に不自由しないということもある。

 だから、千代田区の都会的な空間にさえ、タヌキが潜んでいるのだ。

 僕たちが〈犰〉の見張りを頼んだタヌキはそういう特技を生かして、人のごった返すクラブの中でも容易く追跡をしていた。

 こちらに見取り図なんかを書いて転送してくるぐらいは簡単だそうだ。

 タヌキが〈犰〉の美貌に弱いということも考えて、選ばれたのはわりと年増の雌タヌキだったが、有能さと言うことではなかなか比類ないものがあると思う。

 すでにパーティーもたけなわだったらしく、アルコールでふらふらになった参加者たちをかき分け、巫女装束のまま御子内さんが内部に突っ込んだ。

 入口で受付をしていた係は、好みの女の子との会話に夢中で、風のように侵入していった御子内さんに気付くのが遅れた。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 声をかけたが、すでに彼女の背中はない。

 どうすべきかとあたふたしているので、僕は勢いよく話しかけた。


「おれが様子を見てくるから、おまえは受付を続けてくれ!」


 一人称で「おれ」なんて使ったことないけど、馴れた感じで親し気にいえば仲間だと誤解してくれるだろう。


「お、おお、頼むわ!」

「阪井さんに黙っといてやるよ」

「わりい!」


 受付を騙して、僕はそのままクラブに入った。

 御子内さんは幹部たちの個室に向かったはずだ。

 個室は奥の中二階にあって、本来ならバンドなどの控室兼用具置き場になっているスペースだ。

 ホールからは少し離れているが、僕たちが調べた噂通りなら、アルコールで前後不覚になっている女の人を連れ込むためにはちょうどいい場所だ。

 壁に寄りかかって男女が抱き合いながらキスをしたりしていた。

 邪魔な上に、ちょっと目の毒だ。

 御子内さんが通り抜けたことにも気づいていないぐらい熱中しているようだった。


「まったく、ふしだらだなあ」


 そんな感想を抱いた時、


「うわああああ!!」


 という叫びが聞こえた。

 僕の進行方向だ。

 やっぱり、何かが始まっているみたい。

 あまり人気のないところにつくと、パンツの裾を引っ張られた。


『坊ちゃん、坊ちゃん!!』

「あ、ソウコさん! 何があったんですか!」


 僕を引き留めたのは、スマホを持った体長一メートルほどの雌のタヌキだった。

 密偵をお願いしておいた、〈狸のソウコ〉さんだ。

 幻法に通じ、機転も利くのでこういうときにはうってつけのタヌキだと推薦されている。

 ソウコさんは僕を見て、


『ヤバいよ。あの淫乱ビッチのウサギの奴、気が触れたみたいに暴れ出したんだよ!』

「まさか!? どうして?」

『わかるもんかい。もう、すんごい形相でさ。悪鬼羅刹みたいだったよ!! もお、あたしゃあ飛んで逃げてきたよ』

「……御子内さんは?」

『戦巫女の嬢ちゃんなら、すぐに部屋の中に突っ込んでいって、あいつとやり合いはじめた。あたしゃあ、腰が抜けそうになったよ。なんだい、あの人間は!! 妖怪と素手でやり合うなんて尋常じゃないよ!!』


 唾を撒き散らしながらタヌキがくっちゃべる。

 口調が下町のおばちゃんなので、なんともユーモラスだ。

 実際、かなり年を経た雌のタヌキなのでおばちゃんといってもいい。


「部屋の中ってことは、例のガリバーの幹部たちはどうなったの?」

『あいつが暴れ出したときには、ほとんど殴り飛ばされたあとだったけど……。完全にのびてた。命があるだけでもめっけもんだね、ありゃあ』

「そっか。まだ無事か」


 犠牲者はまだでていない、と。

 御子内さんが間に合ったみたいだ。


「ありがとう。僕は行くよ」

『ちょっとお待ち! 坊ちゃんはただの人間だろ? あの淫乱ウサギのことは巫女の嬢ちゃんに任せておけばいいじゃないか! 無茶をすることはないわよ!』


 心配されてしまった。

 でも、そうはいかないんだ。


「普通ならね。でも、今の御子内さんは〈護摩台〉の加護がない状態だ。場外乱闘をしているのだから、いざというときのためにサポートしてあげないとならない。僕は彼女の助手で相棒なんだよ」


 できる限り、優しく言うと、ソウコさんは裾を掴んでいて前肢を離してくれた。


『あたしも行くよ。もともと、これはあたしらタヌキの問題だからね。あんたの身は嬢ちゃんに革ってたしが護るよ』

「ありがとう」


 ソウコさんの漢気に感謝してから、僕らは連れ立って奥に向かった。

 狭い通路を抜けると、すぐに激しい破壊音のする部屋の前に辿り着く。

 ドアは開けっ放しだ。

 そっと覗きこんでみると、やはり予想通りに御子内さんと〈犰〉の戦いが始まっていた。



        ◇◆◇



 室内に飛び込んだ或子は、一切の思考を放棄して中央に立つバニーガール姿の〈犰〉目掛けて飛び蹴りを放った。

 仔細を確認している暇はない。

 ここに来る途中に耳にした鈍い破壊音と悲鳴だけで、内部の惨状は理解していた。

 妖怪が暴れているのだ。

 しかも、その妖怪〈犰〉はつい先日或子の奇襲の拳を受けきり、あまつさえ反撃のカウンターを仕掛けてきた相手だった。

 つまり、戦闘能力については折り紙付きの危険な妖怪だ。

 現場についてからの判断では遅すぎる。

 だから、一気に仕掛けたのだ。

 だが、或子の渾身の跳び蹴りは〈犰〉の左手によって容易く止められた。

 直立不動のまま、身じろぎさえもしない。

 とんぼを切って着地し、いつもの構えをとる。

 しかし、遅い。

 横殴りの回し蹴りが或子の腹筋を捉えた。

 咄嗟に肘と膝でクロスして防御したが衝撃は捉えきれず、そのまま壁際まで吹き飛ばされた。

 通常でも60~80キロの速度で走れるというウサギの脚力がキックという攻撃に向けられれば、ただの人間のものを上回るのは間違いない。

 世界最速のコサイン・ボルトでさえ、時速では40キロに満たないのだ。

 ただし、追撃はなかった。

〈犰〉の関心のすべては隅で震えているハンサムに向けられているようだった。

 或子はようやく周囲を観察する余裕を得た。

 妖怪はすぐには動かない様子だったからだ。

 眼球だけを動かすと、部屋のあちこちに男たちが呻いている。

 痛みで気絶しているようだった。


(やったのは、あのウサギか。殺していないだけよしとしよう。でも、あいつの殺気からすると阪井の命はかなり風前の灯火ってところみたいだね)


 或子は体勢を整える。

〈護摩台〉の結界のない場所で、あれほどの敵とやりあうのは無謀としかいいようがない。

 ウサギのキャラクター性に相応しくないあの格闘力も問題だ。

 少なくとも或子の不意打ちの蹴りを片手で弾く相手なのだから。

 だが、仕方ない。

 あそこで震えているハンサムがどんなことをして〈犰〉を怒らせたかは想像できるが、人に害なす妖怪を退治するのは退魔巫女の使命なのだ。


『阪井……私、あなたの言葉を信じていたのに……騙したのね……』

「ひぃ、ば、バケモノ!! た、助けてくれ……」

『酷いじゃない。私がどんな悪いことをしたっていうの……。あなたの言葉を信じただけなのに……裏切られて……。あんな優しいことをいって、私を好きにさせて……それなのに……捨てるのね』

「ば、バケモノ―――」

『まだ私を傷つけるのね……。酷い男、恨んでやる……。ついでに殺してあげるわ……。可愛い私を裏切った報いを受けさせてあげる』


 バニーガールと見えたのは、〈犰〉の全身に黒い毛が生えていたからだ。

 それが斑のバニースーツに見えていたようだった。

〈犰〉の口が耳元まで裂けて、牙のような歯が生えている。

 眼はウサギらしく真っ赤であり、皺が寄った皮膚は金属のように光っていた。

 ただ、尻尾だけは丸いものではなく、自在に動き回る蛇のそれにだということが異常であった。

 妖怪〈犰〉―――歳経たウサギが化けるもの。


「ぴょんぴょんしてればいいってもんじゃないよ」


 勝利するためのビジョンはない。

 全力で戦うしか道はない。


「……その顔だけの錦鯉を殺させる訳にはいかないんだよね。こう見えてもボクは……」


 或子は構えをとる。


「民草を護る、媛巫女なんでね」


 そして、突っかけた。


「正義のためなら鬼にでもなれるのさ!!」

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