第194話「帰り人」
サクラは無言で建物の中に入っていった。
お姉さまは止める素振りすら見せない。
関係のない一般の男性を、家に上げる上げないで病院送りにしたような悪霊そのもののサクラを、離れ離れになっていたお母さんと会わせるのはとても危険なのではないかとあたしは思うのに。
邪悪な妖怪、魑魅魍魎を退治する使命を持ったお姉さまはどうして動かないのだろう。
「―――サクラはただの放置子ではなかったと思う」
と、ぽつりと言った。
「どういうこと?」
「涼花の言っていた、升麻の家にあがりこんだときの全裸での行いは、完全に大人の性交渉の真似だろう。おそらく母親のね」
「……ちっちゃい娘の前であんなことをしていたってことなんですか?」
「多分、ね。だから、サクラは好きな男の子の気を惹くために、母親の真似をしたんだろう」
かなりショックだった。
子供にとって、両親が男女を思わす空気を発することも嫌がる場合もあるというのに、まだ幼稚園児の娘の前で男と関係を持つ母親やその真似をする子供なんて……
そして、間違いなく十年前のあれはサクラにとっての、性交渉なのだ。
「で、でも……」
「それだけじゃない。サクラが涼花に言った『死んでしまえ、あんたなんか産まれなければ良かったのに! 酷いバカ!』という台詞もきっと母親の受け売りだろうね」
「あんな悪態を?」
「ああ。サクラは常にああいう罵倒を大人から受けてきたんだ。しかも、当時のニュースとかを読む限りでも父親の影はほとんどないから、父親のいない母子家庭だったのは間違いない以上、罵声を浴びせかけてくる相手は一人しかいない。つまりは、母親だね」
サクラが受けていたのは、ただの育児放棄じゃなくて、もっと深刻な虐待だったのだろうか。
昔を思い出す。
そういえば確かにサクラは普通の子供ではなかった。
わがままで、いじわるで、自分勝手で、でもそんなものは子供だったら全員そんなものじゃないかと思っていたけど、やっぱりサクラの場合は度を越していた。
何かあったら叫ぶところや、異常なまでに大人に懐くところや、年下には決して優しくしないところは。
あれが、きっと、虐待をされた結果の歪さみたいなものなのかな。
これまで疎んで来たサクラの嫌なところが、実は彼女が原因ではないのではないかと思いいたると哀しくなってきちゃった。
「じゃあ、サクラは……」
「あの母親に虐待されていたのは間違いないだろう。しかも、ボクのみたところ、それだけじゃない」
「だけじゃないって……」
「〈
「……堕落した女……」
「際限なく肥満しただらしない身体、服の一枚すら纏わない横着さ、家から出ようともしない怠けた態度、あの妖怪の姿なら一目瞭然だろ?」
確かに、あの〈寝惚堕〉は、家事としての片付けもなにもしないだらしなさの塊のようなものがあった。
「しかも、性的にもふしだらなのは、サクラへの仕打ちと娘がいなくなってすぐに男の家に転がり込んでいることからもわかる。もっとも、前にいた家を引き払ったのはそれだけが原因じゃないとは思うけどね。―――母親は、娘と暮らしていた家に住んでいられなくなったのさ」
お姉さまは吐き捨てるように言った。
「サクラを行方不明にしたのは母親なのだろう」
「えっ?」
「もっと正確に言うと、サクラを殺してしまったんだよ、あの母親は。……事故や、病死の可能性もある。ただ、行方不明という明らかな嘘をついた以上、やましい気持ちはあったんだろうね。そして、すぐに住処を引き払ったこともそうだ。ただの行方不明なら、帰って来た時のために家はそのままにしておくもんだ。でも、それすらもしなかった。逃げるように男の家に潜り込んだ。まず、間違いなく、サクラを殺してしまったのはあの母親さ。あの母親が〈寝惚堕〉に憑りつかれたのは、母親であることさえも放棄してしまったたからじゃないか、そんな風にボクは思うね」
じゃあ……
じゃあ、お母さんとサクラを一緒にするというのは……
サクラが母親に会いたがっているのは……
死んだはずの彼女が十年後の夕暮れに帰り来た理由というのは……
「夕暮れの寂しくなる時間帯に、つい帰ってきちゃったのか……サクラ……」
「寂しかったのか、遊びたかったのか、それとも自分を捨てた母親への恨みを晴らしに来たのか……。ボクにはわからない。けれど、〈寝惚堕〉になった母親といい、家系的に妖魅に憑かれやすいのは確かだろうから、サクラがああなったとしても不思議だとは思わない」
「お姉さまが、サクラに何もしなかったのは……」
「別に同情した訳じゃない。ただ、どんな結末になるにせよ、これは家族で解決すべき問題じゃないかと思っただけだよ」
お姉さまは門に張ったテグスを回収し、道に出た。
あたしは一度だけ、この家を振り返ったが、変わらず静まり返ったままだ。
内部で何が起きているかは、十年前、サクラが家庭でどういう目にあっていたかと同様に想像することしかできない。
家庭とは、そういう密室の場所であり、他人がおいそれと手の出せる空間じゃない。
サクラが他人の家庭に入り込もうとし、拒絶されたのもある意味では仕方がないのだと思う。
家庭とはそういうものなのだ。
◇◆◇
「ただいま」
家に戻ると、リビングでお兄ちゃんがFPSの通信対戦をしていた。
相変わらず妙に強い。
しばらく視ていると、ようやくあたしに気が付いたらしい。
「おかえり。遅かったね、どこに行ってたんだ」
と返事をした。
そのくせ、こっちには視線さえ向けやしない。
ゲームに熱中しているのはわかるが、あの時のサクラに無視されたことを思い出してとても不快だった。
「―――お兄ちゃん、サクラのこと覚えている?」
「……幼稚園の時の、おまえの友達だっけ?」
「うん、そう。サクラに会ってた」
「帰ってきてたの?」
「まあ、一時的に……だけどね」
「へえ」
お兄ちゃんはあの子が行方不明になった事件のことを覚えていないようだった。
すごく近所で起きた事件だったけど、もしかしたら子供たちには伏せられていたのかもしれない。
それに当時のお兄ちゃんはあまり外に関心がなかったから、聞いていたとしても右から左に抜けていたのかもしれないかも。
ただ、サクラがいなくなったという事実だけはなんとなく覚えていたようだった。
「赤いワンピースを良く着ていた子だよね」
「……うん……そうだったかな。それがどうかしたの?」
「何日か前に、なんかもの凄い真っ赤な夕陽のときにさ、道端に赤いワンピースの女の子が立っていてね。なんかすぐにでも消えちゃいそうな儚い感じだったな。幽霊みたいだった」
お兄ちゃんはお姉さまとの付き合いで、霊能力みたいなものが上がっていて幽霊が視える様になっている。
そのせいだろう、きっと。
「寂しそうだったから、思わず声をかけたら、『おうちに遊びに行っていい?』とか聞いてくるんだ。今の時代、小さい女の子を勝手に家に上げたら危険だからね、『僕の妹に許可をとってからね』と答えたらいなくなっちゃった。あの時は、なんとなくサクラちゃんのことを思い出したなあ」
かなり懐かしそうな口ぶりだったが、これでわかった。
「あんたが原因か」
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