第199話「ウサギとタヌキ」



 ノリ。


 ある年代、ある環境、ある状況においては、その言葉が金科玉条のように重んじられることがある。

 ノリが悪ければ、悪。

 ノリに置いていかれるのは、悪。

 大切なのはその場の空気を読んで、追随することであり、ノリに乗り切れないものは排斥されて当然、となる。

 それが極限まで発揮される場所の代表といっていいのが、大学のサークルであろう。

 明慶大学生を中心に結成されたインカレサークル・ガリバーは、一度のパーティーで数百人単位で集めることができる人気サークルであった。

 幹部たちのトークは何人ものを同時に笑わせ、リズムをとらせればノリノリにさせる。

 リーダーは稀に見るイケメンであり、男女ともに惹きつけてやまないカリスマだった。

 パーティーに参加さえしてしまえば、学生たちは噂されている悪評など簡単に忘れてしまうほどに、ノリに支配されてしまう。

 酒と口にはできない別のものの力を借りて、ノリの狂奔に身を浸すのであった。

 だから、参加している女学生が一人、主催者たちに連れていかれても誰も気にしないし、その子の飲んでいるアルコールの中に思考を乱すクスリが入っていてもわからないし、彼女が幹部たちだけしかいない個室につれこまれても助けられない。

 女学生一人のことよりもノリが大事だからだ。

 たった一人の女学生が不幸になったぐらい、どうということもない。

 そして、その日もそうだった。

 一人の田舎からでてきて、夏休みが過ぎてカリキュラムが後期に入っても周囲と馴染めない女子大生が、急に親し気に話しかけてきた同級生に絆され、パーティーに連れてこられ、そのまま幹部に差し出されようとしていた。

 差し出す側には、幹部たちから読者モデルの仕事のあっせんやOBからの就職の便宜が図られる。

 知り合ってほんのわずかしかない同級生を生贄に捧げても罪悪感はまったく覚えなかった。

 彼女がどうなるかもよくわかっていたが、そんなのは別に構わない。

 ノリが悪いからこんな目にあうのだ。

 もっと前から色々と遊んでいれば、抵抗する方法も学べていただろうに。

 だから、悪いのは差し出された側なのである。

 同級生に売り飛ばされて、地獄への階段を突き落とされた女子大生の運命はそのまま堕ちるだけであったろう。

 だが、その時だけは違っていた。

 幹部が待ち構えているだろう個室に入る直前に、肩を押さえられたのだ。

 振り向くと、見たこともないぐらいに美しい女性がいた。


『どいて。あたしの方が先約』


 先導役の女性とともに廊下の隅に押しやられた。

 抵抗しようとしたが、その眼力の迫力によって黙らされた。

 逆らってはマズイ、というよりも、何か得体のしれない恐怖のようなものに突き飛ばされたという震えも走った。

 生贄の羊も裏切り者の牧童も、ともに回れ右して部屋の前から逃げ出した。

 彼女たちになんの関心も持たず、美女は部屋の中に滑り込んでいった。

 中にはガリバーの幹部たちが、軽めの酒類とともに待ち構えていた。

 顔にはにやついた畜生類のごとき歪みが張り付いていた。

 これから起きる遊びへの期待に胸を躍らせていたのだ。

 だから、個室に入ってきた想像外の美女に驚いた。

 参加者を釣るための撒餌として呼んだゲストのモデルが間違えてきたのかもしれないと思ったからだ。

 だが、美女は、


『阪井ー、お久しぶりー』


 と親し気にリーダーの名を呼んで近寄ってきた。


『会いたかったんだー』


 どうやらリーダーに気があるらしいということは全員が把握した。

 そして、見えないところで舌なめずりをした。

 予定とは違うが、この女でもいい、と。

 これだけの上玉だ、楽しませてもらおう、と。

 リーダーの阪井は顔も覚えていない知り合いなど路傍の石と同様にしか考えていない男だったから、すぐに幹部たちと同じことを考えた。

 どうせ、俺の顔につられて来た尻軽だ。

 まわしたって、気にしないだろう。

 だったら……


「おお、こっちにこいよ。一杯、呑もうぜ」


 ノリを大事にしないとな。



           ◇◆◇



「―――やっぱり見張っていて良かったかな」


 池袋にある、百人規模のパーティーも可能なクラブの目の前にあるドーナツ店で、御子内さんが呟いた。

 耳についているイヤホンは、マイクとともに、とあるタヌキのスマホと繋がっている。


「連絡があったの?」

「うん。〈きゅう〉が店内の一室で異様な妖気を撒き散らし始めたらしい」

「さっきまでは変化なしだったのに?」

「ああ。例の阪井のもとに行って、しばらくしておかしくなりだしたそうだ。このままでは、見張りのタヌキでは手に負えないっぽいね。ただ、まだ騒ぎにするほどではないということらしいよ」


 この場には僕と御子内さんしかいない。

 あのバニーガール妖怪とは極力接触したくないというタヌキたちを説き伏せて、なんとか一匹だけ手伝ってもらえることになったが、基本的に妖狸族はタッチせずという方針らしい。

 そんなに〈犰〉が苦手なのか……


「仕方ない。タヌキたちにとって、カチカチ山のウサギは天敵だ。おそらく、あの〈犰〉はお伽噺のモデルそのものだろうし」

「本人……ウサギだけど……は否定してたよ」

「あいつがお伽噺の舞台である河口湖から来たというだけでもう本人だと自白しているようなものさ。さすがに細部は違うだろうけど、あの色ボケウサギなのは間違いないだろうね」

「色ボケって……」


 確かにバニーガール姿を選ぶなんておかしいけどさ。


「京一は、あのお伽噺のおかしさに気がつかないのかい」

「え、どういうこと?」

「カチカチ山のタヌキは、確かにお婆さんを殺している。でも、どうしてウサギがその敵討ちをするんだ。お爺さんが寝込んだから? それにしたって、唐突だ」

「……まあね」

「それにウサギの報復もあまりにも陰湿だろ。背負った芝に火をつけたり、火傷に唐辛子をすりこんだり、挙句の果てには泥の舟に騙して乗せて溺死させるんだよ。そこから、このウサギの正体については前から疑問になっていたんだ」


 御子内さんの話ももっともだ。

 江戸期にできた話にしては復讐の仕方が惨すぎる。


「ここから先は、タヌキたちから聞いた話なんだが―――カチカチ山というのは、美しい牝ウサギとそれに惚れて身を持ち崩したタヌキの話なんだそうだ」


 彼女が聞いた話を整理すると、カチカチ山は以下のような話に変貌する。

 ―――河口湖付近には、年老いた雌のウサギが変化した〈犰〉という妖怪がいた。

〈犰〉は歳を経て変化したといっても、元が美しい牝であり、しかもいつまでも処女のような潔癖な純真さを持っていたが、同時に少女にありがちな残酷さも兼ね備えていた。

 その美しさは、他の動物や妖怪さえも惚れさせるに十分なほどであり、特に知恵と人と同様の欲望を持つタヌキにとっては危険な罠にも等しいものであったという。

 さらに、〈犰〉は少女特有の視覚情報のみを重視する惚れっぽさがあり(要するにイケメンには弱いということだ)、呑気な顔のタヌキなんか相手にすることもなかった。

 だが、たった一匹、この性悪なウサギに惚れすぎて仲間たちの忠告を無視していた愚鈍な一匹のタヌキがいた。

 これがカチカチ山のタヌキである。

 そんなある時、この〈犰〉がある人間に惚れてしまった。

 カチカチ山に登場する翁だった。

 老人とよばれる年齢に相応しくない、端正で凛とした顔つきの男前だった翁にベタぼれしたのだ。

 もちろん、タヌキにとっては面白くない。

 狐ではないが横から油揚げをカッサラワレタなものだからだ。

 嫉妬に狂ったタヌキは翁に対して嫌がらせを開始し、それに怒った翁によって捕まって狸汁にされることになった。

 お伽噺の通りに逃げ出したタヌキによって媼を殺された結果として、翁は寝たきりになった。

 それをウサギ―――〈犰〉は好機ととらえ、媼の敵討ちをするという理由で翁の歓心を得たのだ。

 媼の死に乗じて妻の座につくことにしたのだ。

 そして、〈犰〉は邪魔なタヌキを残酷に殺した。

 美しい自分にとって釣り合わないだけでなく、翁との暮らしの邪魔になると感じ、排除したのである。

 こうして、翁と〈犰〉は夫婦となって、翁が死ぬまで暮らしたという。


「―――これがタヌキに伝わるカチカチ山の真実らしい。これ以降も、タヌキたちはあのウサギによって散々な目に合わされてきたので、ずっと警戒を怠らずにいたそうだ」

「……おっかないウサギなんだね」

「キミだって篭絡されそうになっていただろ。忘れていないよ、このスケベめ」

「まあね。でも、スケベとか言うのはやめて。人聞きが悪いから」


 しかし、あの時に僕が異常にドキドキしていたのは、やっぱりあのウサギの能力だったのか。

 まあ、美人だから仕方のないところではあるだろうけど。

 美人ってのは罪なものだね。

 そこで思いついた。


「……ああ、わかった。だから、河口湖に合宿に来た阪井みたいなハンサムに惚れて、ここまで追ってきたという訳だ」

「あのウサギが美形に弱いというのは昔から変わらんということかな」

「……まったくカチカチ山を読む眼が変わりそうだよ」

「ボクもかな」


 そのとき、御子内さんの顔つきが変わった。

 見張りのタヌキからの通信が入ったのだ。

 同時に、彼女は店から飛び出した。

 あれでは無銭飲食を疑われるという速さで。

 でも、何があったかは想像がつく。

 ウサギが―――〈犰〉が暴れ出したに違いない。

 大人しくするから阪井の居場所を教えるという僕たちとの約束を破って。

 一体、どうしてそうなったかはわからないけれど、妖怪の恋の成就を応援するためならばともかく暴れ出したとなると、退魔巫女の御子内さんが放っておくわけにはいかないのだろう。


「待って!」


 僕は御子内さんがとんでもない速さでかき分けていった人ごみの中を追った。


 

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