ー第27試合 新訳・お伽噺ー

第195話「タヌキの天敵と言えば」



『そのウサギは美しい女だったんだよ』


 目の前のタヌキがしみじみと懐かしい思い出のように評した。

 実際のところ、このタヌキは現物を拝んだことがないはずなのに、まるで青春を捧げたアイドルのことを語るかのように酔っている。

 御子内或子はうんざりした。

 男のこの手の語りはたいてい自分本位で女の共感を得ない繰り言が多いからだ。

 彼女のただ一人の助手もそうだが、男という生き物が熱く自分の好みについて語るときはどうにも「理解できるだろ?」「なんでわかってくれないのか?」という面倒くさい押し付けが滲み出てくる。

 そのくせ、そのうちに「話しても無駄」みたいな態度になっていき、「これだから女は」みたいに話を終わらせるのである。

 或子は助手の教育に余念がないので、助手がそういう態度をとった場合はとりあえずあとで制裁を忘れないようにしていた。

 男女が仲良く一緒にやっていくには、わがままはかわりばんこが基本であるし、相手をイラつかせる真似をしたら制裁するのは当然である。

 おかげで、もう一年近い付き合いになるが、良い感じに躾が出来ていると自負していた。

 とはいえ、他の男まで教育する気はない。

 目の前のタヌキにいたっては、男というよりもオスの部類に入るので、或子が責任を負わなければならない類では当然ありえない。


「……で、そのウサギをどうして欲しいんだい? この間の〈のた坊主〉のときもそうだったけど、キミら妖狸族は最近ボクらに頼りすぎじゃないのかな?」

『そう言わんでくれよ、退魔巫女よ。ワシとあんたは聖地・後楽園ホールのリングでやり合った戦友じゃないか。その仲に免じて手伝っておくれよ』

「キミをノックアウトしたのは音子だよ、〈三代目分福茶釜〉。友達ヅラされても迷惑なんだけど」

『まあまあ、そう言わずに、これ、つまらないものだけど』


 差し出されたのは、目白の有名なケーキ店のシュークリームだった。

 大きさからした八個詰め。

 有名店だけあってかなり値段も高いだろうと或子は推測した。

 ちなみに、シュークリームは彼女の大好物である。


『ドライアイスを入れておいたから明日までは持つよ』

「……なんでボクの好物をピンポイントで知っているんだい?」

『友達にLINEで聞いた』

「誰だい、友達って」

『京一くん』


 或子は呆れかえった。

 いつのまにタヌキなんかと友達になったんだ、あいつは。

 人当たりがいいのはわかっていたけど、妖魅とも繋がりを作るとはどういうことだい、まったくもう。

 クラスメートとの付き合いは良くないくせに。


「……キミたちが、その“ウサギ”の確保に直接乗り出さない理由は? 区内の縄張りに入ってこないというだけではないんだろ」

『うん、そうだ。何十年ぶりかで人里にまで降りてきたが、ワシらの縄張りにまでは入ってこないでどこかに潜伏している様子なんだよ。ただ、ワシらタヌキからすると、あのウサギは天敵中の天敵でね。できたら、一族のどいつとも接触させたくない。そこで、あんたら人間に頼みたいんだ』

「気持ちはわかるけどさ。……ただ、どうしてタヌキ連中がそんなにそのウサギを怖がるのかがさっぱりわからない。そこは説明してもらえるんだろうね」

『それを説明することに関しては吝かないね。だって、本当にまずい相手なんだ、タヌキにとっては』

「ふーん」


〈三代目分福〉は心の底から話題のウサギを怖れているらしい。

 退魔巫女である或子からすると、不自然にも感じるほどであったが。


『あんただって、あの有名な話は知ってるんだろ? ワシらタヌキにとってあのウサギは本当に鬼門でね。接触するのすら避けろというのが、まあ、ワシらの合言葉みたいなもんなんだ』

「……例えば、どういうことになるんだ?」

『「惚れたが悪いか」、それに尽きる。ワシらはあのウサギをみると、ほとんど骨の髄まで惚れちまうんだ。そりゃあ、タヌキは基本的には好色さ。スケベエこそがタヌキといってもいいぐらいだ。西洋の、ほら、処女しか乗せないとかいう変態の一角獣と変わらないといってもいい。でもな、女に惚れるってことは悪くねえことのはずだろ? 古来からこの国では助平は悪徳じゃなんったんだからよ』

「―――そこまで力説しなくてもいい」

『いや、すまんね。あのウサギが絡むとどうも我らはおかしなる』


 或子は、問題がどこにあるのか、なんとなく推測できた。

 くだんのウサギはタヌキの天敵というよりも、存在理由を脅かすような危険な意味を持つものなのだということだ。


(ただ、そうなってもおかしくはないのかな)


 そのタヌキとウサギの関係を伝えるお伽噺は、当然のこととして或子も知っているのでそこからの推測にならざるを得ないが。

 化学・幻法といった変化の術を持つ、日本屈指の妖怪類であるタヌキにとって、最も屈辱的にして許しがたいエピソードもでもあるのだから。

 これに比べればよく比較されるキツネなんてライバルにすらなりえない。


「好色なタヌキは、危険な美人のウサギにこてんぱんにやられてしまうって訳だね」

『だから、あんたら人間に頼みたいんじゃないか。引き受けてもらえるか?』

「賄賂のシュークリームも受け取ってしまったから、もう断りにくいし、まあもともとこぶしがボクに振ってきた話だからね。やることにするよ」

『助かる、〈社務所〉の媛巫女』

「ただし、人に危害を加えるような妖魅でない限り、ボクらは退治したりはしないよ。ふん捕まえて山に戻すだけだ。この機に乗じて抹殺させてしまおうとか物騒な考えは持たないようにしてくれ。ボクらは殺人鬼じゃあないんだから」

『ああ、それは任せる。ただな、あのウサギは純粋なゆえに残酷なやつだからよ。気を付けてくれ。あの美しさは人間だって虜にするかもしれないぜ』

「わかったよ。十分注意するさ」


 ……こうして、〈社務所〉の退魔巫女である御子内或子は、お伽噺にもなっている伝説のウサギの妖怪と絡むことになるのであった。




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