第191話「悪臭の棲む家」
「放置子っていうのはね、親が愛情を注がないで、まったく構わないで育っている子供のことをいうんだ。軽い
「―――トラブルって?」
「基本的に、放置子は愛想が良い子供が多くてね、他人になつきやすいんだけど、友達の親にも両親の代わりを求めたりして、毎日のように押しかけてくるということがある。また、かなり攻撃的なことがあり周囲に八つ当たりすることもある。愛情を手に入れようと異常なまでに構って欲しがる傾向があるんだ」
言われてみると、あたしの人生でも何人かそういう子は見てきたことがある。
もちろん、筆頭といえるのはサクラだったけど……。
じゃあ、サクラはお姉さまの言う放置子だったのかな。
「親が教えないないから時間にもルーズで、いつまでも外で遊んでいたりするし、かつての鍵っ子とかと違ってね、まったく親のフォローが期待できないんだよ。ターゲットにされると、よその家庭まで苦労させられる羽目になる。とはいえ、放置子からすると、愛情に飢えているからそれを得ようともがいているだけなんだけどさ」
サクラがやたらとあたしの家にお邪魔しようとしたり、お兄ちゃんと遊ぼうとしたのもそういうことなのか。
彼女と夕暮れのイメージがダブるのは、サクラが家に帰らず、いつも外にいたことの結果なのだろうか。
「サクラ……」
「でも、ただの放置子とはいえない可能性もあるね。その、涼花が目撃したという、うーん、疑似的性交渉みたいな振る舞いのことかな」
サクラがしていたことが、そういうことだというのはもうあたしにはわかっている。
ただ、それを口にするのに恥ずかしがっているお姉さまは可愛かった。
この様子だと、まだお兄ちゃんとはそういう関係にはなっていないみたい。
いや、お姉さまが本当のお姉さんになっても、あたしは一向に構わないんだけどね。
「サクラが裸になっていたことですか?」
「うん。放置子が愛情の代替行為をすることはわかるんだ。ただ、性行為まではあまり聞いたことがない。しかも、就学前の女児だろ。普通はそういうものに触れることはないし、真似をするなんてありえない。常日頃から接していない限りはね」
確かにその通りかも。
「―――つまり、サクラの周りには、子供に気を遣わずに……その……ふしだらな行為に励む人がいた、と?」
「だろうね。まあ、十中八九、母親だろうけど。女の子が真似をするのならば、母親だろうし、好きになっている男の子の気を引くためにそういうことをしたというのならそうなんだと思う」
「サクラは……お兄ちゃんのこと好きでしたから」
「妹としては絶対に近づけたくない相手ではあるだろうね」
「そんなことは……」
当時のあたしの考えとしてはそれで間違っていないはずだ。
あたしにとって、サクラは得体のしれない異物だった。
理解しようとは思わなかった。
「あと、母親だと想像したのは、もう一つ理由がある」
「理由……ですか」
「サクラが行方不明になった際、事件性の関与を疑われたのが母親だったからだよ。サクラの失踪には間違いなく母親の影がある。―――だから、ボクたちはとりあえず母親のところに向かっているんだ」
ああ、お姉さまがさっきからスマホのナビを頼りにどこかに向かっていると思ったら、そういうことか。
サクラが住んでいた場所に向かっているのだろう。
でも、あたしの記憶ではもう少し違う場所にあったような……
「当時の家ではないよ。〈社務所〉の調べでは、彼女は今では別の場所に暮らしている。というよりも、サクラの事件の後に交際していた男のところに転がり込んだらしい。ボクたちが目指しているのはそっちさ」
「なんとなく、サクラが帰ってくるのを待っているものだと思っていました」
「彼女が住んでいたところは、今は空き地になっているらしいよ。もしかしたら、そのせいでサクラは彷徨っているのかもしれない」
霊となって懐かしい我が家に戻ったら、もう誰もいない。建物さえもない。
そうなったサクラがどのぐらいの絶望を感じたかは、あたしにもわからなくはない。
「母親のところで待っていればサクラがやってくるかもしれないしね」
彼女が帰るべき場所を探しているとしたら、やはり母親のところなのかもしれない。
放置子は愛情を、親からの愛情を求めているのだから。
そう思うと、きっとサクラは安住の地よりも母親を探していると考える方がしっくりくる。
しばらく歩いていると、一軒家に辿り着いた。
広くない庭はたくさんの雑草と邪魔なのに刈り取られていない枝でジャングルのようになっていて、ゴミが玄関に散乱していた。
雨戸は閉まりっぱなしだし、全体的に薄暗い印象だ。
正直、三日と暮らしたくない家だった。
サクラのお母さんはこんなところにいるのか。
表札には、『
サクラの苗字ではない。
転がり込んだ男の家ということかも。
「嫌な感じの家ですね」
「―――涼花、ボクの傍から離れるな」
お姉さまが鋭い目をして、警告してきた。
「妖気がある。しかも、サクラのものじゃない。別の種類の……妖怪のものだ」
別の妖怪って……
どういうことなの?
「〈護摩台〉を設置するほどではないけど、それにしたって弱すぎはしない相手か」
お姉さまが内ポケットから、輪になったテグスのようなものを取り出した。
それを門のところに縛り付け、何度か往復させる。
「簡易結界しか張れないけど、仕方ないか。……でも、何もしないよりはマシだね。さて、ちょっと様子を見に行くか」
「どうするんですか?」
「中に入る。涼花もついてくるかい?」
「―――行きます」
あたしは即答した。
傍を離れるな、と言われたこともあるけど、サクラがあんな風な悪霊になってしまった原因があるかもしれないと考えるとどうしても自分の眼で確かめたくなったのだ。
「わかった。何が待っているかは知らないけれど、サクラの件とまったく関わりがないことはないだろうしね」
あたしたちは、用心しつつ、家の敷地内に入った。
異臭が漂っていた。
ゴミのものではなくて……糞尿とかでもない……あえて言うなら汗の臭いかも。
人間からならともかく、家の敷地で嗅ぐタイプのものではないはず。
思わず鼻をつまんでしまった。
「酷い臭いだ。―――よっぽど怠惰な生活をしていなければこんな悪臭はしないだろ」
お姉さまも露骨に嫌がっていた。
愚痴りつつも、四方を警戒しているところはさすがだなと惚れ直しそうになる。
本当に素敵な
「行くよ」
玄関のドアノブに手を掛ける。
カチリと簡単に開いた。
開けると同時に足元にずさっと新聞のチラシとかが滑り落ちてきた。
玄関口に堆積していたものが雪崩落ちてきたみたい。
中を見ると、屋内はゴミだらけになっていた。
ゴミ屋敷的なものではなく、どちらかというと片づけられない女の部屋がそのまま迫力を増したみたいな感じ。
使ったものを適当にそのまま置いておくと、こういう有様になるかも。
整頓とか整理とかは全然考えていない。
しかも、ショウジョウバエまでが飛んでいて非常に不潔だ。
だいたい、玄関においてあるはずの靴さえも埋もれてしまってみえないぐらいだし。
だけど、驚くべきはそこではなかった。
家の何処からか轟くように聞こえてくる耳障りな音が一番の驚きだった。
怖気が走るようなその音は―――
「いびき?」
「だね。―――なるほど、家屋に轟き渡るいびきを掻く妖怪か。なるほど、放置子の母親に相応しい」
どうやらお姉さまには、このいびきの主がわかったらしい。
「な、なんなんですか、この大きないびきは……?」
「非常に珍しいけど、確かに妖怪だ」
「妖怪のいびき?」
「ああ。―――この家に潜む妖怪は〈
〈寝惚堕〉。
今まであたしが聞いたことのない妖怪がこの家の奥にいるらしかった……
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